自分は今まで色々なことをやってきた。
遠くのことよりも近くのことを。
近くからの呼びかけ(Calling)に対して応じ、頼まれた仕事が天に依頼された天職だと思いながら。
そろそろ、機は熟してきたので、自分の中で焦点を充て、背骨や骨格を形作っていきたい。
自分は、常に人の体の比喩に立ち返って考えている。
今の世界は情報量が多く、質の問題は量の問題へとすり替えられ、大量の情報は濁流となり、その本質が見失いやすくなって久しい。
ただ、海の表面がいくら波立っていても、深海には荒い波は立たない。
密度の高いものは沈殿し、深海の層で真珠のように静かに保管されている。
古典などの時代を超えてきた作品も同じ。
ひとのからだも、時代を超えて作り上げられてきた自然の芸術。
人間という存在も、時の流れの中で、天からの要請により生み出された自然の造形物の1つでもある。
生命全体像の中で人間という存在の役割を強く意識する。
生命や自然全体にとって人間が何をできるのか、瞑想と心眼により見据える。
自然全体に貢献するために、自分にしかできないことを追求したい。
人は誰でも最初はレディーメイドの衣服を着させれて社会に出るが、あるときにその衣服を脱ぎ捨て、自分の手仕事により最適な衣へと着替える必要がある。
仕事というのはそういうものだ。誰にもジャストフィットした仕事というものは存在しない。
だからこそ、一人一人の役割とやるべきことがある。
内と外との対話を繰り返すことでしか、深層の声は聞こえない。
そのときに、祖先からの氏名と天からの使命とが、一つとなるのだろう。合わせ鏡のように。
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武満徹
「表現することは、けっして、自分と他を区別することではない。
世界はいつでも自分の傍にありながら、気附く時には遠くにある。
だから世界を喚ぶには、自分に呼びかける他にはない。
感覚のあざむきがちな働きかけを避けて自分の坑道を降りることだ。
その道だけが世界の豊かさに通じるものなのだから。」
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遠くのことよりも近くのことを。
近くからの呼びかけ(Calling)に対して応じ、頼まれた仕事が天に依頼された天職だと思いながら。
そろそろ、機は熟してきたので、自分の中で焦点を充て、背骨や骨格を形作っていきたい。
自分は、常に人の体の比喩に立ち返って考えている。
今の世界は情報量が多く、質の問題は量の問題へとすり替えられ、大量の情報は濁流となり、その本質が見失いやすくなって久しい。
ただ、海の表面がいくら波立っていても、深海には荒い波は立たない。
密度の高いものは沈殿し、深海の層で真珠のように静かに保管されている。
古典などの時代を超えてきた作品も同じ。
ひとのからだも、時代を超えて作り上げられてきた自然の芸術。
人間という存在も、時の流れの中で、天からの要請により生み出された自然の造形物の1つでもある。
生命全体像の中で人間という存在の役割を強く意識する。
生命や自然全体にとって人間が何をできるのか、瞑想と心眼により見据える。
自然全体に貢献するために、自分にしかできないことを追求したい。
人は誰でも最初はレディーメイドの衣服を着させれて社会に出るが、あるときにその衣服を脱ぎ捨て、自分の手仕事により最適な衣へと着替える必要がある。
仕事というのはそういうものだ。誰にもジャストフィットした仕事というものは存在しない。
だからこそ、一人一人の役割とやるべきことがある。
内と外との対話を繰り返すことでしか、深層の声は聞こえない。
そのときに、祖先からの氏名と天からの使命とが、一つとなるのだろう。合わせ鏡のように。
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武満徹
「表現することは、けっして、自分と他を区別することではない。
世界はいつでも自分の傍にありながら、気附く時には遠くにある。
だから世界を喚ぶには、自分に呼びかける他にはない。
感覚のあざむきがちな働きかけを避けて自分の坑道を降りることだ。
その道だけが世界の豊かさに通じるものなのだから。」
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感じる日記でした。
渦巻の中に飛び込むように
いろいろやった後じゃないと
静かな場所に
いけないような気もします。
きっと、そんな場所にたどり着いたのかな?
(o^―^o)