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今日も約36時間連続労働の当直ですが、完全に風邪ひいてます。
朦朧としながら働いていて、職場の人ともあまり会話をしたくないですが、こうして文字を打つのは何故か平気です。笑
本郷の東京大学総合研究博物館でやっている「命の認識」展(~03/28)を見てきた。
この東京大学総合研究博物館は東大構内の端っこにある。
いつも無料で、しかもかなり硬派な展覧会が毎回繰り広げられている。
それなりに見ようと働きかけないと、展示側の熱い思いにはじき返されることもある。
前回やっていたも素晴らしい展示だったなぁ。
→自分の感想:「鉄―137億年の宇宙誌」(2009-08-10)
地球は鉄なんだなぁと改めて実感した。鉄があるから磁場ができる。地球の磁場は目に見えないけど、方位磁針はN極を向き、大航海時代の道しるべだった。
地球の磁場は、宇宙線や放射線や太陽風から地球を守る巨大なバリアとしても働いていたりする。
そんな極大の営みに思いを馳せさせてくれた。
・・・・・・・・・・
これは脱線。
今回の「命の認識」展は、観客に媚びない攻撃的な展示がすごい。
骨が広いワンフロアに並べて置いてあるだけ。
物事には、「すがた・かたち」と「しかけ・しくみ」の見方がある。
「すがた・かたち」は、単にそこにあるがままの世界。石でも風でも・・無生物か生物かなど関係なく、全てを含む。
「しかけ・しくみ」は、理性で解析していく科学的な見方。あるがまま全体を見るというより、分析して分解して部分を見る。
骨がただそこに在る。
「しかけ・しくみ」の見方を拒んでいる。
「すがた・かたち」の世界が、ただ静かに広がっている。
動物の骨は、何も語らず、静かにそこに在るだけ。
そこに何を見て感じるか、それは見る側に自由に開かれていて、答えも正解もない。
ただ、あるがまま。
HPの解説にもシビレル。
===============================
『あなたを苦悩のどん底に陥れる空間を東大の博物館に創ってみたいと思っていた。「命の認識」は、博物館を快楽やサービス提供の場などと称した昨今の悪しき意思を根本から破壊して、そこに個人が命を認識するまでの根源的苦悩の場を広げることを、私が試みたものである。』
===============================
『展示場で快適な時を過ごそうと思うなら、ただ楽しいだけの催事場から丁寧に自然科学や美術を説明してくれる親切な部屋などは無数に存在するのだから、そういうものが好きならばそこを訪ねるのがよい。だが、一たび私の「命の認識」に迷い込んだならば、あなたは、苦悩する孤独な一人に過ぎない。』
===============================
色々な骨が置いてある。
目を見張るのは、巨大なクジラの骨。
肋骨、脊椎・・・基本的にヒトと同じ「かたち」だ。倍率が違うだけで、大きくしただけな印象を受ける。驚くと共に、なんだか笑ってしまうほど、形がドでかい。
生きもののデザインは、同じ脊椎動物、哺乳類など、分類も近いし、そうそう変わらない。
外見からは似ても似つかないかもしれないけれど、その内部構造を支える「すがた・かたち」のデザインは、驚くほど似ている。
似ているということに、「すがた・かたち」の連続を意識する。
同じ生命体として、切れていない連続性を感じる。
色んな骨があり、ある人が見れば全部同じだけれど、ある人が見れば全部違う。
適当に見ると、単に「骨」とか「あたまの骨」でヒトくくりしてしまうけれど、細部はすべて違う。
「命の認識」を見た後、同時開催中の「キュラトリアル・グラフィティ―学術標本の表現」展も、改めてじっくり見なおす。
縄文~室町時代の日本人の頭の骨が置いてある、
ぱっと見ると同じだが、よく見ると微妙に時代と共に連続しながら変化していることに気づく。
同じか違うか。
それは見る側の問題。見られる側に押し付けてはいけない。
全て同じで、全て違う。
全て同じだかから仲良くするし共感する。
全て違うから尊重し大切にするのだろう。
そんな二重性を感じてしまう。
あっという間の展示ではありますが、近距離で本物を見ると、ものすごい実在感を感じます。
朦朧としながら働いていて、職場の人ともあまり会話をしたくないですが、こうして文字を打つのは何故か平気です。笑
本郷の東京大学総合研究博物館でやっている「命の認識」展(~03/28)を見てきた。
この東京大学総合研究博物館は東大構内の端っこにある。
いつも無料で、しかもかなり硬派な展覧会が毎回繰り広げられている。
それなりに見ようと働きかけないと、展示側の熱い思いにはじき返されることもある。
前回やっていたも素晴らしい展示だったなぁ。
→自分の感想:「鉄―137億年の宇宙誌」(2009-08-10)
地球は鉄なんだなぁと改めて実感した。鉄があるから磁場ができる。地球の磁場は目に見えないけど、方位磁針はN極を向き、大航海時代の道しるべだった。
地球の磁場は、宇宙線や放射線や太陽風から地球を守る巨大なバリアとしても働いていたりする。
そんな極大の営みに思いを馳せさせてくれた。
・・・・・・・・・・
これは脱線。
今回の「命の認識」展は、観客に媚びない攻撃的な展示がすごい。
骨が広いワンフロアに並べて置いてあるだけ。
物事には、「すがた・かたち」と「しかけ・しくみ」の見方がある。
「すがた・かたち」は、単にそこにあるがままの世界。石でも風でも・・無生物か生物かなど関係なく、全てを含む。
「しかけ・しくみ」は、理性で解析していく科学的な見方。あるがまま全体を見るというより、分析して分解して部分を見る。
骨がただそこに在る。
「しかけ・しくみ」の見方を拒んでいる。
「すがた・かたち」の世界が、ただ静かに広がっている。
動物の骨は、何も語らず、静かにそこに在るだけ。
そこに何を見て感じるか、それは見る側に自由に開かれていて、答えも正解もない。
ただ、あるがまま。
HPの解説にもシビレル。
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『あなたを苦悩のどん底に陥れる空間を東大の博物館に創ってみたいと思っていた。「命の認識」は、博物館を快楽やサービス提供の場などと称した昨今の悪しき意思を根本から破壊して、そこに個人が命を認識するまでの根源的苦悩の場を広げることを、私が試みたものである。』
===============================
『展示場で快適な時を過ごそうと思うなら、ただ楽しいだけの催事場から丁寧に自然科学や美術を説明してくれる親切な部屋などは無数に存在するのだから、そういうものが好きならばそこを訪ねるのがよい。だが、一たび私の「命の認識」に迷い込んだならば、あなたは、苦悩する孤独な一人に過ぎない。』
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色々な骨が置いてある。
目を見張るのは、巨大なクジラの骨。
肋骨、脊椎・・・基本的にヒトと同じ「かたち」だ。倍率が違うだけで、大きくしただけな印象を受ける。驚くと共に、なんだか笑ってしまうほど、形がドでかい。
生きもののデザインは、同じ脊椎動物、哺乳類など、分類も近いし、そうそう変わらない。
外見からは似ても似つかないかもしれないけれど、その内部構造を支える「すがた・かたち」のデザインは、驚くほど似ている。
似ているということに、「すがた・かたち」の連続を意識する。
同じ生命体として、切れていない連続性を感じる。
色んな骨があり、ある人が見れば全部同じだけれど、ある人が見れば全部違う。
適当に見ると、単に「骨」とか「あたまの骨」でヒトくくりしてしまうけれど、細部はすべて違う。
「命の認識」を見た後、同時開催中の「キュラトリアル・グラフィティ―学術標本の表現」展も、改めてじっくり見なおす。
縄文~室町時代の日本人の頭の骨が置いてある、
ぱっと見ると同じだが、よく見ると微妙に時代と共に連続しながら変化していることに気づく。
同じか違うか。
それは見る側の問題。見られる側に押し付けてはいけない。
全て同じで、全て違う。
全て同じだかから仲良くするし共感する。
全て違うから尊重し大切にするのだろう。
そんな二重性を感じてしまう。
あっという間の展示ではありますが、近距離で本物を見ると、ものすごい実在感を感じます。
お仕事、本当に重労働のようですが、お風邪のほう大丈夫でしょうか。
『「命の認識」に迷い込んだならば、あなたは、苦悩する孤独な一人に過ぎない。』
う~ん、なるほど。
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。
今年もよろしくお願いします。
調子は最悪ですねー。朝から比べてどんどん悪化してますが、当直をしないといけないのが辛い。
本とか読めないので、ぼーっとネット見てると、時間が過ぎていきます。笑
まあ、自分の免疫能力を活性化させるためには、定期的に風邪引いたほうがいいとは思いますけどね。それで当直っていうのが辛いー。
この命の認識見に行った帰り、風邪引きました。衝撃大きかったのかなぁ。汗
せめて、加湿と暖かくして過ごしてください。
すばらしい展覧会ですね。
近くにあるのがうらやましい。
もっとも、考えようによっては自分は激発展の都市展覧会の中に住んでいるような気もしますが。
引き続き、生命についての探究をなさっているようで何よりです。私はニック・レーンの『ミトコンドリアが進化を決めた』を読み始めました。一部で絶賛されているだけあり、刺戟的で面白くなってきました。
そのせいか、最終講義の最後に出てきた「花びらは散る 花は散らない」の花びら=個体、花=DNAのことなのかな、という気がします。
展覧会、上海も色々やってそうだけどー。特に現代アートとか。
わしは現代アートは7割はよくわからんと思うけど、3割はすごく気に入るのがあるって感じです。
古典作品としての絵は、総じてどの時代も好きですけど。
風邪は少し改善してるけど、仕事でバタバタあっちいったりこっち行ったりが多くて、そのエネルギー消費に栄養が取られて、少し治りが遅いかもー。
>>>>>>YUTA様
こちらこそ、先週はお世話になりました!
『ミトコンドリアが進化を決めた』、僕も読んでますー。
ミトコンドリアは好気性細菌、葉緑体は藍藻類?が細胞内共生したっていうのも、1970年代からなんですよね。分子生物学が発展してないときは、根拠なしってことで、あまり相手にされなかったらしいし。
そんな共生してきたミトコンドリアが、自分の細胞内呼吸を担っているっていうのは、不思議ー。
「花びらは散る 花は散らない」の花びら=個体、花=DNA。
そうですね。実態はなくなるけど、情報は消えないというか。
「色即是空、空即是色」を、「花びらは散っても花は散らない 形は滅びても人は死なぬ。」と表現した金子大栄さん(浄土真宗大谷派)は、うまい例えですよねー。好きな言葉です。