日常

「流れ」「委ねる」 

2010-12-16 19:41:01 | 映画
■ホスピス

NHKの、プロフェッショナル 仕事の流儀

山谷にあるホスピス「きぼうのいえ」の山本美恵さんという看護師の方
とてもいい番組だった。 

生と死の現場。
自分とは違う人の現場を見ると、客観的に見れるからいろいろ考えることがある。


ひとは、「死」の概念と出会うときに、やっと裸になれるのかもしれない。 

自分が持っているもの、自分が得てきたもの・・・そんな全てのものは、どこにも持っていくことはできない。 

ひとは裸で生まれ、裸で死んでいく。それは誰にも平等だ。

何かしらの「死」の概念と出会うことで、改めて気づくことができる。
死は、生にとっての目覚まし時計のようなものなのだろう。



山本美恵さん 
『(プロフェッショナルとは)
自然の流れを大切にして、すべての人を、すべての流れを信じて、
ゆだねるということができる人だと思います』



「流れ」「委ねる」 
ほんとにそうだと思う。 

ひとにはそれぞれ歴史があり、記憶があり、背負ったものがあり、生きてきた「流れ」がある。 
その流れは、時には本人にすら分からない「流れ」。 

その「流れ」を信じること。まわりも、自分も、信じること。 
そして、時が満ちるのを、焦らず、共に待つことは大事だ。 


生も、死も、そのひとの「流れ」の中にあるもの。
それは、委ねなければいけない。
小さな「流れ」にも、大きな「流れ」にも。





ひとは、生まれた時から死へと向かって生きる。
生と死は、言語上でのそんな矛盾がある。  

だからこそ、生と死のどちらかだけを見るんじゃなくて。
どちらかを見ないふりをするんじゃなくて。
生だけじゃなく、死だけじゃなく。 

生と死の間で、その矛盾を引き受けて、その矛盾を抱きしめるように。


この世にはいろんな矛盾がある。
だからといって、どちらかに割り切ってどっちかを切り落とすんじゃなくて、矛盾を矛盾のまま抱える。 
そして、その違う方向に引き裂かれるような思いの中で、いかにバランスをとるかというのが大事なんだと思う。 
そんな場面でこそ、その人すべての人間性が試されている気がする。
それは、生と死も同じだと思う。
そこでの自分なりのバランス。


生は、死という核に包まれる被膜。  
死は、その生という核に包まれる被膜。 
お互いが、お互いを入れ子状に膜状に包み込みながら、流れる水がつくる渦の曲線のようにうねるように変化しながら、お互いが寄り添いあってる。


そんないろんなことを改めて感じた。
笑顔で死ぬことができれば、きっといい人生だったのだと思う。
笑顔で死ぬということは、すべてを受け入れた証のようなものなのかもしれない。


だからこそ、いろんなことがあるけれど、昨日も今日も明日も笑顔で過ごせるような毎日にしたいなぁと思う。