観光の新しい話題オーバーツーリズムについて「観光亡国論」(アレックす・カー 中公新書ラクレ)から
オーバーツーリズムが指摘され、土地が高騰している京都において、風情ある町並みの中に安手のホテルが建設される事例が増加しているようです(47p)。こうしたことが起こる一因に某国の投資対象になっていることがあるようです。別に外国人投資を否定する必要もないとは思いますが、観光資源が損なわれては元も子もありません。京都に宿泊施設が足りない現状はあると思いますが、オーバーツーリズムが指摘される中、それほど投資を過熱させる必要があるとは思えません。上がり過ぎた地価は暴落の危険性もあって、安定した成長が望ましいのではないでしょうか。古都京都において某国風の名前での地区開発の話もあるようです。
貴重な町屋が取り壊される事例もあるようで、対策を調べたのですが、文化財保護法や景観法で問題は指摘されていないようです。民泊や旅館業法も新法が成立したばかりで、投資過熱に対する処方箋としての新しい指摘は見当たりませんでした。京都独自の新景観法もあるようです(京都の新景観政策10年 ①高さ規制〜乱立するホテル〜 2017/12/06 京都の現在(いま)を不動産からキリトルWEBサイト)。日本が売りの京都で中国風の名前で再開発のような事例はありえず(46p)、京都において外国(人)街や著しく外国を感じさせる外観の建築物は否定されるべきだと思いますし、安手のホテルの増加も問題かもしれませんが、景観の問題はこれ以上は触れないものとします。
ここで問題としたいのは人々が暮らしを紡ぐ町並みです(50p)。確かに賃貸やホテルが建設された方が短期的には経済発展するかもしれませんが、名所に行く途中に、人々が日常生活を営む風情ある路地や町家が、ご近所づきあいというコミュニティと共に残っているのが京都の魅力そのものではないかという指摘は傾聴に値するものがあるのではないでしょうか。これは恐らく運用の問題で市街化区域に指定し用途地域を定めれば問題は概ね解決するはずです。必要があれば、用途地域の種類を追加してもいいかもしれませんし、特区制度で京都は自由にメニューをつくりかえていいみたいなことを試してみれば面白そうです。奈良なんかも同じかもしれません。
民泊新法の上限の問題に関して言えば、新旅館業法でのカバーがありますが、営業日数の上限が地方に打撃だと指摘されています(54p)。これは検討に値する指摘かもしれません。というのも旅館やホテルとしての設備がなくても、住居としての問題はありません。空き屋問題がありますから、空き屋をそのまま活用して商売できれば、無駄がないと考えることは出来るでしょう。空き屋は使わないと劣化するとも言います。問題は既存の施設との競合です。ですから地域の実情に合わせて営業日数の上限を定められるようにすればいいのでしょう。インバウンドはまだまだ伸びるとも考えられ、需要の拡大に対し無駄ない投資の発想で選択肢を増やす訳です。民泊は基本的には低価格が魅力のようですが、LCCの拡大がありますし、既に混雑しているところなど単価上げる地域や会社や個人と、まだまだこれからで数を追う地域や会社や個人の両方あっていいんじゃないかと考えます。
民伯新法の地方における上限の撤廃で可能になることに例えばアルベルゴ・ディフーゾが挙げられるようです(イタリアの空き家活用法アルベルゴ・ディフーゾ!古民家が何に生まれ変わる? うめぶろ)。>一般的なホテルが1ヶ所の施設でサービスを提供するのに対し、アルベルゴ・ディフーゾは集落内の複数の建物を利用します。~昔からある集落の商店での買い物や地元の食材を使ったレストランでの食事を地元住民とのふれあいと共に楽しめるんですよ〜。
やるんであれば、その村の住人になってみたいと感じるかどうかがポイントなんでしょう。イタリアの場合はスローライフとかそういう売りがあるかもしれません。日本の場合だと村とは言えないかもしれませんが、谷根千で知られる谷中でそういった取り組みがあるとか(東京谷中の街ごとホテル『hanare』日本版アルベルゴ・ディフーゾの実態 うめぶろ)。宿場町の住人w(【岡山】世界初のアルベルゴディフーゾタウン『矢掛町』を訪ねて。)。空き家の活用という観点では離島の可能性もありそうです。移住を多く受け入れている離島なんかが生活に魅力があったり受け入れ態勢があったりするかと思いましたが、空き家があるかどうかは知りません。島根県 中ノ島(隠岐郡 海士町)、長崎県 福江島 (五島市)、香川県 小豆島(土庄町・小豆島町)、鹿児島県 奄美大島(奄美市、龍郷町、瀬戸内町、大和村、宇検村)、新潟県 佐渡島(佐渡市)が離島の移住先としておすすめという声も(離島に移住する先,おすすめマイベスト5はココ! iStay)。移住ですが、離島だと就業時間が短くワークライフバランスがあるという声もあるようです。長時間労働で知られる日本でスローライフを売りにするのであれば、就業時間が短いところの方がノンビリしているとあたりをつけることが出来そうです。何もしない贅沢があると言いますが。自然の美しさ・釣りや農業(体験)なんかは離島の魅力という人もいるようです。人気の離島なんかは住むところがないという話もあって、空き家のある離島で受け入れて態勢があるところを探さないといけないかもしれません。農村生活の魅力で言えば、田舎暮らしで知名度があるイタリアなんかの事例が参考になるのかもしれません(イタリア・トスカーナの田舎に滞在する旅「アグリツーリズモ」を楽しもう! ドコイク?)。さすがに美しい風景ですが、レストランがあるかどうかがポイントのひとつらしく、アルベルゴディフーゾタウンをやる意味に、宿泊施設とレストランの分離なんかはあるのかもしれませんね。古民家を宿泊施設にするのはいいとして、食は?という訳ですが、レストランを共用できればいいと考えられます。泊食分離といいますし。後はワイナリー(酒蔵)見学とか体験観光とかいろいろありそうです。夜は集会所で宴会とか?美しい村で思い出し検索しましたが(日本で最も美しい村連合フォーラム2017でアルベルゴ・ディフーゾについて聞きました(2017.11.15 日伊文化交流会)、地産地消(採れたて野菜とか?)やアクティビティを楽しむらしいです。>日本では伝統家屋の空き家は多く アルベルゴ・ディフーゾにするには問題はないのですが ノウハウが問題で イタリアのように 住民とのアイディアやコンセンサスの共有がまだなく また改築費用は イタリアでは8割が私的に 2割が公的資金で賄われているが やがては家賃収入で回収してゆくとのこと 無償で空き家を貸し出すところもあるそうです。ただ 具体的な質問に答えて会長より 「イタリアでも困難な歴史のあとで成功した」とのお話をいただきました 20州それぞれに異なったアルベルゴ・ディフーゾの法律(legge)があり 16年かかったところもあったそうで 会長はイタリア中を駆けずり回り かけあったとのことです 今は150の自治体にあるのですが 今後も増やす予定で 日本で作るには セオリー上はできるにせよ imprenditorierità(起業家としての能力)が つまりはやる気 意気込みが大切であり 横のネットワーク作りが必要で たとえば家主が若い経営者志望の若者に空き屋を売るか? ローカルガイドの育成等です。日本では今のところは北海道等で 地域活性化策として検討されているとのこと。・・・村の形ってどうなんだろうと思って検索。博物館ですが「村内地図|総合案内板|博物館明治村」
寺は拝観料をとり、神社はとらない問題に関して調べましたが、神宝・社宝が非公開のところが多いのがひとつの原因なのかもしれません。そういえば、仏像・仏画はみたことがあっても、神像や神器って見たことないですね。地域の出土物なんかもどうしているのか知りませんが、博物館をつくるのもいいとは思いますが、神社仏閣に寄贈して管理公開してもらうってやり方もあるんじゃないかという気はします。
縄文杉の入場制限に関して言えば、観光業界からの反発で議会で否決されているようです。入山料徴収の話があったようですが、現状はよくわかりません。縄文杉は保護のため離れたデッキから見るようですが、デッキの修繕もあるでしょうし、そもそも土壌流出対策で入場制限と入山料による整備対策があれば、近くで見ることだって出来るんじゃないかと思います。払うことに反発があるようですが、食い逃げする人やテーマパークで入場料を支払わない人はそうはいない訳で、結局やるかやらないかなんじゃないでしょうか。観光も地元と共存共栄しないと将来性がありません。海外なんかだと大型開発で有名になったはいいが、地元にお金が落ちないなんて例もあるようです(人をつれてきて店を建て本国にお金を送るらしい)。
大山祇神社の宝物は海賊や将軍や大名が奉納したもので歴史的価値が高いというくだりを読んでいて、そういやバッシュってマニアックな人気あるよなと思い出しました。誰かアリーナ近くの博物館に「奉納」すればいいのに。野球のバットやグローブも同じかもしれませんが。本題は神社近くに駐車場を設けて参道が失われたという残念な話です。参道・古民家って山寺とかだったら残りやすいような気も。四国八十八箇所ですが、そういう価値あるものを活かしていくのがやっぱりいいんでしょうね。
パークアンドライドの例で言えば、尾瀬ヶ原の例が載っています(95p~96p)。尾瀬におけるオーバーユースと解決策を参照すると、実際にオーバーユースで貴重な湿原が潰れて回復事業を行ったのような例もあるようです。やはり自然を見に行く観光客が自然を壊すのような話は問題なはずで、受益者負担で守る動きもより考えられていいんじゃないかと思います。名所の景観を守るためにはバスだらけの駐車場が近くにあっては問題ですし、歩くことで周辺に賑わいがもたらされます。
祖谷の古民家は高い稼働率を維持しているようです(114p~116p)。補助金もあるようですが、産業が立派に成り立ってくれれば、下手な対策をするより寧ろ安いかもしれませんし、画一化による効率化では得られない新しい価値も生まれると思います。雇用が生まれますし、地方の工務店にノウハウが蓄積され、相応しい家具が必要ということで家具職人や木工職人にもメリットがあるようです。問題は道を広げるとか大きな駐車場をという発想で、山間の宿に来るお客さんはくねくねした道を通って秘境を訪れ、道中の風景を楽しむことに旅のロマンを感じるようです。愛媛だと久万高原町の大成なんかが秘境っぽい(検索すると人がいなくて不気味だという声すらあるようですが・・・)。
著者が強調する国家によるグランドデザイン=ゾーニング・分別ですが、大型クルーズ船は既に成功した福岡のような(大量の観光客を受けれることが出来る)適地が日本各所にあって(否定はしていません)、(アマミノクロウサギや世界遺産登録の話題がありますが)奄美なんかは環境負荷を考えると、例えば空き家を生かすのであれば、ヨットハーバーが考えられると指摘されています。長時間滞在を目指すクオリティツーリズムがいいという指摘ですが、観光コミュニティという概念(訪れた国の自然や環境・文化に触れ、地元の人の精神的な部分までを理解することこそ観光だという概念)もあるようです。地元の観光地で言えば、道後温泉で「至れり尽くせり」とか?地元の人というか宿泊施設の話メインになるかもしれませんが。文化だったら俳句もありますし、源氏物語とか伊予湯の話も多いようです。道後温泉近くに伊予(中予)の武士の河野氏の湯築城があって(温泉に入ったかどうか知りませんが)、時宗の開祖で盆踊りの起源となった踊り念仏や国宝「一遍上人絵伝」で知られる一遍上人は河野氏の出で、生誕地として宝厳寺が道後にあります。ファンサイトがあって、一遍上人の生き様を描いた映画もあるようです。>一遍上人は熊野成道の後、「信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず」会う人ごとに念仏札を配って、念仏を勧めて諸国を巡りました。信不信を選ばず。信心をもっていようがいまいがかまわないというのは、天台本覚思想の「人は生まれながらにしてすでに悟っている」という考えに基づくものです。・・・丸ごと受け入れるという一種大らかな考え方でしょうか。これを言うということは誰それだからダメという一種差別的な考え方が当時あって、それに対するアンチテーゼの一遍上人が広く受け入れられたということなのかもしれません。熊野信仰を広めたという功績もあるようです。>一遍上人は、四国は伊予(愛媛県)松山の豪族で河野水軍の将・河野家の出身。10歳のとき、母の死に無常を感じて出家。13歳で浄土宗に入門。25歳のとき、父が亡くなり、家督を継ぐために生国に帰り、還俗。豪族武士として生活しますが、33歳で再び出家。3人の尼僧(2人の成人女性と少女1人。妻と娘と下女と思われます)を連れて伊予を出ます。・・・経歴を見るとやはり河野氏/伊予と水軍は大きく関係ありますね。何だか少し王子だった釈迦の要素もあるような。生まれがいいからもあるかもしれませんが、人が生まれながらにして既に悟っているというのは、昨今時折言われている自己肯定感に繋がるような気もします。それを広めて支持されたのですから、現代的な観点で見て再評価されそうなところがファンサイトや映画に繋がったのかもしれません。
著者によると日本にはまだ素晴らしい茅葺き民家が残っているようですが、愛媛で古民家というと瓦葺きになるような気はします(一般的で希少性の問題はあるかもしれませんが)。日本という視点で特に気になったのは檜皮葺(ひわだぶき)です。神道系らしいのですが、例えば和歌山県の寺社なんかであるようです。ヒノキは日本で古くから尊ばれる木ですね。出雲大社とか厳島神社とか錚々たる面々ですが、例えば和風旅館の新しいジャンルを創ってみるなど考えられるかもしれません。
川の再生に関して言えば、肱川が代表的ですが、ここはあえて広見川に触れたいと思います(ダムが現時点でないという意味で)。川エビがいるようなんですが、四万十川のテナガエビと同じでしょうか。川エビって独特でひとつのシンボルになるような気もするんですよね。再生を試み川を中心とした地方振興も(四万十川のように)有り得るんじゃないでしょうか。防災の観点からも鬼北地域が重要な可能性もあります。
オーバーツーリズムが指摘され、土地が高騰している京都において、風情ある町並みの中に安手のホテルが建設される事例が増加しているようです(47p)。こうしたことが起こる一因に某国の投資対象になっていることがあるようです。別に外国人投資を否定する必要もないとは思いますが、観光資源が損なわれては元も子もありません。京都に宿泊施設が足りない現状はあると思いますが、オーバーツーリズムが指摘される中、それほど投資を過熱させる必要があるとは思えません。上がり過ぎた地価は暴落の危険性もあって、安定した成長が望ましいのではないでしょうか。古都京都において某国風の名前での地区開発の話もあるようです。
貴重な町屋が取り壊される事例もあるようで、対策を調べたのですが、文化財保護法や景観法で問題は指摘されていないようです。民泊や旅館業法も新法が成立したばかりで、投資過熱に対する処方箋としての新しい指摘は見当たりませんでした。京都独自の新景観法もあるようです(京都の新景観政策10年 ①高さ規制〜乱立するホテル〜 2017/12/06 京都の現在(いま)を不動産からキリトルWEBサイト)。日本が売りの京都で中国風の名前で再開発のような事例はありえず(46p)、京都において外国(人)街や著しく外国を感じさせる外観の建築物は否定されるべきだと思いますし、安手のホテルの増加も問題かもしれませんが、景観の問題はこれ以上は触れないものとします。
ここで問題としたいのは人々が暮らしを紡ぐ町並みです(50p)。確かに賃貸やホテルが建設された方が短期的には経済発展するかもしれませんが、名所に行く途中に、人々が日常生活を営む風情ある路地や町家が、ご近所づきあいというコミュニティと共に残っているのが京都の魅力そのものではないかという指摘は傾聴に値するものがあるのではないでしょうか。これは恐らく運用の問題で市街化区域に指定し用途地域を定めれば問題は概ね解決するはずです。必要があれば、用途地域の種類を追加してもいいかもしれませんし、特区制度で京都は自由にメニューをつくりかえていいみたいなことを試してみれば面白そうです。奈良なんかも同じかもしれません。
民泊新法の上限の問題に関して言えば、新旅館業法でのカバーがありますが、営業日数の上限が地方に打撃だと指摘されています(54p)。これは検討に値する指摘かもしれません。というのも旅館やホテルとしての設備がなくても、住居としての問題はありません。空き屋問題がありますから、空き屋をそのまま活用して商売できれば、無駄がないと考えることは出来るでしょう。空き屋は使わないと劣化するとも言います。問題は既存の施設との競合です。ですから地域の実情に合わせて営業日数の上限を定められるようにすればいいのでしょう。インバウンドはまだまだ伸びるとも考えられ、需要の拡大に対し無駄ない投資の発想で選択肢を増やす訳です。民泊は基本的には低価格が魅力のようですが、LCCの拡大がありますし、既に混雑しているところなど単価上げる地域や会社や個人と、まだまだこれからで数を追う地域や会社や個人の両方あっていいんじゃないかと考えます。
民伯新法の地方における上限の撤廃で可能になることに例えばアルベルゴ・ディフーゾが挙げられるようです(イタリアの空き家活用法アルベルゴ・ディフーゾ!古民家が何に生まれ変わる? うめぶろ)。>一般的なホテルが1ヶ所の施設でサービスを提供するのに対し、アルベルゴ・ディフーゾは集落内の複数の建物を利用します。~昔からある集落の商店での買い物や地元の食材を使ったレストランでの食事を地元住民とのふれあいと共に楽しめるんですよ〜。
やるんであれば、その村の住人になってみたいと感じるかどうかがポイントなんでしょう。イタリアの場合はスローライフとかそういう売りがあるかもしれません。日本の場合だと村とは言えないかもしれませんが、谷根千で知られる谷中でそういった取り組みがあるとか(東京谷中の街ごとホテル『hanare』日本版アルベルゴ・ディフーゾの実態 うめぶろ)。宿場町の住人w(【岡山】世界初のアルベルゴディフーゾタウン『矢掛町』を訪ねて。)。空き家の活用という観点では離島の可能性もありそうです。移住を多く受け入れている離島なんかが生活に魅力があったり受け入れ態勢があったりするかと思いましたが、空き家があるかどうかは知りません。島根県 中ノ島(隠岐郡 海士町)、長崎県 福江島 (五島市)、香川県 小豆島(土庄町・小豆島町)、鹿児島県 奄美大島(奄美市、龍郷町、瀬戸内町、大和村、宇検村)、新潟県 佐渡島(佐渡市)が離島の移住先としておすすめという声も(離島に移住する先,おすすめマイベスト5はココ! iStay)。移住ですが、離島だと就業時間が短くワークライフバランスがあるという声もあるようです。長時間労働で知られる日本でスローライフを売りにするのであれば、就業時間が短いところの方がノンビリしているとあたりをつけることが出来そうです。何もしない贅沢があると言いますが。自然の美しさ・釣りや農業(体験)なんかは離島の魅力という人もいるようです。人気の離島なんかは住むところがないという話もあって、空き家のある離島で受け入れて態勢があるところを探さないといけないかもしれません。農村生活の魅力で言えば、田舎暮らしで知名度があるイタリアなんかの事例が参考になるのかもしれません(イタリア・トスカーナの田舎に滞在する旅「アグリツーリズモ」を楽しもう! ドコイク?)。さすがに美しい風景ですが、レストランがあるかどうかがポイントのひとつらしく、アルベルゴディフーゾタウンをやる意味に、宿泊施設とレストランの分離なんかはあるのかもしれませんね。古民家を宿泊施設にするのはいいとして、食は?という訳ですが、レストランを共用できればいいと考えられます。泊食分離といいますし。後はワイナリー(酒蔵)見学とか体験観光とかいろいろありそうです。夜は集会所で宴会とか?美しい村で思い出し検索しましたが(日本で最も美しい村連合フォーラム2017でアルベルゴ・ディフーゾについて聞きました(2017.11.15 日伊文化交流会)、地産地消(採れたて野菜とか?)やアクティビティを楽しむらしいです。>日本では伝統家屋の空き家は多く アルベルゴ・ディフーゾにするには問題はないのですが ノウハウが問題で イタリアのように 住民とのアイディアやコンセンサスの共有がまだなく また改築費用は イタリアでは8割が私的に 2割が公的資金で賄われているが やがては家賃収入で回収してゆくとのこと 無償で空き家を貸し出すところもあるそうです。ただ 具体的な質問に答えて会長より 「イタリアでも困難な歴史のあとで成功した」とのお話をいただきました 20州それぞれに異なったアルベルゴ・ディフーゾの法律(legge)があり 16年かかったところもあったそうで 会長はイタリア中を駆けずり回り かけあったとのことです 今は150の自治体にあるのですが 今後も増やす予定で 日本で作るには セオリー上はできるにせよ imprenditorierità(起業家としての能力)が つまりはやる気 意気込みが大切であり 横のネットワーク作りが必要で たとえば家主が若い経営者志望の若者に空き屋を売るか? ローカルガイドの育成等です。日本では今のところは北海道等で 地域活性化策として検討されているとのこと。・・・村の形ってどうなんだろうと思って検索。博物館ですが「村内地図|総合案内板|博物館明治村」
寺は拝観料をとり、神社はとらない問題に関して調べましたが、神宝・社宝が非公開のところが多いのがひとつの原因なのかもしれません。そういえば、仏像・仏画はみたことがあっても、神像や神器って見たことないですね。地域の出土物なんかもどうしているのか知りませんが、博物館をつくるのもいいとは思いますが、神社仏閣に寄贈して管理公開してもらうってやり方もあるんじゃないかという気はします。
縄文杉の入場制限に関して言えば、観光業界からの反発で議会で否決されているようです。入山料徴収の話があったようですが、現状はよくわかりません。縄文杉は保護のため離れたデッキから見るようですが、デッキの修繕もあるでしょうし、そもそも土壌流出対策で入場制限と入山料による整備対策があれば、近くで見ることだって出来るんじゃないかと思います。払うことに反発があるようですが、食い逃げする人やテーマパークで入場料を支払わない人はそうはいない訳で、結局やるかやらないかなんじゃないでしょうか。観光も地元と共存共栄しないと将来性がありません。海外なんかだと大型開発で有名になったはいいが、地元にお金が落ちないなんて例もあるようです(人をつれてきて店を建て本国にお金を送るらしい)。
大山祇神社の宝物は海賊や将軍や大名が奉納したもので歴史的価値が高いというくだりを読んでいて、そういやバッシュってマニアックな人気あるよなと思い出しました。誰かアリーナ近くの博物館に「奉納」すればいいのに。野球のバットやグローブも同じかもしれませんが。本題は神社近くに駐車場を設けて参道が失われたという残念な話です。参道・古民家って山寺とかだったら残りやすいような気も。四国八十八箇所ですが、そういう価値あるものを活かしていくのがやっぱりいいんでしょうね。
パークアンドライドの例で言えば、尾瀬ヶ原の例が載っています(95p~96p)。尾瀬におけるオーバーユースと解決策を参照すると、実際にオーバーユースで貴重な湿原が潰れて回復事業を行ったのような例もあるようです。やはり自然を見に行く観光客が自然を壊すのような話は問題なはずで、受益者負担で守る動きもより考えられていいんじゃないかと思います。名所の景観を守るためにはバスだらけの駐車場が近くにあっては問題ですし、歩くことで周辺に賑わいがもたらされます。
祖谷の古民家は高い稼働率を維持しているようです(114p~116p)。補助金もあるようですが、産業が立派に成り立ってくれれば、下手な対策をするより寧ろ安いかもしれませんし、画一化による効率化では得られない新しい価値も生まれると思います。雇用が生まれますし、地方の工務店にノウハウが蓄積され、相応しい家具が必要ということで家具職人や木工職人にもメリットがあるようです。問題は道を広げるとか大きな駐車場をという発想で、山間の宿に来るお客さんはくねくねした道を通って秘境を訪れ、道中の風景を楽しむことに旅のロマンを感じるようです。愛媛だと久万高原町の大成なんかが秘境っぽい(検索すると人がいなくて不気味だという声すらあるようですが・・・)。
著者が強調する国家によるグランドデザイン=ゾーニング・分別ですが、大型クルーズ船は既に成功した福岡のような(大量の観光客を受けれることが出来る)適地が日本各所にあって(否定はしていません)、(アマミノクロウサギや世界遺産登録の話題がありますが)奄美なんかは環境負荷を考えると、例えば空き家を生かすのであれば、ヨットハーバーが考えられると指摘されています。長時間滞在を目指すクオリティツーリズムがいいという指摘ですが、観光コミュニティという概念(訪れた国の自然や環境・文化に触れ、地元の人の精神的な部分までを理解することこそ観光だという概念)もあるようです。地元の観光地で言えば、道後温泉で「至れり尽くせり」とか?地元の人というか宿泊施設の話メインになるかもしれませんが。文化だったら俳句もありますし、源氏物語とか伊予湯の話も多いようです。道後温泉近くに伊予(中予)の武士の河野氏の湯築城があって(温泉に入ったかどうか知りませんが)、時宗の開祖で盆踊りの起源となった踊り念仏や国宝「一遍上人絵伝」で知られる一遍上人は河野氏の出で、生誕地として宝厳寺が道後にあります。ファンサイトがあって、一遍上人の生き様を描いた映画もあるようです。>一遍上人は熊野成道の後、「信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず」会う人ごとに念仏札を配って、念仏を勧めて諸国を巡りました。信不信を選ばず。信心をもっていようがいまいがかまわないというのは、天台本覚思想の「人は生まれながらにしてすでに悟っている」という考えに基づくものです。・・・丸ごと受け入れるという一種大らかな考え方でしょうか。これを言うということは誰それだからダメという一種差別的な考え方が当時あって、それに対するアンチテーゼの一遍上人が広く受け入れられたということなのかもしれません。熊野信仰を広めたという功績もあるようです。>一遍上人は、四国は伊予(愛媛県)松山の豪族で河野水軍の将・河野家の出身。10歳のとき、母の死に無常を感じて出家。13歳で浄土宗に入門。25歳のとき、父が亡くなり、家督を継ぐために生国に帰り、還俗。豪族武士として生活しますが、33歳で再び出家。3人の尼僧(2人の成人女性と少女1人。妻と娘と下女と思われます)を連れて伊予を出ます。・・・経歴を見るとやはり河野氏/伊予と水軍は大きく関係ありますね。何だか少し王子だった釈迦の要素もあるような。生まれがいいからもあるかもしれませんが、人が生まれながらにして既に悟っているというのは、昨今時折言われている自己肯定感に繋がるような気もします。それを広めて支持されたのですから、現代的な観点で見て再評価されそうなところがファンサイトや映画に繋がったのかもしれません。
著者によると日本にはまだ素晴らしい茅葺き民家が残っているようですが、愛媛で古民家というと瓦葺きになるような気はします(一般的で希少性の問題はあるかもしれませんが)。日本という視点で特に気になったのは檜皮葺(ひわだぶき)です。神道系らしいのですが、例えば和歌山県の寺社なんかであるようです。ヒノキは日本で古くから尊ばれる木ですね。出雲大社とか厳島神社とか錚々たる面々ですが、例えば和風旅館の新しいジャンルを創ってみるなど考えられるかもしれません。
川の再生に関して言えば、肱川が代表的ですが、ここはあえて広見川に触れたいと思います(ダムが現時点でないという意味で)。川エビがいるようなんですが、四万十川のテナガエビと同じでしょうか。川エビって独特でひとつのシンボルになるような気もするんですよね。再生を試み川を中心とした地方振興も(四万十川のように)有り得るんじゃないでしょうか。防災の観点からも鬼北地域が重要な可能性もあります。