観測にまつわる問題

政治ブログです。「保険」「相続」「国民年金」「AIロボット」「運輸エンタメ長時間労働」「GX」を考察予定。

自民党愛媛県連リーダー塾第4講義(岡田直樹参議院議員)(憲法改正)

2018-12-16 18:20:09 | みんなでやろうぜ
「災害派遣 平成30年北海道胆振東部地震について <人命救助活動>」陸上自衛隊ホームページ(http://www.mod.go.jp/gsdf/news/dro/2018/20180906.html)

自民党愛媛県連リーダー塾第4講義(岡田直樹参議院議員)と配布資料を元に記事を作成します(>に続く部分は講義・資料の引用・要約、改行してですます調が筆者の意見)。

憲法改正案(1)自衛隊明記案

>①合憲という憲法学者が少なく、②中学校の大半の教科書(7社中6社)が違憲論に触れ、③国会に議席を持つ政党に違憲を主張するもの(注:共産党)があることを問題視し、自衛隊違憲論を解消するのが狙い。

これまであまり強調されておらず、なおかつ重要と考えられる視点は②の中学校教科書だと考えられます。義務教育教科書で憲法違反の疑いもあると明記されてしまう組織のモチベーション維持は難しいのではないでしょうか(教科書そのままの真面目な人ほど憲法学を学んだ人や某党党員に憲法違反と決め付けられて、そういう考え方もありますが~と答えることになると考えられます)。戦後、長く日本の平和を守ってきた自衛隊を正当に評価する必要があると思います。

憲法学は大学で勿論講義されますし、これまた教科書通りの真面目な人ほど、自衛隊=違憲だという考えを持つことになるとも考えられます(ただし政府見解は合憲なので政府関係者は異なるところがあるかもしれません)。別に教科書が間違っていたら書き換えればいいのですが(通説も時に間違います)、学校で学んだことこそ間違っていたというのは可哀相な話ではあると思います。

最高裁判所もそうそう自衛隊のような組織を違憲とはしないと思いますが、憲法学者の違憲を無視して当たり前というのも、あまり健全な話とも思えません。ちなみに憲法学者や某政党が幾ら違憲と決め付けたところで、政府見解こそ合憲であって、それに直接的に覆せる権限があるのは、最高裁判所のみということになります(後に取り上げますが一票の格差が最高裁判所に違憲状態と判決されて合区と相成りました。自民党政府・安倍政権が憲法に従っていない論は完全なるデマです)。ですから、そうそうないとは思われますが、(時折地裁の変な判決が話題になりますが)最高裁判所が憲法学者の大勢に従って、自衛隊は違憲などと判決されてしまうと、政府は自衛隊解散に向けて動かなければならないということになります。これは勿論望ましい状態ではなく、自衛隊明記論は正に必要性に基づくものです。

資料を見てもいろいろな案があったようですが、目的は違憲論を解消するためであり、国会の情勢を考え、加憲論で行こうというのが現行案です。

個人的にはこれまでの政府解釈のキーワード「必要最小限度の実力組織」は、必要に最小をつけるのは望ましくないと考えており、現行案が良いと思います。必要であれば必要なだけ素直に安全保障すればいいと思うんですよね。率直に言って。何でわざわざ必要なのに最小でなければならないのかという(どちらかと言えば、必要の範囲内で最大限にしたいぐらいです)。実際問題、安全保障というのは常に相手の戦力を知る状態になく、従って必要の範囲すら不明確なところもあって、ある程度余裕を持つ必要もありますから、その中で最小に真面目に拘ったらやってられないんじゃないかと思います。自衛隊のような組織が論理的につっこまれる事態は極力避けたいものです。ただし、政治的実現性に鑑み加憲論ということであれば、これまで通り勿論一定の制約がないという訳ではありません。論理的には憲法上も自衛権は否定されておらず、自衛隊が明記されれば、勿論自衛の範囲で違憲論は払拭できると考えられます(現在でも世界には時に自衛に見えない戦争が開始されることがあり、自衛権に限る政策的意味は十分あります。日本の現在の安全保障環境はそのような戦争に加わることを許さないと考えられ、近隣に急成長する強大な国を控え遠征する余裕もさして無い日本において、この程度の改憲でもまずまず妥当であるとも考えられます。個人的な好みは全面改訂でスッキリさせたいですが、要は実際に発議されることが重要です)。

憲法96条に規定がありますから、改憲それ自体は常に合憲です(実際に発議するための法律「日本国憲法の改正手続に関する法律」は安倍第一次政権下で成立しました)(ただし、最高裁判所が(憲法ではなく)法律を違憲だと判断することはあります)。また、憲法それ自体も合憲というか、どんな変な条文でも無謬ということになります(ですから、変な条文は改正しようというのが、そもそものあるべき筋であり、だからこそ憲法改正しようという話になっています)(99条憲法尊重擁護の義務の存在を考えると、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、日本国憲法を尊重し擁護する義務を負うんだそうです。安倍総理や国会議員が変というかスッキリしないことを言っていると思う時は、この辺の事情があるのかもしれません。国民としては変な条文は変だと思いますがね)。

敵基地攻撃論は、事前に攻撃を察知し敵を叩き潰す理論上は素晴らしい考えですが、実際問題例えばミサイル攻撃される前に察知し、なおかつ攻撃される前に叩き潰すのは難しいとも考えられます。費用対効果を考えても日本は打ち出の小槌を持っている訳ではありません。

後、自衛の定義ですが、憲法上は明確ではなく、人命の損失では必ずしも無く、領空・領海等を含む領土侵犯を理由に自衛権を発動できるんじゃないかと思います。そうしないと例えば、明らかに首相官邸や皇居を狙った戦闘機を事前に安全なところで撃墜できません。

集団的自衛権も自衛隊と日米同盟を考えると、キチンと認められるべきでしょう。例えば、日本の規定に準じてアメリカの領空・領海等が侵犯されて戦争が始まったらほぼ自動参戦すべきです(それをやったのは日本ぐらいしか記憶にありませんが)。これは拡大抑止を考えると、安全保障政策上必須だと言える話です(つまりミサイル攻撃も想定すべきで、ゆえにミサイル防衛政策も同盟国の政策と密接に連動する可能性を否定できません)。テロに対して自衛権を発動できるかは解釈の余地があると思います。

宇宙は宇宙条約で領有を禁止されています。

サイバー空間は良く分かりませんが、電線・電力会社と同じ扱いで、ケーブルやサーバーが扱われるんじゃないかと思います。

邦人保護ですが、やはり例えば犯罪組織の誘拐に対して自衛権で戦争という話は聞いたことありません。治安の話は治安の話で、自衛隊は対軍隊の組織だと本来的には明快に定義されるべきです。しかしながら、災害救助で派遣されますように、本来業務でない仕事ができないという訳でもありません。微妙なのが、日本及び同盟国の領域外での戦争に巻き込まれる事態です。これは憲法上、当然避けるべきで、万一偶発的事件に巻き込まれたら、可及的速やかに撤退すべきということになります。ただし、平和安全法制に定める掃海業務等は要するに(海の)地雷除去ですから本来的業務である自衛戦争と認定せず領域外で実行できると考えられます。(後方での)治安維持みたいなものですね。言い訳めいていると思われるかもしれませんが、こうした話は意外に重要で、自衛隊はマルチな能力を持っていますし、当然そういう実力組織であるべきですが、自衛隊が自衛を旨とする限りは、領域外での戦争に適した装備体系を有することなく、従ってそのような計画を持たないと考えられます。マルチな海外活動はそういう現行体制に基づき、必要に応じて実行できると考えられます。自衛隊という実力組織は自衛専門隊ではありませんが、自衛を明記しているがゆえに、明らかに自衛でない戦争を目的としないし、実際行わない(理論上は巻き込まれる可能性はゼロにはならないが撤退すべき)と考えられます。

集団安全保障は自衛隊である限り、難しいかもしれません。例えば、小国が攻撃されて参戦する時、自衛だと言えるのかという話です。参戦することで自ら危険に飛び込んでいる可能性が否定できません。日米同盟の場合は必ずしもそうではなく、やはり核時代・ミサイル時代ということを考えると、アメリカと連動して自衛することは、自衛そのものだと言い切ることが出来ます。(そんなことは無さそうですが)アメリカが滅べば、日本を核ミサイルから守る必要不可欠な戦力が消えることになります(勿論第一に自衛隊が日本を守ることは言うまでもありません)。これが国防軍だと国を守るという理由で集団安全保障できるかもしれません。何故なら、集団安全保障した方が理論上、国は安全になるからです。自衛は自警=Vigilanteと護衛=escortとと同じ漢字をそれぞれ使っており、自分すなわち自国を守るというニュアンスです。つまり他国を守るのは自国を守ることと密接に関連しない限り、難しいとも考えられます。国防の場合は自国ではなく日本国を守るという意味でより広い意味だと受け取る余地があります。

また、自衛で敵国の根拠地を叩くことは可能だと思います(先制攻撃はアウトであるにせよ)。実際問題、敵国の侵略により戦争が始まってしまえば、講和するまでは敵国を攻撃するより他ありません。相手が侵入するまでテリトリーで待つみたいな妙ちきりんな(実力が無い)話にはならないと考えます。例えば自警団の領域を攻撃した盗賊団を領域外でも反撃で襲撃しないというようなことが有り得るでしょうか?逃げ出したら回復してまた来るまで待ちぼうけるんでしょうか?アホクサ過ぎますね。そんなことでは到底講和できず平和を守ること等できそうにありません。

しかしながら、相手国を占領するとなると微妙な話になってきます。結果的にと言えど、日本が拡大するきっかけになりません。ですから、例えば盗賊団を叩いて陣地に乗り込み降伏させたとしても、撤退前提の話になるんだろうと思います。

もうひとつ、政府解釈に関してですが、基本的には自由に解釈できると筆者は思っています。ただし、変な解釈だと最高裁判所にやられるという話ではないでしょうか?(だからこそ変な解釈をしない)・・・立法や行政は憲法解釈について歯止めになる主体では理論上そもそも無いと思います。行政が憲法解釈と言うと変な話に聞こえるかもしれませんが、法律は実際のところ所轄の行政府が存在します。憲法解釈というのは(所轄の行政府がある)法律に絡んで憲法を解釈するという話で、憲法の条文そのものの論争は立法の領域です。憲法自体は行政府は当然決めていません。憲法に基づき法律が定められ、これに政府は関係します。これで一定の住み分けは存在していると言えます。立法府が解釈するというのは、選挙も経てメンバーもちょいちょい変わる上、衆議院・参議院もあるのに事実上誰が解釈するって話になりませんかね?内閣法制局の議論があるのは承知していますが、総理が大臣を任命しており、絶対的に有り得ない話でもないと思いますが、責任主体は政治家つまり総理や大臣であって、官僚が決めたら政治家が従うという話ではないんだろうと思います。

憲法解釈がコロコロ変わると安定性が損なわれるという話はあります。ですが、政権が変わって憲法解釈を絶対的に固定するなら、選挙をする意味そのものがありません。何を持って政権が変わったと言えるかと言えば、いろいろな解釈があると思いますが、絶対的に属人的・属党的でもなく、選挙で政権交代が争われたかになるんじゃないでしょうか?(政権交代を掲げる政党が必要かは微妙な話です)つまり第一次安倍政権と第二次安倍政権以降は異なる政府解釈が出来、第二次安倍政権以降、衆議院選挙を伴う安倍政権外の(自民党政権含む)政権が樹立しない限り、政府解釈は変えられないということになると考えられます。安倍政権は第二次政権以降は政権の継続を掲げて選挙を戦ったのですから、政府解釈は変えられないと思います(というより、理論上は可能ですが、選挙で問うことが通常無いと思われます。同じリーダーが継続を求めて選挙を戦うからです。政府解釈の変更を問う必要がある大きな事件があった場合は、解散して問うのが筋なのでしょう)。ですが、第二次政権は政権交代を求めて選挙を行っており(直接選挙で問うたか否に関わらず、平和安全法制はつまり民主党政権を経ており(つまり大きな変化を求められ交代しており)、第一次安倍政権を含む麻生政権以前の解釈を引き継ぐ必要があると思えません)、属人的に解釈を固定する必要があると思えません。国民主権な訳ですから。安倍政権が総辞職して別の自民党政権が成立したら、選挙を経ておらず政府解釈を固定する必要があると思いますが、選挙を経たら(微妙な部分もありますが、選挙で問えばリーダーが変わっていますから)政府解釈を国民主権で変えられると思います。これは引き継いで政権交代したか、自力で政権交代したかの違いです。事実上、こうした流れに参院選は絡まないのも当然です。ハッキリ言って、自民党政権だから、同じ人がやっているからというだけで、永遠に政府解釈が変えられないなら、選挙で議論する意味がありませんし、リーダーを変える意味もありません。任期制の大統領制の方が明快ですが、副大統領が緊急に引き継げば、政府解釈を変えられず、同じ大統領が選挙を経ても(自分で定めていない)憲法の政府解釈を変える必要が通常無く(大統領令は大統領の権限で常に変えられるような気がします)、同じ党の別の大統領なら憲法の政府解釈を変えに行く可能性が(同じ考えの党ですから低いながら)あるということでしょうか。まぁそもそも憲法を変えてきた国と憲法を変えてきていない国のありかたが違う可能性もあるかもしれませんが、念のため。・・・というより、本当は解釈を変えるのではなく、政権交代どうこう以前に憲法を改正して対応するのが本筋なんですが。政権交代による政府解釈変更は確かに脇道ではあるんですが、憲法改正反対こそ明快に96条・99条違反という訳です(更に言えば、国会議員・公党の安倍政権下での~は法の下の平等を定めた14条及び99条違反の可能性が濃厚です。ただ、それを裁く法律が存在しないんでしょう。憲法改正規定も第一次安倍政権までは事実上空文でした)。

最後に軍法に関しては、実際問題自衛のための実力組織に必要だと筆者は思っています。日本国憲法において(自衛隊員含む)国民は基本的人権を持ちますが、陸上自衛隊員が基本的人権を持つことを主張し、自由に戦線離脱するようでは問題外です(罰則が緩いと命惜しさに理論上無いと言えません)。自衛隊が明記されて違憲論が払拭されれば、公共の福祉やあるいは新設した緊急事態条項を根拠に基本的人権の当然の制約も可能になってくるでしょうし、最高裁判所も容易に違憲判決してこないような気もしますが、残念ながら特別裁判所を禁じた76条が問題になるようです。

憲法改正案(2)緊急事態条項

>世界各国において緊急事態対応が立法化された背景には、例えば独仏でナチスや分断の歴史があって内乱・テロに対応している。日本国憲法においては、参議院の緊急集会のみ54条で定め、災害や有事といった緊急事態対応は個別に法律で対応してきた。日本では有史以来、巨大地震や津波が発生しており、緊急事態条項を制定することにより、①国会機能の維持、②国会機能が確保できない場合、行政権限で対応する必要がある。

東日本大震災の例で民法云々の議論があったように記憶していますが、配布資料には書かれていません。恐らく大規模だからといってこれまでの災害対策法で対応できない事態(権利の制限)を想定しにくいのかもしれません。また、東日本大震災を考えると、南海トラフ大地震でも同様だろうと思います。

ただ、選挙の時期の問題等あると思います。選挙どころではない災害が起きた時、憲法に明記されている国会関連の選挙をどうするかという問題に対して法律で対応するのは困難です。

また、特に首都直下地震についてよくよく考える必要があると思います。国会も行政府も首都にあります。ですから、共にやられる事態すらあります。大規模テロや内乱・武力対応も同様ですが、首都機能麻痺に対して政府が首都に集中する以上、現行憲法で緊急事態で対応できない可能性が否定できません。地方政府の壊滅で地方自治に関する事態も政府で対応できるのか考える必要があるかもしれません。あるいは緊急事態とは憲法に明記されているものが機能不全に陥った場合どうするということなのかもしれません。

具体的には例えば37条国会が唯一の立法機関という規定に対して、緊急事態には国会の代わりに行政が臨時に同様の「立法」をするようなことは考えられますが(結局のところ、憲法の条項間の矛盾は判断根拠が存在しませんから理論上存在しえないと言えます。この場合あえて37条を残す意味は行政等が勝手に国会機能を創造することを防ぐ意味があると考えられます)、行政が同時に麻痺することも想定しないとリアリティが欠如する可能性があると思います。この場合、例えば行政機能を何処か別の場所に臨時で確保できれば、永田町・霞ヶ関周辺の麻痺に対応できるのような。

国民の権利制限に関しては、以前触れたことがあるような気もしますが、公共の福祉の文言修正などは考えられるかもしれませんが、これまで災害関連の法律等で対応してきたので、何故今までの理論では駄目なのか明快に説明する必要があるんだろうと思います。そうでないと、今までやれなかったこととは?で変な想定をされる余地が出てきて(テロ等準備罪でもそうでしたが、ありもしないデマが流れて(実際全くテレビで言われているような事態は起きませんでしたが、説得力があったか世論の批判は結構あって法律の制定は困難でした。憲法改正のハードルの高さは目もくらみます)、憲法改正が困難になる事態も考えられると思います。

憲法改正案(3)合区・地方公共団体

>人口の減少と一極集中の歯止めがかからない現状で今後も人口比例による一票の格差の是正が図られることになれば、合区の制定により自治体間の不公平感等生まれてくる事態が考えられる。また、憲法規定に地方公共団体の規定はあっても、基礎自治体と広域の地方自治体の規定は存在しない。

後段は特に重要な指摘だと思います。アメリカの州のような憲法上の規定がないから、合区誕生と相成った可能性があると思います。広域の地方自治体と書き、都道府県と書かないのは、道州制が看板の政党に参加の可能性を残すためのようです。筆者はやはり無闇に自治体を分断したり、くっつけたりするのは不公平感の元だと思います。多少一票の格差が出てくるとしても、自治体の一体性は極力守るべきで、そのために憲法改正が必要だという訳です。何でもアメリカではありませんが、一票の格差って何って?いう感じの国もあります(上院)。合衆国ですから分断したり、くっつけたりする訳にはいかないということでしょうが。

山陰の鳥取・島根も問題だとは思いますが、高知・徳島に至っては、結構山塊で分断されており、四県バラバラで四国だという話なのに、一緒に1人ねで悲しい話になっています。二線級であるかのような。

筆者は議員を減らすべきとは言いませんが、減らせば減らすほどこうした問題は出てきます。衆議院と参議院で一票の格差の判断基準が違いますが、その理論的根拠もよく分からない感じです。元々の議員数の違いだけのような。2倍を超えないならまだしも、参議院の3倍まで平等の理論的根拠もよく分からないですしね(合区すべきと全く思っておらず、その逆ですが)。

大都市民は地方が無茶な利益誘導をするとあるいは思っているのかもしれませんが、今時、そんなことは難しくなっており、キチンと計算されていると思います。仮にそうでないところがあるとしても、無理な投資を戒めるためにも、大都市の側も自治体間の明快に不平等な扱いを容認して、過剰な不公平感を煽るべきではないと思います。地方自治体とは何か、実際に二層構造なのですが、憲法上明記することで、同じ階層どうしにおいて、個別の不平等の扱いを抑止しやすくなると思います。高知県も徳島県は存在していますが、高知県+徳島県という団体は存在していません。国会議員は立法府であるとしても、実際問題地域の一体性とは概ね自治体の一体性を指すのであって、国会議員は選挙区、すなわち地方の代表だという側面があります。

東京の小さな区部に一杯議員がいるような事態こそ無駄そのものと言えるのかもしれません。なんとか区代表(区も分断・結合されており必ずしも代表ではないんですが)に対して、高知と徳島はセットで1人みたいな。いや、選挙区のイメージや特性・形みたいなものって結構重要で、人口比で適当な組み合わせでやられると、地域の声を届けるのが難しくなる側面もあるだろうと思います。

憲法改正案(4)教育充実

>義務教育の無償化の規定はあるが、憲法制定から70年が経過する中で、経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保と明記する必要がある。また、憲法89条私学助成禁止と読める規定は改定することが望ましい。

高校無償化は憲法規定はありません。高校進学率の高さから準義務教育と言える状況であってもです。義務ではないにせよ、経済的理由で高校進学を諦めるという人がいたら日本の人的損失と言えるのかもしれません。個別に法律の制定は可能かもしれませんが、明記していなかったからこそ、戦後長らく高校の無償化が無かったとも考えられます。その他、進学率が高まった現在の状況を常に考える必要もあるということでしょう。

また、普通の読み方で私学助成禁止と読める条文は問題あるも考えられます。最高裁判所も憲法学者も何処かの政党も教科書も意外と柔軟というか、ある種の人々に優しいところがあるのかもしれませんが、やはり普通に読める憲法こそが国民の憲法と言えると思います。

戦後保守主義のあるべき国家観(深化と開拓)

2018-12-16 14:46:28 | 政治システム・理論
日本の国旗(パブリック・ドメイン)

自由保守主義(ウィキペディア 2018/12/16)なる政治思想があるようです。伝統主義的な思想とは一線を画し、私的所有権や市場経済など経済的自由や個人的自由を最重視する右派なのだそうです。

自由主義だと言われることもある筆者はこれに近いところもあるのかもしれません。

でも私的所有権を重視するのって当たり前じゃないですか?人のものはみんなものという共同体主義が一方にあるのかもしれませんが、幾らなんでも現代においてそんな考え方で国家は成り立たないだろうと思います。別に私的所有権を最重要視して何でも自分のものと主張している訳では全くありませんが、筆者には私的所有権はごくごく基本的な考えだろうと思っています。今更入会権(村落共同体等が、一定の主として山林原野において土地を総有などし、伐木・採草・キノコ狩りのなどの共同利用を行う慣習的な物権)も何もないというか、保守主義を掲げてそう言い切ってしまうことにリスクはあるのかもしれませんが、とにかく、ごく普通の政策を言っているだけで、ある種の方から反発されるような事態こそどうかしているんじゃないかと思えて仕方ありません。多分普通のことを言っている方が今では特殊な考えの人々の強いモチベーションで攻撃されているんじゃないでしょうか?そもそも反~にあまり良いものがあるとは思えません。例えば反安倍とか反自民とかもう何を言っているか分からない感じですし。

市場主義経済も市場原理主義と言われて、強い反発の対象になりやすいのは理解しています。ただ、経済を普通に成長させようとして、市場経済を全く無視することは出来ません。行き過ぎを戒めるのは問題ないと思いますが、必ずしもそう言われている訳ではなく、社会主義や共産主義的な特殊な人々、経済音痴な人々に感情的反発を受けているだけではなくいかと思うこともあります。何でもよく分からず、極論で反発するべきではないと個人的に思うことはしばしばあります。

議論してこれこれこうなら、別に構いません。でも、現実にはムードで決まって議論無しが多い気がします。反論すると、言い訳・全てが・明らかにで一切説明せず、攻撃一本槍の人って実際多いんです。これは実際のところ、恐ろしい話です。理性で全てが片がつくとは思いませんし、全て一々議論すべきではなく経験でサクサクことを進めることも重要だと思いますが、一時の感情に流され議論をつくさず謎判断で失敗すると後悔してもしきれないんじゃないでしょうか。現代では技術の発展が加速し、世の中の変化はこれまでの歴史環境の中でかなり早い部類だと考えられます。これまでの経験に頼っていれば、概ね問題なかった昔とは状況が全く異なっているだろうと考えられます。特に日本はお手本があってキャッチアップすればいいという国では必ずしもありません。自分の国を自分達で考える必要があって、特に立法(議員)は然るべき手順で議論し物事を決めることが重要なんだろうと思います。何となくムードで結論を決めてしまうというようなことが実はあって、ムードの側から見て正反対にムードで物事を決める方が少なくとも政治においては×なんだろうと考えます。別にイメージや感情を重要視するなと言っている訳では全くありませんが、そちらがわの暴走が目立つ印象です。

結局のところに集団に脳は存在せず、脳は個人に存在しています。ですから、考えと言うものは全て個人の脳から生まれていると言えます。みんなは反論しません。考える脳がありませんから。あるのは結論への異議に対する叩きのみです。然るべき結論が然るべき手順で決まったら、当然従うべきですが、どうもそういうことを言っているのではなく、暴走した感情があるべき議論・手順を消しに行っているように見えます。

そういう訳で少なくとも経済や法律の世界では概ね一種の自由主義的考え方が一般的だし、そうしなければ国自体成り立たないんだろうと思います。これは日本においては明治維新の頃、近代国家を樹立させて以降の基本的な潮流だと考えられます。旧軍の暴走は言われるところですが、どうも戦史やそれに至る過程を概観するに、議論を尽くした形跡がなく、強硬な雰囲気に引き摺られた印象もあって、それに対する意識的警戒は必ず必要なんじゃないかと思えます。失敗を全て他者のせいにして自らは反省しないならば、また同じ失敗をしてまた人のせいにするんじゃないでしょうか。判断は間違う時はありますが、強硬な雰囲気が場を支配し強硬だけが正義になった時、その結論を受け入れられない他の集団と必ず衝突し、やがて破局に向かうのではないでしょうか?完璧な判断はありませんが、せめてベターな判断をくだせるように努めるのが当然なんだろうと思います。

以上のような考え方から、筆者は左右に関係なく、集団主義による政治(合議制ではない、というのもその集団(組織を指しフワっとした概念を指さない)に属さない個人や集団に対してその集団?の結論を強要するような動きが時折みられるからです)・雰囲気だけの政治の方こそが当人達の考え方と逆に有り得ないんだろうと思っています。ゆえに集団主義対個人主義で保守リベラルを分けようという一切の考え方等徹底反対します。そんなもの国柄を一々政治で変えてられませんし、近代国家ではない何処かの隔離された共同体でやりたきゃやればいいんじゃないですか。あるいは前近代が好きなら、好きなところに移住すればいいじゃないですか。そんなことは言ってないつもりかもしれませんが、だとしたら普通のことを主張して問題視される理由がありません。どちらの議論が妥当か議論があればいいですが、それを認められない側こそ逆に問題のはずです。

日本国憲法改正に対する反対が根強いのも、こうした反省がないように見えることが反映している可能性もあります。失敗は失敗だし、TPOはありますが、反対があったら然るべき手順で反対しても当然良い。こういう当たり前の考えがあるいは出来ていないから、また失敗すると思われている可能性が無いとも言えません。まぁガラっと体制を変えることに(失敗したらアプローチを変えるのは当たり前ですが)反対する筆者は保守主義者だと思いますが、とにかく筆者は近代国家に生まれたのであって、そちらが普通。そうでないものが異常だという考えです。安倍だから反対、基準は反安倍か否かみたいな暴論に与する訳にはいきませんが、そのような主張というか、暴走をする方々が政治に結構いらっしゃり、それなりに力を持っているところが頭の痛いところです。ですから、戦前のことでも是々非々。建前論だとしても、必ず守られるべきです。それが守られないように誤解されるような憲法改正は上手くいかないだろうと思っています。

ところで、ここまで書いて筆者は集団主義なるものを必ずしも全否定している訳ではありません。完全に個人主義だと頑張らないのが正義みたいな結論に結構陥り易いと考えられます。自分が頑張らない方が得だと思えば、完全な個人主義においてそれが正義になるからです。人は必ずしも個人だけで生きられる訳ではなく、いろいろな性格を持つ組織等に属して生きています。その最たるものが国家であったり、地域共同体であったり、会社であったり、家族であったりそういうものです。それ個別に様々な考え方が有り得るでしょうが、気をつけなければならないのが、集団主義を掲げれば何でも正義になる訳ではないということです。ここでは個別に詳細を見ることはしませんが、ひとつだけ軍隊・治安維持組織等についてだけ検討するものとします。

軍隊は当然命をかける仕事です。これは実際のところ個人主義では成り立ちそうもなく、それは近代国家においても例外では無さそうです。何故なら、完全な個人主義において命は至上の価値を持ち、命をかける選択肢が存在しないからです。個人主義的な軍隊ほど当然壊走しがちで戦争に負けがちだと考えられます。今は技術が高度に発達していますが、基本的な考え方が通用しなくなっている訳ではありません。北朝鮮なんかもマスゲームを誇示しますが、あれは先軍政治で強い国家をアピールする意味もあるのかもしれません(そんな面倒なだけの国を誰が攻めるのかという話でもありますが)。それはともかく先進国においても同様で、やはり軍隊組織が必要である以上(日本だけ無くしても他所の国に攻められ日本だけが滅亡するのは火をみるより明らかです)、軍人は命をかけなければどうしようもなく、ゆえに個人主義はほぼ成り立たないと考えられ、だからこその愛国心で、人の生死が関わる以上、全く宗教と無縁という訳にもいかないということになります。軍法が存在するのもそうした絡みでしょう。持ち場を離れる兵士がいたら、そこから部隊は全滅しえます。個人主義で命が惜しいを理解する訳にはいかず、軍法会議で悪質なものは射殺すら有り得るのが寧ろ当然で、そうならないよう訓練するということなのでしょう。

先進各国の軍隊は全て同様と思いますが、自衛隊も当然に集団主義的で軍法があって精強な組織を目指さねば意味がありません。自衛隊を認めるというのはすなわちそういうことだと思います。ただ、問題もあって、近代国家は先に述べたように軍隊だけでは当然成り立たず、寧ろ個人主義の方を基礎にする必要があります。強い会社もいいですが、会社のために命をかけろだとか、怖すぎますよね。強い経済なくして強い軍隊もない訳ですし(世界で一番の経済大国かつ軍事大国はどういう成り立ちでどういう考え方の国でしょうか)。会社も利潤を得ることが目的ですから、会社至上で奴隷労働を是としたら、上がる給与もあがりませんし、余裕がありすぎれば単に会社を守る貯蓄ばかりの守りの経営で経済が冷え込むとも考えられます。いずれにせよ、極めて特殊な例を除けば、集団主義による法治国家など有り得ません。憲法は国家において最重要の法律です。ここのところの基礎はシッカリ押さえて誤解無いようにしなければなりません。

自衛隊は先の大戦の経緯の反省に基づけば、あるいは先進各国同様の事例を参考にすれば、文民統制(シビリアンコントロール)でなければならないということになるでしょう。自衛隊の集団主義や軍法の新設を認めていくと共に、主客の逆転は無いということも確認しておかなければなりません(誤解のないよう何らかの形でかつて戦前にそういう動きがあったことを率直に認めて然るべきなんだろうと思います)。雰囲気だけで物事を決めると行き過ぎで有り得ない結論が是になりがちだから怖い訳です。

靖国神社も同様の文脈で確認されるべきです。全て是で無批判はどうかと思いますが、個別の事情に応じた流儀もありますし、いずれにせよ、兵士が命をかけ当然死ぬことも有り得る(訓練においても)ことは当然の話であって、当然宗教の話もないということにはなりません。原理主義的な政教分離など凡そどの先進各国にも存在しません。タブー化して議論を全くしない時点で全てアウトです。程度問題や個別の事情は有り得ますが(勿論葬式で議論を始めるの類は全く有り得ない話です)。当たり前のことを徹底すべきですが、意外にもというか、戦前の反動で平和に偏り過ぎたかのような異常な議論が罷り通ってきたのが戦後レジームであり、結果自衛隊が憲法学者7割違憲みたいな状況に陥り、当たり前のことを当たり前にしようという流れになっているんだろうと思います。

命をかけるということにおいて、治安維持の組織も同様のところもあります。消防なんかも同様ですが、軍隊のように軍法までは必要ないにせよ、犯人が怖いから個人の責任において逃げるとか、火が怖いから個人の責任において必要な活動を拒否するなんてことは有り得ません。緊急事態に所定の手続きを踏めないということも当然に十分検討されるべきであり、既に治安関連や消防関連の法律に例外を認めるところはあるんだろうと思います。その憲法的根拠の代表例が所謂(左と呼ばれる方々が嫌いがちな)公共の福祉です。

結局のところ、日本の戦後保守主義とは明治維新=近代国家に基礎をおいて(皇室を筆頭に連綿たる伝統を持つ古い国ではありますが制度面で)、戦前の失敗を踏まえ、戦後の反動を正常化していく動きになるんだろうと思います。なおかつ、停滞し始めた経済を再び成長軌道にのせる試みにチャレンジしなければ、先がありません。東アジアにはテロ国家の核武装という問題や、既存の体制にチャレンジする独裁大国の急成長と領土侵略というキナ臭いファクターが明快に存在しており、見なければ存在しなくなるという訳では勿論なく、冷静に現実を見て問題に対処していく必要性がどうしてもあります(更に言えば人は感情の無いマシーンでもありません)。

日本政治における保守とは当然にこうした全てを包摂するものでなくてはならないと筆者は考えています。政権交代を絶対的に否と筆者はしませんが(ハッキリ言って自分は政権交代論を全く応援したことなく、それどころか逆に実際問題結構頑強に反対してきた事実が存在しますが、そういう考えの政党があっていいんだろうとは思っています)、変な偏りで(感情が暴走したか安倍政権だから話さないのような)有り得ない話を是とする訳にはいかないと確信しています。守るべきは当然日本であり日本国民です(外国人の権利も国際社会の中で、政治的権利など自国民と全く同じではないにせよ、認められる必要があります。念のため)。個別の問題に異論はあるのが当然ですが、こうした総論の方向性に異論はちょっと考えにくい気もしていますが、いずれにせよ、何らかの形で異なる政治的立場や政党を必ずしも禁止するというような国では戦後ずっと日本はありませんし、少なくとも筆者が改めてそういう方向にしようと企んでいる訳では全くありません。

旭日旗ですが、筆者は否定しませんし、寧ろ肯定的に受け止めてはいますが、上記の事情で扱いに気をつけるべきところはあるように思っています。つまりあまり強調して日本第一の旗であるかのように見られれば、軍部が(旭日旗は戦前軍旗でもあった)政治を支配し主客転倒した戦前の失敗をそのまま肯定する動きと同一視される危険性があります。ですから、第一にアピールすべきは日本国の旗、日章旗です。

サウジアラビアの世界都市ジッダ

2018-12-15 05:52:55 | 世界史地理観光
ジッダの古い門(ウィキペディア「ジッダ」2018/12/15 パブリックドメイン)

ジッダはサウジアラビアのメッカ近郊の紅海に臨む世界都市で首都リヤドに次ぐ人口を誇ります。

ジッダはメッカ巡礼の中継点として繁栄。ハッジ(The Japanese Association, Singapore)(大巡礼)の時期にはジッダ港(NAVERまとめ)(世界コンテナ港ランキング25位)やキング・アブドゥルアズィーズ国際空港は混雑すると言います。

ハッジターミナル(グーグル画像検索)。ハッジの時のみ使用するようですが、少し特異なインフラですね。ハッジじゃない時にでも高層ビルか何かから見下ろせないんでしょうか。無理かな。

ジェッダ歴史地区(世界遺産センター)は、メッカへの玄関口として、世界遺産になっています。

>かつては紅海両岸地域に見られたものの、今ではほとんどサウジアラビアにしか残っていない紅海特有の建築が数多く残る。19世紀後半の商人たちが建設した塔状家屋で、装飾された木製の窓や扉を備え、その様式は、ローシャンタワーと呼ばれる。この町はメッカ巡礼の玄関口でもあり、世界中のイスラム教徒が集住する。ユニークな発展をとげた紅海建築と、良好に保存された都市要素、アラビアを目指して海伝いに到来する巡礼者たちの玄関口ということが、この町を特徴づけている。

塔状建物(タクミ ホームズ 建築用語集)によると、「塔状建物にあっては直接基礎では耐えきれず、杭を用いた地業にする必要がある。」アラビアプレートとユーラシアプレートの衝突で意外と地震が起きるサウジアラビア(もうひとつの地震大国:サウジアラビア 太陽商事株式会社)。バベルの塔も意外と地震で崩れていたりして。

世界の歴史的建造物と景観(岡本 真理子)(東海学院大学紀要 4(2010))を参照すると、サウジアラビアは観光客を受け入れてからの歴史の浅さで地域環境の中で生き残る数少ない独特の景観を持つようです。例えば、サウジアラビア南部のアッシール地方の伝統的建築があるアブハですが、2000メートルを超す高原にあって(避暑地)(ジッダは海洋都市らしくかなり蒸し暑い)、石の家の中は外観からは想像できないほどカラフルな色に塗られていたりするそう。ちなみにヨルダンですが、ネボ山からの景観(モーゼ終焉の地)も挙げられています。

紅海の交易ですが、8世紀後半のアッバース朝時代になるとムスリム商人はアフリカ東海岸に進出、10世紀のカイロの建設後、紅海ルートが盛んになったになったようです(ムスリム商人/イスラーム商人 世界史の窓)。東南アジアや中国での活躍も知られますね。

ジッダ案内(在ジッダ日本国総領事館)

>最も厳格なイスラム国家として知られるサウジアラビア。紅海の花嫁と謳われるジッダは、その中では最もリベラルで、多人種多民族が入り交じるコスモポリタンな都市です。

港町ってやはりその性格上、開放性・コスモポリタン的なところが、その良さではあるんでしょう。厳格なサウジアラビアの中では、外国人にとってもっとも訪れ易い都市なのかもしれません。メッカ・メディナはそもそも異教徒が訪れられる都市ではありませんがジッダなら。

>国際都市として発展してきたジッダでは、近年、マッカ・マディナを結ぶハラメイン鉄道の建設プロジェクトが始まっている他、オブフル地域には世界最高層のビル「ジッダタワー(キングダム・タワー)」の建設が進む等、近代化の動きも見られます。

サウジアラビアにおける鉄道インフラ調査(JETRO)を参照すると、サウジアラビアの陸運は道路中心で、鉄道は非常に弱いようですが、逆に日本にとってはチャンスがあるのかもしれません。砂漠がどうかですが、逆にサウジで商売できれば、商機は世界に広がると思います(厳しい環境こそ高い技術を活かすチャンスと考えられます)。当面は、(UAE~)東部州~首都リヤド~ジッダ~メッカ(・メディナ)といった東西のラインが要注目のようです。リヤド以北では、南北縦断鉱物資源鉄道の構想もあるようですね。

日本の鉄道の海外進出の話題と言えば、日立のイギリス進出(日立「鉄道快進撃」がイギリスで直面した難敵 東洋経済 さかいもとみ(在英ジャーナリスト 2018/09/20)。まぁこちらは鉄道発祥の地ならではの古さに苦戦することもあるようですが、サウジアラビアでは新型をバンと投入できるのかもしれませんね。

>世界最高レベルの透明度を誇る紅海はダイビングの名所として知られ、街には千年を超える歴史を持つ旧市街「バラド歴史地区」や世界最大の噴水「キング・ファハド噴水」等の見所が点在しており、林立する大型ショッピング・モールは常に多くの人々で賑わっています。

リンク先はエジプトですが、紅海(海外ダイビングツアー|ダイブナビ)は抜群の透明度を誇るようです。紅海の由来はエリュトゥラー海案内記のエリュトゥラー海(紅い海)(ギリシア語)のようですが、特に紅い訳ではないそう。何なんでしょうね。

街周辺にはプライベート・ビーチやリゾートも多いようです。

イスラム圏のショッピングモールと言えば、ドバイが挙げられるようです(世界1位のショッピングモールで、売上1位の飲食店を調べてみた。 グローバルパートナーズ)。売り上げ1位の飲食店はP.F. Chang’sというアメリカ発のチャイニーズレストランなのだそうです・・・。日本のサービス業の生産性(笑)。データは武士の情けで挙げませんが。あいつらいつも何か人の悪口言ってますしね。

世界一の噴水キングファハドの噴水(King's Fountain)(トリップアドバイザー)。

>戒律の厳しいイスラム教が生活に根付いていますが、2010年10月にはタイーフ市内の市場でサウジ映画8作品が大衆向けに上映される等、若者の世代を中心にその在り方に少しずつ変化が出てきているようです。映画のほか、漫画やアニメといったサブカルチャーをきっかけに、また食文化等生活面での触れ合いから日本に興味を持つ人は多く、ジッダに住む人々は概して親日的です。

【サウジアラビアの治安】渡航する際には現地のルールを必ず守ろう!(skyticket)によると、写真に注意。秘密警察に捕まっても責任は持てません。

日本のアニメはチャンスも(日本アニメ、サウジでも人気 「歴史的な出来事」初の合作も日本初上陸へ 産経ニュース 2018.5.17)。

日本のアニメは労働環境の問題等あって、それどころではないという話もありますが、寧ろ海外市場に目を向け、最初からその市場向けの作品をあえて狙うことによって、違う活路も見えてくるのかもしれません。まぁ、どこぞの国に委託しすぎて技術が流出していても、責任はとれませんがね。

サウジアラビアと東映の共同制作も(サウジアラビアのマンガプロダクションズが東映アニメーションとアニメ映画の共同制作を発表 PR TIMES 2017年11月17日)。

日本食と言えば、魚ですが、紅海では魚が減ったという話も(紅海の魚は70%減った サウジアラビア memories on the sea 海の記録)。どこでも同じですね。サウジ国王は和食好きらしいのですが(「3年前のメニュー」との比較でも窺える「サウジ国王」の和食好き Foresight 西川恵)、アラブ人って意外と魚を食べることに関係しているのかもしれません。UAEを調べた時にも思いましたが、砂漠の民の貴重なタンパク源のひとつと言えるでしょうか。豚肉の禁忌で知られるイスラム教ですが、水の中以外では生きられない生物はハラール(魚等)。水の中と外の両方で生きられる動物はハラーム(不法)(ワニ、亀、カエル等)なのだとか(ハラールとは 日本ハラール協会)。

>経済面でも重要であるジッダでは、日本企業の活躍も注目されています。ジッダ北方160kmの紅海沿岸に位置するラービグでは、中東最大1兆円規模の日・サウジ合弁石油化学事業であるペトロ・ラービグが2009年より稼働しました。また同年、最先端科学研究の拠点として前アブドッラー国王の命により創設されたキング・アブドッラー科学技術大学(KAUST)は、サウジアラビアで初めての男女共学を認めた高等教育機関として着目され、日本人研究者が在籍しているほか、日本企業、財団法人等との協力による学術交流センターが置かれています。更に、日本の対サウジの人材協力のモデルとみなされるJICA事業として開始(現在は経済産業省、日本自動車工業会が支援)されたサウジアラビア・日本自動車技術高等研修所(SJAHI)は、日本の技術協力の成功例として高く評価されています。

キング・アブドッラー科学技術大学の記事としては、「世界から一流学者 サウジが目指すスーパー科技大学 科学記者の目 編集委員 滝順一 日経新聞 2018/2/18」を参照しましたが、日本の学者も招聘されているようです。石油の微生物増進回収(MEOR)に関連する研究等やっているとか。世界一の石油大国に学ぶことも多いのかもしれませんし、日本の技術が役に立つこともあるのかもしれません。

日本の大学・研究機関との 協力提携(在日サウジアラビア王国大使館 文化部)・・・サウジアラビアとは最強のスポンサーなのかもしれません。win-win。

サウジアラビア 自動車整備技術の向上を目指して(JICS)によると、サウジアラビア日本自動車高等研修所(SJAHI)で自動車整備士を送り出しているよう。日本のオフロード車(車選び.com 2018/06/20)によると、日本のオフロード車はサウジでも活躍。

>2011年4月には伝統と文化の国民祭典として毎年開催されている「ジャナドリア祭」にアジア初のゲスト国として日本が迎えられ、多数の日本企業が参加し大成功を収めました。

サウジアラビア伝統と文化の国民祭典(ジャナドリヤ祭)とは?(在サウジアラビア日本国大使館)によると、「サウジアラビアの伝統・文化を国家遺産として位置づけ、これらを次世代に引き継いでいくことを目的としたサウジアラビア唯一の国民的文化祭典」なのだそうです。

象眼細工作品の展示が見られますが、象嵌(ウィキペディア 2018/12/15)によると、「象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味がある。象嵌本来の意味は、一つの素材に異質の素材を嵌め込むと言う意味で金工象嵌、木工象嵌、陶象嵌等がある。その中の金工象嵌は、シリアのダマスカスで生まれ、シルクロード経由で飛鳥時代に日本に伝わったとされる。江戸時代には京都などに優れた職人が多数生まれ、日本刀の拵えや甲冑、鏡や根付、文箱、重箱などに腕を振るった。」ということです。

京象嵌(中嶋象嵌)

金銀模様が美しい京象嵌。明治期、ジャポニズムによるヨーロッパでの評価も。

木象嵌とは?( (有)本間木工所)

こちらは木画技術ですね。多分サウジの象眼も木画だと思われます。木工も盛んなようですが、サウジアラビアの木は椰子の木。木工でも使えるようですが、サウジで使用されているかは分かりません。

象嵌の作り方 ダーラヘスト(木象嵌と北欧家具製作ならdesign studio)を参照しましたが、北欧と言えば家具も有名ですね。林業振興で家具製作・木画製作も面白いのかもしれません。

製品をつくって売るだけではないアプローチ。DIYと陶芸は似る?

【DIY】初心者でも作りやすい木製家具の製作物まとめ(45House)

大会が励みになる。

DIYグランプリ作品募集(DIYホームセンター ジャンボエンチョー)

家具の産地×DIYみたいのがあったらちょっと面白いのかも。例えば手作り高級家具×DIYとか。焼き物の窯元と陶芸教室みたいな感じで。他にも陶芸市みたいに地域の家具市を開催してみるとか。林業振興。

ジッダの野外アート(ジッダ)が野外アートに限らず、ジッダについて詳しいようです。

>ジッダの交差点(ラウンドアバウト)の真中には近代美術家や現代美術家による野外彫刻などが異様に多く、世界最大級の野外彫刻美術館と化している。

石油王の国と近現代美術と野外彫刻。

日本では知名度が低いものの、意外と盛りだくさんだったジッダ。日本とサウジの関係は今後益々重要になってくるのかもしれません。

火薬の発明はチベットにおいてという新説(原料輸出国からの疑義提起)

2018-12-13 05:33:35 | 世界史地理観光
先日の薩摩硫黄島の記事で中国における火薬の発明について考えていたのですが、やはりチベットがどうも怪しいような気がしています。

定説では唐末中国においての発明です(火薬の発明と歴史 【古代中国の錬丹術から】 中国語スクリプト)。

>850年頃に書かれた『真元妙道要路』という本は道教経典の一つですが、その中で「硫黄と鶏冠石(二硫化ヒ素)と硝石・ハチミツを混ぜて、やけどをしただけでなく自分の家まで焼いたものがいる。このようなことは道家の名誉を傷つけるからやめるように」と書かれています。この記述は「火薬の発明は850年頃」説の根拠となっています。

なるほどと思いますが、硫黄の産地がよく分かりません。中国中原には火山がなく、火山国の日本は日宋貿易において10~13世紀に硫黄を輸出していた事実はよく知られるようです(日本史とアジア史の一接点 ――硫黄の国際交易をめぐって―― 山内晋次)。中国東北地方とチベットには火山がある(
中国の火山、多くが休眠状態—中国メディア >中国の火山の分布と活動は、東北地区とチベット高原に集中していた)ようですが、よく硫黄がロクに産出もしないのに火薬を発明したなと思いますよね。基本的にはチベットや東北地方が中国の版図に入るのはずっと後の話です。中国古代に皮膚病の治療に使われていたと言いますが、硫黄泉は皮膚病に効くとも言われ(硫黄泉 (硫化水素泉)生活習慣病・皮膚病の湯 名湯)、それすらもアジアにおいて中国中原で発明発見したんだろうかと疑問に思わないではありません。

>『太平広記』という北宋までの奇談を集めた本に、隋朝の杜春子の話があります。芥川龍之介がこれをもとに『杜子春』を書いています。この杜春子の話の中で、彼がある方術士を訪ねたところ、真夜中に錬丹術用の炉から紫の炎が突き抜け、瞬く間に家が燃えたとあります。紫色の煙は硝石に特徴的な炎色反応ですから、この方術士は硝石を使って仙薬調合の実験をしていたのでしょう。

原典に硝石の話があるか分かりませんが、あるいは隋朝には硝石は見つかっていたのかもしれません。硝石は世界の乾燥地帯(南欧、エジプト、アラビア半島、イラン、インド)で天然に採取されるようですが、中国内陸部もその産地のひとつのだとされるようです。日本を含む湿潤な地域では人工的に生産していたことは知られますが、最初は天然ものを利用したと考えるのが普通だと思います。天然ものを利用している内に偶然人工的に似たものが生成できると恐らく気付いたのでしょう。この中国内陸部乾燥地帯というのも良く分かりませんが、隋代なら西域と関係あるのかもしれません。硝石は乾燥地帯の岩石・土壌の表面から得られるという説もあります(世界全史 「35の鍵」で身につく一生モノの歴史力 宮崎正勝 グーグルブックス)。ただし、四川、山西、山東が代表的な産地という情報(テーマ:鉄砲と塩硝---歴史学から考える知の加工学(レジメ) 服部英雄)もあります。火薬の発明において最も決定的なものは硝石だとされるようですが、恐らく量的な話で(黒色火薬の配合率は硝石75%、硫黄10%、木炭15%。木炭の利用は古くからあったとされ、硝石と硫黄を考えることが重要と思われます)、何故硝石だけを強調するのか疑問なしではないですが、いずれにせよ、火薬の戦争における使用の嚆矢は宋代子窠が考案した火槍だとされます。混乱期の唐末に火薬を発明したとして、宋に使用されるのは大きな疑問はありませんが、仮に早くに開発されていたと仮定すると、爆発物を戦争に何故使わなかったかという疑問が出てきてしまいます。ですから、やはり時期は唐末頃でいいんだろうと思います。だとすると、何故唐末なのでしょうか?唐は基本的にはチベットや東北地方を含まず、唐にあった原料は古の時代からあったような気がします。本当にたまたまの偶然なのでしょうか。

チベットには火山があります(チベット自治区の火山‎ トリップアドバイザー)。唐代で東北地方かチベットかと言われれば、恐らくチベットなのでしょう。チベット最初の統一王朝吐蕃は唐の都長安を占領した歴史もあります。吐蕃は西域の東西通商路の支配権を巡って唐と争うこともありました。ただ仮に隋代に硝石があったとすると(黒色火薬の発明は6~7世紀説もあって、これは硝石のことを指しているのかもしれません)、統一していない頃になりますし、吐蕃と唐は別の国ですし、どういうプロセスで火薬が発明され、唐に伝わった?のだろうということになります。

中国・四川省のチベット僧院で爆発、宗教儀式用の火薬に引火(afpb 2008年7月23日)

記事は四川ですが、どうもチベット文化には宗教儀式用の火薬なるものがあるようです。これは火山があることから考えて納得いく話で、中国中原より早くに火薬を発見していて不思議はありません。チベットの火薬が交流が始まった唐代に伝わったという訳です。原料も硫黄は火山であるでしょうし、硝石もチベットは乾燥地帯です。そうだと仮定すると、時期の謎は解けますし、原料の謎も解けます。日本から輸入したのはチベットを支配していなかったからなのかもしれません。

また、チベットのお守りトクチャに硫黄が含まれるようです(チベットの謎多きお守り『トクチャ』について Beyul >オックスフォード大学の研究結果によれば、ニッケル、亜鉛、鉄、錫、鉛、金、銀、銅、蒼鉛、アンチモン、硫黄などの物質でトクチャが構成されているそうです)。ヒマラヤンブラックソルトは硫黄の臭いがするとも(アジアのごはん(82)ヒマラヤ岩塩の実力 水牛のように 森下ヒバリ)。どうも硫黄とチベットは深い関係があることは間違いないようです。

チベットの宗教と言えばチベット仏教がまず想起されますが、最初の統一王朝吐蕃においてサムイェー寺の宗論で中国仏教とインド仏教の宗教論争があり、インド仏教が勝利し、チベット仏教は基本的には中国を経由してないもうひとつの北伝仏教であり、現存する大乗仏教のもうひとつの潮流であるようです。中国系と並んでインドに直接の源流を持つ北の仏教だという訳です。ただ、インド系の仏教と火薬に直接の関連を見出すことは難しそうです。火薬はインドで発明された訳ではありません。

チベットの宗教と言えば、他にボン教が知られます。チベット仏教以前の土着の宗教で、チベット仏教の古派とは相互に影響も見られるようです。ボン教と硫黄の関係は良く分かりませんが、チベットに住む人々の長い歴史の中で、硫黄との関係が深まり、何らかの知見が蓄積され、利用されていたとしても不思議はないとも思えます。

チベットと言えば、チベット自治区をイメージするかもしれませんが、必ずしもそれだけではありません。ヒマラヤ南麓(例えばブータン)や四川(例えばカンゼ・チベット族自治州)・青海省もチベット系の領域として知られます。火山の分布は良く分かりませんが、民族が同じですし、直接・間接に硫黄が入手できて不思議はありません。少なくとも四川では宗教儀式で火薬の使用があるようです。

ここで気になってくるのが、吐谷渾(とよくこん)です。329年~663年、今でいう青海省一帯のチベット系住民を支配した鮮卑族の国(吐谷渾 世界史の窓)ですが、シルクロードの国際貿易を統制しており、であるがゆえに度々北魏・隋・唐と戦争し、中国南北朝時代から朝貢するなど中国と関係があったようです。結局、吐蕃に滅ぼされたようですが、距離の近さから吐蕃より一段中国と関係が深く、硝石の記述が見られる隋とも関係が深く、シルクロードは完全に乾燥地帯であって、硝石がゴロゴロしてそうなイメージもあります。鮮卑族は中国南北朝時代の北朝で活躍し、隋唐の王家は鮮卑系だという指摘もあります(中国人が鮮卑族に交代したというような話は俗説ですので念のため)。青海ルートは意外に重要だったという指摘もあります(空白のシルクロード:青海の道 貴重書で綴るシルクロード)。ボン教ではなく仏教ではあるようですが。

中国の伝統医学で漢方が古くから存在することは知られますが、インドのアーユルヴェーダも有名です。硫黄はガンタクと言われ利用もあるようです(硫黄:Gandhak アーユルヴェーダとカラリパヤットゥ)。インド錬金術は中国の錬金術(錬丹術)起源だとされますが、ともあれ、錬金術(錬丹術)のようなものが、吐谷渾や吐蕃にあって不思議はないように思えます。

硝石の利用は古くは世界最古の文明シュメール文明においてもあったようです(ハーブの歴史 すっきりハーブ生活 >これらのハーブと硝石を混合したものを軟膏として塗ったり)。シュメール文明はアラビア半島やイランにも近く、やはり天然の硝石がゴロゴロしている地方で利用が始まるのが自然なんだろうと思います。

硝石がゴロゴロしている地方で硝石の利用があって、塩に硫黄分が混ざっているなら、自然に火薬が生成されることは時間の問題のようにも思えます。

筆者の推測(新説)では、中国の錬丹術が火薬を発見したというより、吐谷渾あるいは吐蕃といったチベット文化圏あるいはシルクロードの乾燥地帯で火薬が発明され、それが隋・唐期(中国北朝の可能性も?)に中国に伝わり、宋代に兵器となったということになります。あるいは原料だけ伝わった可能性もあるかもしれませんが、いずれにせよ、チベット文化と深い関連があるのだと考えた方が、発明の時期の問題を解決しやすいことは間違いありません。どうもシルクロードやインド・チベットとの交流、仏教伝来あたりが怪しいという訳で、少なくとも中国錬丹術が発明したというような純中国のイメージは修正を迫られるのかもしれません。

種子法の廃止並びに松前町の食と課題:松前町議会(12月11日 総務産業建設常任委員会から)

2018-12-11 14:15:56 | 農林水産
イネ「こんなにいろいろあるんだ!」(農林水産省)

松前町(マサキチョウ)議会を初傍聴。前半の議題は種子法の廃止関連で農業の話題でした。決議は非採択。そういう訳で、議会での議論をベースに農政について記事にしておきます。

主要農作物種子法(衆議院)

>(目的)第一条 この法律は、主要農作物の優良な種子の生産及び普及を促進するため、種子の生産についてほ場審査その他助成の措置を行うことを目的とする。
>(定義)第二条 この法律で「主要農作物」とは、稲、大麦、はだか麦及び小麦をいう。

結局、優良な種子の生産及び普及の促進を目的に助成するための法律が種子法です。これが撤廃されることにより、優良な種子の生産及び普及を目的とした助成ができなくなる訳ではないでしょうが、特にそれをしなくとも法律を大義名分に助成を要求されることは無くなるんだろうと思います。廃止に反対の記事がネット等で見られますが、特に反対する理由はないように思います。

また、稲・大麦・はだか麦・小麦に関しての話であり、果実や野菜に元々種子法は関係ありません。にも関わらず反対論によるデマが流れることもあるようです。

参考:種子法廃止についてデマや勘違いを解説します(Togetter)

上記記事でも指摘されていますが、種子法に基づき都道府県ごとに開発され続けるブランド米ですが、いい加減米の需要も減っているのに何時までもこの法律を撤廃しなかったことこそおかしな話です。食糧難の時代に制定された法律を今まで維持してきたことが脅威的とも言えますが、ようやく安倍政権が重い腰を上げてくれたということなのでしょう。 新潟・埼玉・兵庫は種子法廃止に伴い、独自に条例を制定したようですが、そういう県があってもいいんだろうと思います。新潟なんかは日本を代表する米処ですしね。今後、新潟県が創り続けるブランド米が市場を制していくのかもしれません。まぁ米に限らず、公金を投じて各都道府県が創造しつづけるマニアックな新品種が日本にとってどう役にたつのか、お手並み拝見といったところなのでしょう。それはともかく、種子法が無くなり、内心喜んでいる首長は案外いらっしゃるのかもしれません。農業界は基本反対なのかもしれませんが、猫も杓子も米の種を研究するという時代では少なくともありません。

日本がこれまで開発してきた種子には優れたものも多くあるんだろうと思います。議会では穀物メジャーを批判する意見が見られましたが、日本は日本でその遺産を活かして世界で商売すればいいのではないでしょうか。種子法がありながら(公金を投じながら)、穀物メジャーのような存在が日本で見られないことこそ問題でしかありません。自由貿易の推進は強い日本農業を目指すのであれば、寧ろチャンスと言えるではないでしょうか。特許料で稼ぐだけのネタは日本にあるのでは?

また、議会でも指摘されていましたが、安全性に関する誤解もあるようです。種子法廃止の問題点と指摘されている食品安全に関しては、食品衛生法の領域なのであって、種子法廃止に関係あるとは思えません。米は日本古来より親しまれている基本農産物なのであって、今更安全性も何もないものです。寧ろあえて言えば種子法に基づき開発される新品種こそ危険性を完全に否定しきれないといったところでしょう。

ただ、公金が断たれ、種子が高くなる可能性はあるのかもしれません。議会で指摘されているように食料自給率の問題もありますし、先進各国同様、農家に対する補助は必要だとは思います。でも、それが種子法による必要はないと思います。今まで幾らなんでも需要を見ずに惰性で公金を投入しすぎたと考えます。残念ながら(バラ撒きはあまり好きではありませんが)、直接所得補償した方が効率的なのは間違いありません。

更に食料自給率の問題ですが、緩やかな減少傾向にはあって、懸念があるのは当然だと思います。ただ無条件無闇に公金を投入できる時代でもないと思います。種子法廃止で食料自給率の更なる減少の懸念がなくもないでしょうが、根本的には農地転用に関係する制度が食料自給率に深く関わると考えられます。農家が農地を売却して宅地にしようと思っても、自由に宅地にできる訳では現状ありません。これが食料自給率を維持するための根本規制だと思います。農地が自由に転用されれば、確かに食料自給率が危機に陥る可能性はあります。しかしそこに手をつけない限り、農地は基本的には維持されると考えられます。問題は農地があっても、人がいないケースです。賃上げでどうにかできるなら、賃上げすればいいと思いますが、農業だけが人手不足でもありません。また、人が減っても生産性を上げることで、食料自給率を維持することは可能です。農業界こそ問題点を整理して、政府に何を求めるか冷静に考えてみてもいいのではないでしょうか。筆者としては生産性を上げつつ担い手を確保していく現状の安倍政権のやり方を推進していくのが、日本にとって望ましいんだろうと考えています。

なお松前町で穀物と言えば、愛媛県松前町ははだか麦の生産でも知られます。松前町のはだか麦を支援するプロジェクトがこちら(愛媛県松前町『芽吹きと実りのはだか麦』プロジェクト~:愛媛大学)。

個人的には松前町の食と言えば、味噌が気になっています。ギノーみそは地元の有名ブランド。味噌は日本の食で欠かすことが出来ないスーパーフードです。

また、お隣の伊予郡仲間の伊予市にはかつお節やダシで有名なヤマキが存在します。「調味料×伊予郡」を狙ってプッシュが筆者は面白いと考えます。

松前町で食と言えば、シラス(稚魚)もよく知られるところです。筆者の好物でもあるのですが、現時点では知見もなく、今後の課題としたいと思います。松前港は加藤嘉明公が足立重信に軍港として整備させ、そこから朝鮮出兵したという歴史もあるそう(松山城を築く前は松前城が拠点でした)。中々難しそうですが、松前の港や漁業をどう考えるかという問題もあるような気はします。

後、町議会の傍聴で知り合った人に聞いて考えましたが、松前町の今の課題として、ショッピングモール「エミフル」とどう共存していくかがあるようです。いずれ取り組んでみたい課題です。

斉(春秋)と日本の意外に深い関係(弥生時代)

2018-12-10 00:19:58 | 日本史
日本史の大きな謎のひとつに稲作の伝来がありますが、筆者は春秋時代の斉にその起源があるのではないかと考えます。

春秋時代の斉は紀元前1046年 - 紀元前386年の中国山東半島の最初の王朝。周建国の功臣太公望によって立てられた国と言います。莱(らい)と呼ばれる族がこの地域にいたそうです。殷が紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年。周が紀元前1046年頃 - 紀元前256年。殷の領域に山東半島は含まれていませんでした(言語学的な証拠はもはや見つからないと思いますが、個人的には莱族も一種の漢族ではないかと思っています。これは地理(山東半島と黄河流域の連続性)や歴史(何の問題も無く後の斉は中国の歴史に入っている)を踏まえた見方です。琉球もそうですが、古い歴史書の「異民族」が言語学的に系統を別にする訳ではありません)。古代中国で東の海上(海中)にある仙人が住むといわれている島(山)である蓬莱(山)と莱に関係があるようにも思います。恐らく島伝いに朝鮮半島。そうでなければ、その先の日本なのでしょう。

現在の日本への稲作の到来の定説は、縄文時代後期の約3000年前だということのようです(1-3 伝わったのは縄文時代の終わりころ 米ネット 米穀安定供給確保支援機構)。これが斉の始まりの時期に一致します。紀元前3000年以降、山東半島先端部にまで稲作は分布したそうです。これが島伝いに遼東半島・朝鮮半島を通って、北部九州に到達したと考えるべきではないでしょうか。やはり山東半島最初の国家の勢力は強く、周囲に大きく影響したのでしょうし、それ以前の殷は山東半島を支配しておらず、遼東半島から先に強く影響を及ぼすことも無かったのだろうと思います。勿論、北回りの後の燕の領域も殷に含まれていませんでした。そもそも殷は内陸部の王朝です。お隣の莱人は(漢族=殷族の親戚だとしても)文明化はしておらず、遼東半島から先に強く影響を及ぼすことも無かったのかもしれません。

成王の言葉に「東は海に至り、西は黄河に至り、南は穆棱に至り、北は無棣に至る間の五侯九伯が罪を犯した場合、これを討伐して良い」があり、斉は春秋時代の強国でした。海に面していることより塩の生産が行われ、鉄の産出地でもあったのが栄えた要因であるようです。直接支配はないにせよ、この斉人が渤海を渡って交易をしていた可能性が高いような気もします。いずれにせよ、遼東半島に至る廟島群島は確かに存在しており、好漁場でもあったようです。古より何らかの交渉はあったと見るのが通常だと思います。

中国貨幣史ですが、殷・周は貝貨を使用していたようですが、その入手方法は江蘇省あたりの東夷とされる淮夷を通じて福建省や台湾省あたりから持ってきた可能性が高いように思えます(参考:日本人は、どこからやってきたのか?(20) ~ 古代「貝の道」があった! 日本古代史つれづれブログ 及び ウィキペディア「江蘇省」2018/11/16。及び「淮夷」(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)。ワイイは倭夷に通じるようにも思えますが、偶然か何の関係もない列島の異民族にワをつけてみたまでなのでしょう。その理由は海洋的性格が似ていたからかもしれませんが、半島南部の異民族が韓であるにも関わらず、戦国の七雄の韓に全く関係あるとは思えませんから、その辺はわりと適当だったと見るより他ないでしょう。学問的に厳密ではない古代の話です。いずれにせよ、江蘇省から朝鮮半島及び日本には海を結構横切らなければなりませんし、山東半島を経由しないと危険なはずですが、山東半島は支配していなかったのですから、淮河を中心に高い操船技術を持っていたかもしれませんが、主に視線は南方に向いた(南方より貝貨の貝を供給した)んだろうと思います。少なくとも中国大陸南方や台湾に貝貨の貝があるのだったら、危険を冒して琉球に渡る理由は全くありませんし、朝鮮半島と日本への稲作の伝来の時期と淮夷が関係あるようにも思えません。

中国南方の古代民族と言えば、呉越楚で長江の固定観念がありますが、より中原の文明に近く弥生時代の開始期に近い淮河の淮夷こそ日本との関係を考察する時、重視されるべきでしょう。後に淮夷は呉や楚の勢力圏に入るようです。しかし呉にしても楚にしてもあるいは越にしてもそれなりに操船技術があったとしても大海に乗り出す冒険野郎である理由は無さそうです。後の時代を通じてみても、台湾ですら遥か降って清代まで支配しなかったのが中国という国です。せっせと大海を渡り始めたのも朝鮮半島支配後、つまり漢代が疑われますし、あるいは唐代に遙々アラブ人が到達してから。それ以前は大河と大陸沿岸のみの通交メインだったように思います。唯一山東半島~島伝いに遼東半島のラインのみ怪しいという訳です。

春秋時代に入って、青銅貨が流通したようで、それが朝鮮半島や日本で流通していないとしても、そうした文明度の高い国家が(海を隔てて)隣(そのまた隣)に成立することによって、何か影響を受けるようなことがあったはずです。そしてその影響とは稲作だったのではないでしょうか。

日本の水田跡としては約2600年前の菜畑遺跡。朝鮮半島の水田跡としては約2500年前の水田跡が松菊里遺跡。一端素通りしたか発見されていないか分かりませんが、いずれにせよ、ほぼ同時期に稲作は伝わり、気候がより温暖な日本で先に水田耕作が繁栄したのは確かではないかと思えます。時期的には斉の時代であり、その時既に山東半島に稲作が定着して久しかったようです。筆者としては既に書きましたが、通常言われているように呉人や越人が大海を渡る動機を見出せず、稲作の伝来に全く関係ないだろうとします。まずは斉人が島伝いにルートを開拓して、知見が広まってからの横断は有りえたかもしれませんが。普通に考えて、渡航先に何か魅力がないとわざわざ横断渡航は有り得ません。何となく技術が伝わって国が成長してから本格的な交易(後の大和朝廷と中国南朝との交流等)という形だと思います。

弥生時代の文化に銅鐸があります。これの意味をいろいろ考察する人もいるようですが、その前に銅鐸とは何かを考えるべきでしょう。倭人が銅鐸を創造したでしょうか?答えは残念ながら否だと思います。「」(コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)によると、鐸は殷の古代より中国にあります。殷の鐸が古代日本との関係が注目と言いますが、時代が違いますし、山東半島も押さえておらず、直接の関係は無さそうです。結局周にも鐸はあったのであって、周の諸侯であった斉の鐸が日本にまで伝わったと考えるのが蓋然性が高いでしょう。越の貴族の墓から鐸が見つかったから日本に関係あるというニュースがネットで流れていますが、長江文明の越が日本に稲作と鐸をもたらしたという思い込みによる誤認だと思います。日本の稲作の開始期には既に斉に稲作があったのに、わざわざ長江から来るでしょうか。水田耕作が斉に絶対無いと言えるなら、話は別かもしれませんが、東北地方に水田が後にできるのに、斉で無理とは思えません。大体越人は何を思って唐突に海を渡ろうと思ったのでしょう。渡ろうと思ったとしたら、斉人に先に朝鮮半島や島があるよと教えられていたからでしょう。つまりどう考えても斉が先のはずです。それに越というより

以上、2018-11-16 11:02:10の下書き記事を加筆修正してアップ。

大山祇神社小考

2018-12-09 22:15:49 | 日本史
大山祇神社は愛媛県今治市大三島町宮浦の神社で伊予国(愛媛県)一宮であり、伊豆の三島大社と並び、全国にある大山祇神社の総本社。

同時に発生したとは考え難く、どちらかがどちらかの流れを汲むと考えるのが普通だと思います。伊豆諸島の開発に伴い伊豆の三島大社が先だという説も有力のようですが、筆者は伊予の大山祇神社が先だろうと思っています。本人としては地元の人間の贔屓目のつもりはありません。

というのも伊豆の三島大社は伊豆の三島の開発に伴い成長したという話なのですが、伊豆諸島のどの島が三島なのか見えてきません。比較的大きく古い(縄文時代からと言われる)歴史を持つ島は大島・三宅島・新島・八丈島であり、これにより小さな利島・神津島・御蔵島を加えて伊豆七島、他に青ヶ島、式根島といった島々もあって、伊豆諸島を三島と呼ぶ必然性があるでしょうか?伊豆諸島を三島と呼ばないのであれば、三島大社を三島と呼ぶ理由は無くなります。また、三島大社・伊豆国府があるあたりは、駿河東端にほど近く、伊豆諸島といった島に関心を払うような位置にありません。伊豆諸島は太平洋上に浮かび、交易の中継点として重要な島でもありません。三島大社が崇敬を受けるようになった主因は、正に鎌倉幕府の初代征夷大将軍源頼朝の挙兵の地となった偶然に拠るのであり、頼朝に支持されたから神社として成長したのでしょう。

伊予の大山祇神社にはこうした契機がありません。源氏・平氏に支持され、国宝・重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4割が集まっていると言いますから、後の村上水軍にも関係ないはずです。そう考えると、畿内から九州を経て大陸に向かう途中の当地に元々それなりに権威ある神社があったと考えるのが妥当だと思われます。厳島神社に似る事情でしょうか。

大山祇神社の鎮座する大三島は古くは御島(ミシマ)と記されたようです。これが三島と記されるようになっただけでしょう。その理由としては、後の三島村上氏に因む可能性も考えましたが、鎌倉時代に頼朝に支持された三島大社に倣った可能性が高いようにも思います。三島大社の方が三を使った理由はそれこそ漢字表記の揺れなのでしょう。音が同じで漢字が違う例は日本において枚挙にいとまがありません。大をつけたのは三島大社に対し本家をアピールする意図があったようにも思えます。いずれにせよ、当地に三つの島がある訳ではありません。

『釈日本紀』(『伊予国風土記』(逸文)越智郡御島の条)によると、大山積神は百済から渡来して津の国(摂津国)の御嶋に鎮座、のち伊予国に勧請されたそうです。摂津国の御嶋は諸説あり、三島鴨神社または鴨神社の何れかとされます(以上、ウィキペディア「大山祇神社」2018/12/09)。

おおやまづみは和語ですから、本当は百済から渡来していないフシがあるように思いますが(当時としては箔をつけた可能性があります)、いずれにせよ摂津の御嶋に源流があるようです。畿内から九州~大陸のルートにある大三島に分社が出来、その後本社のようになったと考えて不思議はありません。海洋系の神社としては住吉神社もあって、その住み分け等知識はありませんが、本家の摂津御嶋は特に成長する余地も無かったのかもしれません。

三島鴨神社は淀川の川中島(御島)に祀られていたと言います。摂津鴨神社は川から離れており、御島と名がつく理由が無いように思います。

>近年の研究では、三嶋神は「御島神」すなわち伊豆諸島の神を意味するとして、上記2説とも後世の付会とする見方が有力視される。この中で、噴火の盛んな伊豆諸島で原始的な造島神・航海神として祀られたのが「ミシマ神」の始まりであるという。そして「ミシマ」の音から、後世に他の神に結び付けられたとも推測されている。(ウィキペディア「三嶋大社」2018/12/09)

『日本三代実録』貞観6年(864年)2月5日条(神道・神社史料集成参照)。
『類聚国史』16(神祇16神位4) 貞観10年(868年)7月27日条(神道・神社史料集成参照)。
『延喜式』26(主税上) 出挙本稲条(神道・神社史料集成参照)。
『日本文徳天皇実録』斉衡元年(854年)6月26日条(神道・神社史料集成参照)。

鬼の語源と武士と兵士の歴史、物部氏、琉球王国とアイヌ文化の成立、元寇の勝因

2018-12-09 17:21:55 | 日本史
怪奇素材(黒背景フリー素材)と怖い話

なまはげの鬼面に関連して、鬼(おに)の語源を考えていたのですが、考えがまとまったので記事にしておきます。また、副産物として武士の歴史を考えることになり、自分の考えをまとめておきます(そちらが本筋になったかもしれませんが、鬼武者という言葉もありますし、分離せずそのままにしておきます)。

元々中国語で霊魂を表す鬼(キ)をオニと読むことは無く、霊魂はモノという和語で表していたようです(他にカミ・タマ)。これは万葉仮名で分かるようです。これが平安末期にオニにとって変わります。オニの語源は諸説あるようですが、どうもシックリきません。

いろいろ考えたのですが、筆者はモノを使いにくくなった説を提案します。妥当な言葉が何か現れたのではなく、今まで使っていた言葉が使いにくくなったという逆転の発想です。というのもこの頃、武士が登場しています。武士とはすなわちモノノフです。モノノフが活躍しがたゆえに、モノに武士のイメージがついて、モノを霊魂の意味で使いにくくなり、代替用語としてオニが登場したのではないでしょうか?

何故オニにしたかで考えを述べますと、御霊(ゴリョウ)信仰や怨霊(オンリョウ)信仰、霊鬼(レイキ・リョウキ)という言葉が関係するかもしれません。御はオンとも読みますね。御身・御礼など。中古の御はオオンだそうですが、オン→オニという訳です。まぁ通説のおぬ(隠)や陰陽道の陰(オン)かもしれませんが。いずれにせよ、その辺の通説がシックリこないのは、今までモノを使っていたのに、何故わざわざオニに変えたかという部分を説明しづらいからです。

平安時代初期の奇跡や怪異についての話の代表的説話集と言えば、日本霊異記(ニホンリョウイキ)。著者は薬師寺の僧である景戒。薬師寺は興福寺とともに法相宗の大本山。法相宗は大乗仏教ですが、西遊記で有名な玄奘に師事した道昭が広めた宗派のようです。日本は唐から多くを学びましたが、唐自体国際的でインドから学ぶところがあったように思います。

平安時代末期の代表的説話集は今昔物語集。今昔物語集は天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の三部で構成されます。拙稿「来訪神:仮面・仮装の神々」(ユネスコ無形文化遺産登録)①(薩南諸島・甑島)で、空飛ぶ馬でマハーバーラタに触れましたが、インドの説話を古くは日本人は仏教に関連して(中国が知っていたから)知っていたと思います。

さて、武士=モノノフの話に移りますが、モノノフの語源は物部氏だと言われますが、物部氏は古代日本を代表する軍事氏族として知られますから、これは納得できる説です。物部氏は丁未の乱(物部守屋の変)(587年)で衰退しましたが、686年までに物部氏から改めた石上氏(いそのかみうじ)が本宗家の地位を得、石上宅嗣は桓武天皇の時代に大納言にまで昇るなど活躍したようです。石上神宮は日本書記において、伊勢神宮の他に唯一神宮と記された神社で四世紀日本を知る貴重な金石文資料と言える七支刀が伝来した神社としても知られます。ただし、石上氏は宅嗣の死後公卿を出すことはなく、9世紀前半以降中央貴族としては衰退したようです(以上、ウィキペディア「物部氏」2018/12/09参照)。

物部氏の読みはモノノベですが、海部(カイフ)の読みもありますし、詳しくありませんが部がフでもいいんじゃないかと思います。また、物部氏は軍事だけでなく、宮中祭祀も行っていました。元々霊魂をモノと呼んでいましたが、物部氏は本来、霊魂を司る祭祀の氏族として意識されていたんじゃないかと思います。霊魂を司ると同時に軍事もやっていたということなんでしょうね。

武士は10世紀に登場したと言います。この時、物部氏本宗家である石上氏も中央貴族としては衰退していました。武士の起源は諸説あるようですが、筆者は貴族の私兵であり荘園のガードマンだったのだろうと思います。源氏も平氏も皇室の出で地方の武士も含めて中央貴族と密接な関連があるのは明らかです。武士の登場以前は律令制度が機能していたようですが、9世紀頃衰退を始めたようです。古代道路は8世紀末から9世紀初頭に衰退し始め、10世紀末~11世紀初頭に廃絶しました。和同開珎(708年)を嚆矢とする皇朝十二銭は乾元大宝(963年鋳造終了)に至るまで都及び畿内の外に広がることはありませんでした。

物部氏が活躍した6世紀以前は豪族の時代です。朝鮮人は認めませんが、唐という超大国に負け撤退するまで朝鮮南半に強い影響を及ぼし、満州から朝鮮北半の強国高句麗と戦っていたのもこの時代です。結構強かったんじゃないかと思います。しかし律令制度をとりいれ、軍事氏族は衰退し、国家が兵士を動員する時代になりました。ここで軍事的には弱体化した可能性があります。東北地方は日本全体に比べれば、当時そう生産力があったとは思えませんが、数百年に渡って度々反乱がおきています。鎌倉時代以降、反乱の数は激減し、結局蝦夷の反乱なるものは存在しなくなりました。武士が強かったからじゃないでしょうか。何故武士が強く、兵士が弱いかですが、恐らく武士が日々戦闘のため鍛錬する専業で、兵士が普段は農作業等に従事する等あまり鍛えていなかったからではないでしょうか。魏の曹操の屯田制は知られるところですが、農作業をしていないにせよ、中国に兵士道なるもの聞いたことありません。あまり強い兵士は反乱の原因にもなりかねませんが、その理由はさておき、結果的に中国や朝鮮は弱く連戦連敗している印象を拭えません。中国・朝鮮に武士のような存在はおらず、武官が兵士を指揮する国だったはずです。日本も律令制度をとりいれたことによって、当時は中国や朝鮮に近い感じの国になっていたのではないでしょうか?しかし、何時までも律令国家は続かず、武士が台頭してきます。

律令制度は豪族の土地の私有を認めませんでした。開墾した土地は結局国家のものになります。これは一種の社会主義でしょう。開墾は結局下火になったようです。そこで743年に墾田永年私財法が制定され、開墾した土地は私有されるようになります。これが荘園の始まりです。初期荘園は畿内に集中していたようであり、畿内周辺なら検非違使や中央の兵士が治安をある程度維持できたかもしれませんが、賊対策でガードマンに準じる存在がいた可能性もあります。いずれにせよ、10世紀に入り戸籍・班田収授による租税制度がほぼ崩壊し、国司請負制に移行した後、武士が台頭したようであり、国司は結局荘園の治安を維持等できなかったのでしょう。国司自体中央貴族でしたから、公平に治安を守るというような発想もなく、制度も整っていなかったかもしれません。いずれにせよ、律令制度は崩壊し、私兵の時代がやってきます。荘園の経済力で雇った私兵が武士で、ゆえにリーダーは中央貴族だったと考えられます。私兵と兵士は対立したかもしれませんが、前述の理由で兵士は直ぐに淘汰されたでしょう。租税制度が崩壊した理由は不明ですが、単に私有の荘園の方が効率良かったのかもしれません。社会主義経済は自然に滅びます。結果の平等を法で決めたり、結論を法等で決め可能性を詰んでしまうと人は努力しなくなるということだと思います。能力主義にも問題はありますが、共産主義・社会主義が衰退しないはずもありません(以上、ウィキペディア「荘園」2018/12/09参照)。

経済史の観点で言えば、11世紀末頃より北九州の博多中心に宋銭が流入するようになったと言います。12世紀中頃には都周辺にも銭は広まります。平清盛はこれに目をつけたようです。朝廷はたびたび銭の使用を禁止したと言いますが、結局普及した銭の使用が無くなることはありませんでした。これが日本経済の転換点になったんじゃないでしょうか。結局物々交換では保存が利きません。以上、中世の銭貨(コインの散歩道)。

武士の世が到来し博多から銭が流通するようになって、日本が変わった影響は島伝いに南西諸島にも波及したようです。12世紀にグスク時代が到来したと言います。1429年に至って、三山統一。琉球王国が成立しました。やはり本土から海を経て距離があったのが独自の王国を形成した要因なのでしょう。これは日本が成立した事情に似ます。琉球王国には士族がおり、士はサムレーといったようです。これはサムライに違いありません。そういう意味で中国や朝鮮に似ていないのが琉球と言えるのではないでしょうか。薩摩藩は琉球士族に帯刀を禁止したようで、それが結局沖縄が空手を産む要因になったようです。

東北地方においても蝦夷の反乱は消失していき、日本の一部としての性格が強くなっていきます。北海道では13世紀に擦文時代が終わりを迎え、アイヌ文化が始まります。アイヌ文化は鉄器や漆器を特徴とするようですが、これは交易で和人から手に入れたようです。日本経済自体、余剰生産力があったということだと思います。

さて本土に戻りますが、平氏や源氏は中央でも活躍しましたが、結局関東の武士が主導権争いに勝ち、鎌倉幕府が成立。承久の乱を制し、武士の世がやってきます。ここで元が攻めてきました。所謂元寇です。その勝因はいろいろ言われますが、結局のところ、地の利と武士の強さによるのでしょう。集団戦法云々言われ、元が圧倒的に強かったような話も流布していますが、単に世界を席巻したイメージと一騎打ちの文化が廃れたイメージに過ぎないと思います。モンゴルは遥か西方ヨーロッパの征服に失敗しています。ヨーロッパも騎士の国でした。草原が繋がっている範囲においてモンゴルは相当強かったと思いますが、元は中国や朝鮮の兵士を動員しており、結局のところ、イメージと異なり弱兵だったのではないでしょうか。遥か南方ジャワ島の攻略にも失敗していますが、まぁ当たり前と言えば当たり前で驚くようなことではなかったと思います。何故日本が勝てたかという問い自体、愚問だったのでしょう。動員された兵士も命は惜しい。武士の猛攻に閉口し、早々に諦め言い訳を拵え退却したのではないでしょうか。モンゴルも動員した兵士が弱いことぐらいは分かっていたでしょうが、全員遊牧民にする訳にもいきませんし、海に草を生やす訳にもいきません。

ただし、元を倒しても恩賞を貰えなかった武士は不満を持ち、鎌倉幕府は動揺し結局滅亡。南北朝時代を経て、室町幕府においてのつかの間の繁栄の後、応仁の乱が起こり、戦国時代に突入。織田信長による全国統一が見えた段階で、本能寺の変というクーデターで当人は横死(陰謀説が絶えませんが、主人を倒したものの乗っ取りには失敗したクーデターの一類型に過ぎません。例えば、ソ連保守派はゴルバチョフを倒しましたが、エリツィンに倒され、国はのっとれませんでした。エリツィンが保守派を操ってクーデターを起こさせ、満を持して倒した訳ではないはずです)。織田家にとって不運なことに武田家を滅ぼすなど実績を積んでいた後継者で嫡男の織田信忠はクーデター巻き込まれて倒れます。結局主家をのっとり日本を統一したのは、当時の織田家にとって最大の敵だった毛利家に対していた有力武将でクーデターの首謀者を倒して勢威を増した豊臣秀吉。統一後の余勢を駆り、大陸に進出(唐入り)しましたが(中国は大国ですが、何度も周辺の異民族王朝に破れており、勝てない戦争を仕掛けた秀吉の妄想というような何故だかよく見る話こそ妄想のようであり、筆者には違和感ない普通の話のように思えます)、秀吉の死により中止。対した明は結局滅亡し清が成立。秀吉死後、あまりに若く経験も無い後継者の秀頼は何も出来ず、覇権を握ったのは五大老筆頭の徳川家康。江戸幕府が成立します。織田豊臣の同盟者としてずっと東方を担当し、江戸(関東)を首府とした徳川家康は大陸進出に然したる興味も無かったようです。

江戸幕府は結局薩長土肥の連合により倒されます。どこかの島国の支援もあったかもしれませんが、足して自ら単独に及ばない石高差があっても(親藩や譜代を足すと更に圧倒的な差になります)破れてしまう江戸幕府の体たらくでした。平和ボケでしょうか。明治政府は欧米に倣い四民平等の政府を構築し(華族を残したのも欧州諸国に倣ったまでででしょうし、米国の台頭は後の話になります)、武士の世は終わりを告げます。

インフラツーリズム

2018-12-09 15:59:01 | 日本地理観光
国土交通省江戸川河川事務所 首都圏外郭放水路

インバウンドにおける観光資源としてのダムの可能性(Kuriyama Go Travel)

スイスのダムをめぐるツアーもあって、インフラツーリズムへの注目があるんだそう。アルプスを貫くゴッタルド・ベーストンネル(スイス政府観光局)は青函トンネルの3倍の長さ。スイス、意外とパねえな。

青函トンネルは体験坑道(青函トンネル記念館)で対抗するべきかもしれません。日本一短い私鉄「青函トンネル竜飛斜坑線 もぐら号」で坑道へGo。ドーバー海峡のユーロトンネルも同程度の長さのようですが、難工事で言えば青函トンネルの方が上のようです。無茶なところに穴を掘る技術で世界一ということをアピールすべきだと思います。

ユーロトンネルはカートレインで車を通すらしい。青函トンネルはフェリーのみですが、倣ってカートレインも面白いんじゃないかと考えたものの、鉄道でも3~4時間かかってしまい、フェリーと所要時間は大差ないらしい。JRがペイすればやればいい程度なのかも。ドライブ振興なら、フェリーで大間ー函館(1.5時間)(津軽海峡フェリー/大間-函館‎)が下北半島ドライブ(おすすめドライブコース 下北ナビ)も楽しめそう。青森陸奥湾のイルカもありますが(イルカ・インフォメーション むつ湾フェリー)、確率が高い季節は4月下旬から6月下旬にかけてとのこと。

少し話は逸れますが、長いトンネルって結局換気・排気が問題で列車しかできないんでしょうね。そして列車だと建設費を考えるとフェリーでわりと対抗できるのかもしれません(ユーロトンネルは経営破たん)。豊予ルートの道は険しい。

トンネルに対して橋の博物館は明石海峡大橋のお膝元神戸にあって、橋の科学館というようです。インフラツーリズムを振興するなら要注目なのかもしれませんね。

日本のダムと言えば、第一に黒部ダム(富山県)を思い浮かべる人が多いと思いますが、他に奥只見ダム(福島県)がインフラツーリズムとしては盛りだくさんで面白そう(雪と森の秘境|奥只見 - 奥只見丸山 奥只見観光株式会社)。ダムの他に奥只見シルバーライン(19のトンネルが続き、全長22kmのうち18kmがトンネル。ゴツゴツした岩肌を残す)、スロープカー、奥只見電力館、奥只見乗船場。

青森の水陸両用バス(【青森】バスに乗ったまま湖へGO!東北初の水陸両用バスが話題のバスツアーがスタート おんせんニュース 2017年5月13日)も広い意味でインフラツーリズムか。白川山地の北麓青森県西目屋村ですが、世界遺産白神山地ビジターセンターも。

神妙な気持ちになりますが、田老の防潮堤(三陸ジオパーク)もインフラと言えばインフラ。

インフラツーリズムと言えば、首都圏外郭放水路(埼玉県)も忘れてはなりませんね。洪水防止目的の地下放水路で普段は空堀状態。その手があったか。治水の常識は地下放水路になっていくのかもしれません。

インフラツーリズムもまだ始まったばかりで、ダムなんかはダムカード(国土交通省水管理・国土保全局)や日本の灯台50選(公益社団法人 燈光会)の取り組みがありますが、全国に散らばってますし、ややマニアックなので、これといったものを纏めてインフラツーリズムとして売り出してみるのが面白いのかもしれません。

今なら新幹線、将来的にはリニアが観光対象にもなるのかもしれませんが、シンガポールチャンギ空港なんかは、それ自体が観光の対象とも言いますよね(チャンギ国際空港を遊びつくせ!(Changi Air Port) 旅行観光.com )。エキナカが充実してきた今、駅を観光対象にしてみるとか。鉄道博物館(埼玉県さいたま市)もありますが。

道の駅は観光対象でしょうが、SAやPAも高速道路の収益の柱と言います(海ほたるが特徴あるかと思います)。橋で言えば横浜ベイブリッジ(首都高ドライバーズサイト)も。Honda Collection Hall(ツインリンクもてぎ内)(みんなののりもの)(栃木県茂木町)ではHondaの歴代の市販製品やレーシングマシン展示が。観光ではありませんが、茨城県の自動車安全運転センター 中央研修所ではドライビング・シミュレーターがあって、インフラツーリズムで本気で体験観光をやるなら、何か参考になるのかもしれません。

スカイツリー東京タワーは電波塔。ならば、テレビ局も放送でインフラと言えなくないのかもしれません。ショッピングモールで放送局の様子を見せたりするじゃないですか。築地が観光になったのだから、食のインフラで豊洲もやればいいと思います。

以上、関東・東北中心にインフラツーリズムの記事をまとめてみました。

なまはげだけじゃない秋田県男鹿半島とツーリング、ジオツーリズム、しょっつる

2018-12-09 11:37:42 | 日本地理観光
第33警戒隊 加茂分屯基地|防衛省 [JASDF] 航空自衛隊

男鹿国定公園(あきたファン・ドッと・コム)

>半島一帯には海、山、湖の景勝地が点在し、変化に富む周遊が楽しめる。主な観光ポイントとしては、全山芝生に覆われ眺望が素晴らしい寒風山、断崖絶壁続く西海岸、珍しい爆裂火口湖(マール湖)の一、二、三の目潟と男鹿水族館のある戸賀湾、半島最北端の入道崎、男鹿温泉郷などがある。

入道崎(男鹿なび)

>ツーリングの定番目的地でもあり、夏は大勢のバイクが駐車場に並びます。

バイクで訪日需要を喚起、官民連携で推進へ(旬刊旅行新聞 2017年11月6日)

>オートバイのレンタルサービス「レンタル819」を全国展開するキズキレンタルサービス(松崎一成社長、埼玉県川口市)と広告会社のアドフロンテ(木村謙吉代表、東京都港区)はこのほど、日本政府観光局(JNTO)が行う「ツーリングなどを通じた日本各地の魅力発信による訪日旅行促進事業」を受託した。

>整備された高速道路や、英語表示の道路標識、島国ならではの海沿いの道、自然の表情豊かな山間部のカーブが続く道などコースの魅力は多い。

賀曽利隆の「東北ツーリングで行きたい絶景ルート10選」(ウェビック バイクニュース)

男鹿半島は見所の多い景勝地であり、ドライブもいいでしょうが、ツーリングの対象としても面白いんじゃないかと思います。潜在需要としてはやはりインバウンドでしょう。渋滞も少なく、風光明媚な東北地方こそ、あるいは北海道よりポテンシャルがあるのかもしれません。というのも、陸奥と出羽に分かれた東北地方こそ魅力的な観光地を周遊しやすいからです。ただし、日本は多雨ですから、雨対策が必要なことは事前に周知された方が良いかもしれません(ライダーに聞く、雨の日のツーリング事情 マイナビニュース 2013/05/20)。

訪日外国人向け『NAVITIME for Japan Travel』、徒歩ルートの音声ナビゲーションと、カーナビゲーション機能を追加(NAVITIME JAPAN)を参照すると、訪日外国人向けのカーナビも存在するようです。ガソリンスタンドや食事・宿泊等、環境整備を行って旅行者のストレスを軽減し、周知していけば、潜在需要を開拓できるのかもしれません。東北には八幡平国立公園等、雄大で美しい自然も多いのですから、それを活かさない手はありません。

男鹿目潟火山群一ノ目潟(男鹿市)

>一ノ目潟は安山岩中にマントル起源の捕獲岩を含んだ噴出物のあった火山として、世界で初めて知られ、世界的に注目を受けています。

男鹿半島・大潟ジオパークは当地ですが、スペインのジオパークとジオツーリズム(ResearchGate)によると、ヨーロッパでは一般の観光客にも、ジオツーリズムの人気は高く、先進地域はドイツ、オーストリア、スペインだとか。日本は火山も多く特有の地質環境にありますので、ジオツーリズムのファンがつけば、また違った可能性もあるのかもしれません。

男鹿半島は半島のように見えるかもしれませんが、本来は島だったと言います。北側から米代川、南側から雄物川による土砂堆積によって2本の砂州で繋がったようですが、八郎潟はかつて琵琶湖に継ぐ2番目の大きさの湖だったようです。それが干拓されて今の半島の風景になりました。

食や土産物としては秋田県の県魚ハタハタが挙げられますね。

ハタハタ博物館(男鹿水族館GAO)

当地ならではの魚醤がしょっつるです。かつてはハタハタが主に使われていましたが、漁獲高の激減で別の魚を使っていた時期もあるそうです。現在では秋田県平成4~7年の全面禁漁のおかげでしょう、漁獲量がやや回復し(ハタハタ日本海北部系群の漁獲量推移(水産庁))、近年は再びハタハタも使われているようです。漁獲高の変動があるのは当然ですが、それでも獲り過ぎを防止し、一定以上の漁獲高を確保することで、ブランド価値はつくられていくんだろうと思います。原料が安定しなければ、ブランドも何もあったものではありませんから。観光がてらに試食してもらい、気に入ってくれれば、その場で配送でお届けみたいなシステムがどの程度整備されているかは知りません。公共交通を利用した観光やツーリング・サイクリング・インバウンドも重要ですから、(荷物を積み込める)自家用車だけを想定した観光政策は成り立たないと考えられます。amazon並に安く配達できれば身軽な旅行が実現するかも。ネットでポチッもいいですが、やはり現地で試すことができるのが、旅行の醍醐味だと考えられます。

外国の魚醤としては、ベトナムのヌクマム、タイのナンプラー、本場イングランドのウスターソース(リーペリン)が挙げられるようです。アレルギーは有り得るので、特にインバウンド絡みでは表示等その辺の配慮は必要かもしれません。

関連して醤油(大豆、小麦、塩が原料)に関して言えば、アメリカ中部ウィスコンシン州でも生産し、肉にもあうと認知度は上がっているようです(キッコーマンもうけの7割は海外 名誉会長が語る日本の味「しょうゆ」が世界に広がったワケ 産経ニュース 2017.10.29)。資金は銀行に借りたとか。海外投資ですが、醤油の認知度が上がれば、和食の認知度も上がり、インバウンドにおける武器にもなるかもしれません。