「災害派遣 平成30年北海道胆振東部地震について <人命救助活動>」陸上自衛隊ホームページ(http://www.mod.go.jp/gsdf/news/dro/2018/20180906.html)
自民党愛媛県連リーダー塾第4講義(岡田直樹参議院議員)と配布資料を元に記事を作成します(>に続く部分は講義・資料の引用・要約、改行してですます調が筆者の意見)。
憲法改正案(1)自衛隊明記案
>①合憲という憲法学者が少なく、②中学校の大半の教科書(7社中6社)が違憲論に触れ、③国会に議席を持つ政党に違憲を主張するもの(注:共産党)があることを問題視し、自衛隊違憲論を解消するのが狙い。
これまであまり強調されておらず、なおかつ重要と考えられる視点は②の中学校教科書だと考えられます。義務教育教科書で憲法違反の疑いもあると明記されてしまう組織のモチベーション維持は難しいのではないでしょうか(教科書そのままの真面目な人ほど憲法学を学んだ人や某党党員に憲法違反と決め付けられて、そういう考え方もありますが~と答えることになると考えられます)。戦後、長く日本の平和を守ってきた自衛隊を正当に評価する必要があると思います。
憲法学は大学で勿論講義されますし、これまた教科書通りの真面目な人ほど、自衛隊=違憲だという考えを持つことになるとも考えられます(ただし政府見解は合憲なので政府関係者は異なるところがあるかもしれません)。別に教科書が間違っていたら書き換えればいいのですが(通説も時に間違います)、学校で学んだことこそ間違っていたというのは可哀相な話ではあると思います。
最高裁判所もそうそう自衛隊のような組織を違憲とはしないと思いますが、憲法学者の違憲を無視して当たり前というのも、あまり健全な話とも思えません。ちなみに憲法学者や某政党が幾ら違憲と決め付けたところで、政府見解こそ合憲であって、それに直接的に覆せる権限があるのは、最高裁判所のみということになります(後に取り上げますが一票の格差が最高裁判所に違憲状態と判決されて合区と相成りました。自民党政府・安倍政権が憲法に従っていない論は完全なるデマです)。ですから、そうそうないとは思われますが、(時折地裁の変な判決が話題になりますが)最高裁判所が憲法学者の大勢に従って、自衛隊は違憲などと判決されてしまうと、政府は自衛隊解散に向けて動かなければならないということになります。これは勿論望ましい状態ではなく、自衛隊明記論は正に必要性に基づくものです。
資料を見てもいろいろな案があったようですが、目的は違憲論を解消するためであり、国会の情勢を考え、加憲論で行こうというのが現行案です。
個人的にはこれまでの政府解釈のキーワード「必要最小限度の実力組織」は、必要に最小をつけるのは望ましくないと考えており、現行案が良いと思います。必要であれば必要なだけ素直に安全保障すればいいと思うんですよね。率直に言って。何でわざわざ必要なのに最小でなければならないのかという(どちらかと言えば、必要の範囲内で最大限にしたいぐらいです)。実際問題、安全保障というのは常に相手の戦力を知る状態になく、従って必要の範囲すら不明確なところもあって、ある程度余裕を持つ必要もありますから、その中で最小に真面目に拘ったらやってられないんじゃないかと思います。自衛隊のような組織が論理的につっこまれる事態は極力避けたいものです。ただし、政治的実現性に鑑み加憲論ということであれば、これまで通り勿論一定の制約がないという訳ではありません。論理的には憲法上も自衛権は否定されておらず、自衛隊が明記されれば、勿論自衛の範囲で違憲論は払拭できると考えられます(現在でも世界には時に自衛に見えない戦争が開始されることがあり、自衛権に限る政策的意味は十分あります。日本の現在の安全保障環境はそのような戦争に加わることを許さないと考えられ、近隣に急成長する強大な国を控え遠征する余裕もさして無い日本において、この程度の改憲でもまずまず妥当であるとも考えられます。個人的な好みは全面改訂でスッキリさせたいですが、要は実際に発議されることが重要です)。
憲法96条に規定がありますから、改憲それ自体は常に合憲です(実際に発議するための法律「日本国憲法の改正手続に関する法律」は安倍第一次政権下で成立しました)(ただし、最高裁判所が(憲法ではなく)法律を違憲だと判断することはあります)。また、憲法それ自体も合憲というか、どんな変な条文でも無謬ということになります(ですから、変な条文は改正しようというのが、そもそものあるべき筋であり、だからこそ憲法改正しようという話になっています)(99条憲法尊重擁護の義務の存在を考えると、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、日本国憲法を尊重し擁護する義務を負うんだそうです。安倍総理や国会議員が変というかスッキリしないことを言っていると思う時は、この辺の事情があるのかもしれません。国民としては変な条文は変だと思いますがね)。
敵基地攻撃論は、事前に攻撃を察知し敵を叩き潰す理論上は素晴らしい考えですが、実際問題例えばミサイル攻撃される前に察知し、なおかつ攻撃される前に叩き潰すのは難しいとも考えられます。費用対効果を考えても日本は打ち出の小槌を持っている訳ではありません。
後、自衛の定義ですが、憲法上は明確ではなく、人命の損失では必ずしも無く、領空・領海等を含む領土侵犯を理由に自衛権を発動できるんじゃないかと思います。そうしないと例えば、明らかに首相官邸や皇居を狙った戦闘機を事前に安全なところで撃墜できません。
集団的自衛権も自衛隊と日米同盟を考えると、キチンと認められるべきでしょう。例えば、日本の規定に準じてアメリカの領空・領海等が侵犯されて戦争が始まったらほぼ自動参戦すべきです(それをやったのは日本ぐらいしか記憶にありませんが)。これは拡大抑止を考えると、安全保障政策上必須だと言える話です(つまりミサイル攻撃も想定すべきで、ゆえにミサイル防衛政策も同盟国の政策と密接に連動する可能性を否定できません)。テロに対して自衛権を発動できるかは解釈の余地があると思います。
宇宙は宇宙条約で領有を禁止されています。
サイバー空間は良く分かりませんが、電線・電力会社と同じ扱いで、ケーブルやサーバーが扱われるんじゃないかと思います。
邦人保護ですが、やはり例えば犯罪組織の誘拐に対して自衛権で戦争という話は聞いたことありません。治安の話は治安の話で、自衛隊は対軍隊の組織だと本来的には明快に定義されるべきです。しかしながら、災害救助で派遣されますように、本来業務でない仕事ができないという訳でもありません。微妙なのが、日本及び同盟国の領域外での戦争に巻き込まれる事態です。これは憲法上、当然避けるべきで、万一偶発的事件に巻き込まれたら、可及的速やかに撤退すべきということになります。ただし、平和安全法制に定める掃海業務等は要するに(海の)地雷除去ですから本来的業務である自衛戦争と認定せず領域外で実行できると考えられます。(後方での)治安維持みたいなものですね。言い訳めいていると思われるかもしれませんが、こうした話は意外に重要で、自衛隊はマルチな能力を持っていますし、当然そういう実力組織であるべきですが、自衛隊が自衛を旨とする限りは、領域外での戦争に適した装備体系を有することなく、従ってそのような計画を持たないと考えられます。マルチな海外活動はそういう現行体制に基づき、必要に応じて実行できると考えられます。自衛隊という実力組織は自衛専門隊ではありませんが、自衛を明記しているがゆえに、明らかに自衛でない戦争を目的としないし、実際行わない(理論上は巻き込まれる可能性はゼロにはならないが撤退すべき)と考えられます。
集団安全保障は自衛隊である限り、難しいかもしれません。例えば、小国が攻撃されて参戦する時、自衛だと言えるのかという話です。参戦することで自ら危険に飛び込んでいる可能性が否定できません。日米同盟の場合は必ずしもそうではなく、やはり核時代・ミサイル時代ということを考えると、アメリカと連動して自衛することは、自衛そのものだと言い切ることが出来ます。(そんなことは無さそうですが)アメリカが滅べば、日本を核ミサイルから守る必要不可欠な戦力が消えることになります(勿論第一に自衛隊が日本を守ることは言うまでもありません)。これが国防軍だと国を守るという理由で集団安全保障できるかもしれません。何故なら、集団安全保障した方が理論上、国は安全になるからです。自衛は自警=Vigilanteと護衛=escortとと同じ漢字をそれぞれ使っており、自分すなわち自国を守るというニュアンスです。つまり他国を守るのは自国を守ることと密接に関連しない限り、難しいとも考えられます。国防の場合は自国ではなく日本国を守るという意味でより広い意味だと受け取る余地があります。
また、自衛で敵国の根拠地を叩くことは可能だと思います(先制攻撃はアウトであるにせよ)。実際問題、敵国の侵略により戦争が始まってしまえば、講和するまでは敵国を攻撃するより他ありません。相手が侵入するまでテリトリーで待つみたいな妙ちきりんな(実力が無い)話にはならないと考えます。例えば自警団の領域を攻撃した盗賊団を領域外でも反撃で襲撃しないというようなことが有り得るでしょうか?逃げ出したら回復してまた来るまで待ちぼうけるんでしょうか?アホクサ過ぎますね。そんなことでは到底講和できず平和を守ること等できそうにありません。
しかしながら、相手国を占領するとなると微妙な話になってきます。結果的にと言えど、日本が拡大するきっかけになりません。ですから、例えば盗賊団を叩いて陣地に乗り込み降伏させたとしても、撤退前提の話になるんだろうと思います。
もうひとつ、政府解釈に関してですが、基本的には自由に解釈できると筆者は思っています。ただし、変な解釈だと最高裁判所にやられるという話ではないでしょうか?(だからこそ変な解釈をしない)・・・立法や行政は憲法解釈について歯止めになる主体では理論上そもそも無いと思います。行政が憲法解釈と言うと変な話に聞こえるかもしれませんが、法律は実際のところ所轄の行政府が存在します。憲法解釈というのは(所轄の行政府がある)法律に絡んで憲法を解釈するという話で、憲法の条文そのものの論争は立法の領域です。憲法自体は行政府は当然決めていません。憲法に基づき法律が定められ、これに政府は関係します。これで一定の住み分けは存在していると言えます。立法府が解釈するというのは、選挙も経てメンバーもちょいちょい変わる上、衆議院・参議院もあるのに事実上誰が解釈するって話になりませんかね?内閣法制局の議論があるのは承知していますが、総理が大臣を任命しており、絶対的に有り得ない話でもないと思いますが、責任主体は政治家つまり総理や大臣であって、官僚が決めたら政治家が従うという話ではないんだろうと思います。
憲法解釈がコロコロ変わると安定性が損なわれるという話はあります。ですが、政権が変わって憲法解釈を絶対的に固定するなら、選挙をする意味そのものがありません。何を持って政権が変わったと言えるかと言えば、いろいろな解釈があると思いますが、絶対的に属人的・属党的でもなく、選挙で政権交代が争われたかになるんじゃないでしょうか?(政権交代を掲げる政党が必要かは微妙な話です)つまり第一次安倍政権と第二次安倍政権以降は異なる政府解釈が出来、第二次安倍政権以降、衆議院選挙を伴う安倍政権外の(自民党政権含む)政権が樹立しない限り、政府解釈は変えられないということになると考えられます。安倍政権は第二次政権以降は政権の継続を掲げて選挙を戦ったのですから、政府解釈は変えられないと思います(というより、理論上は可能ですが、選挙で問うことが通常無いと思われます。同じリーダーが継続を求めて選挙を戦うからです。政府解釈の変更を問う必要がある大きな事件があった場合は、解散して問うのが筋なのでしょう)。ですが、第二次政権は政権交代を求めて選挙を行っており(直接選挙で問うたか否に関わらず、平和安全法制はつまり民主党政権を経ており(つまり大きな変化を求められ交代しており)、第一次安倍政権を含む麻生政権以前の解釈を引き継ぐ必要があると思えません)、属人的に解釈を固定する必要があると思えません。国民主権な訳ですから。安倍政権が総辞職して別の自民党政権が成立したら、選挙を経ておらず政府解釈を固定する必要があると思いますが、選挙を経たら(微妙な部分もありますが、選挙で問えばリーダーが変わっていますから)政府解釈を国民主権で変えられると思います。これは引き継いで政権交代したか、自力で政権交代したかの違いです。事実上、こうした流れに参院選は絡まないのも当然です。ハッキリ言って、自民党政権だから、同じ人がやっているからというだけで、永遠に政府解釈が変えられないなら、選挙で議論する意味がありませんし、リーダーを変える意味もありません。任期制の大統領制の方が明快ですが、副大統領が緊急に引き継げば、政府解釈を変えられず、同じ大統領が選挙を経ても(自分で定めていない)憲法の政府解釈を変える必要が通常無く(大統領令は大統領の権限で常に変えられるような気がします)、同じ党の別の大統領なら憲法の政府解釈を変えに行く可能性が(同じ考えの党ですから低いながら)あるということでしょうか。まぁそもそも憲法を変えてきた国と憲法を変えてきていない国のありかたが違う可能性もあるかもしれませんが、念のため。・・・というより、本当は解釈を変えるのではなく、政権交代どうこう以前に憲法を改正して対応するのが本筋なんですが。政権交代による政府解釈変更は確かに脇道ではあるんですが、憲法改正反対こそ明快に96条・99条違反という訳です(更に言えば、国会議員・公党の安倍政権下での~は法の下の平等を定めた14条及び99条違反の可能性が濃厚です。ただ、それを裁く法律が存在しないんでしょう。憲法改正規定も第一次安倍政権までは事実上空文でした)。
最後に軍法に関しては、実際問題自衛のための実力組織に必要だと筆者は思っています。日本国憲法において(自衛隊員含む)国民は基本的人権を持ちますが、陸上自衛隊員が基本的人権を持つことを主張し、自由に戦線離脱するようでは問題外です(罰則が緩いと命惜しさに理論上無いと言えません)。自衛隊が明記されて違憲論が払拭されれば、公共の福祉やあるいは新設した緊急事態条項を根拠に基本的人権の当然の制約も可能になってくるでしょうし、最高裁判所も容易に違憲判決してこないような気もしますが、残念ながら特別裁判所を禁じた76条が問題になるようです。
憲法改正案(2)緊急事態条項
>世界各国において緊急事態対応が立法化された背景には、例えば独仏でナチスや分断の歴史があって内乱・テロに対応している。日本国憲法においては、参議院の緊急集会のみ54条で定め、災害や有事といった緊急事態対応は個別に法律で対応してきた。日本では有史以来、巨大地震や津波が発生しており、緊急事態条項を制定することにより、①国会機能の維持、②国会機能が確保できない場合、行政権限で対応する必要がある。
東日本大震災の例で民法云々の議論があったように記憶していますが、配布資料には書かれていません。恐らく大規模だからといってこれまでの災害対策法で対応できない事態(権利の制限)を想定しにくいのかもしれません。また、東日本大震災を考えると、南海トラフ大地震でも同様だろうと思います。
ただ、選挙の時期の問題等あると思います。選挙どころではない災害が起きた時、憲法に明記されている国会関連の選挙をどうするかという問題に対して法律で対応するのは困難です。
また、特に首都直下地震についてよくよく考える必要があると思います。国会も行政府も首都にあります。ですから、共にやられる事態すらあります。大規模テロや内乱・武力対応も同様ですが、首都機能麻痺に対して政府が首都に集中する以上、現行憲法で緊急事態で対応できない可能性が否定できません。地方政府の壊滅で地方自治に関する事態も政府で対応できるのか考える必要があるかもしれません。あるいは緊急事態とは憲法に明記されているものが機能不全に陥った場合どうするということなのかもしれません。
具体的には例えば37条国会が唯一の立法機関という規定に対して、緊急事態には国会の代わりに行政が臨時に同様の「立法」をするようなことは考えられますが(結局のところ、憲法の条項間の矛盾は判断根拠が存在しませんから理論上存在しえないと言えます。この場合あえて37条を残す意味は行政等が勝手に国会機能を創造することを防ぐ意味があると考えられます)、行政が同時に麻痺することも想定しないとリアリティが欠如する可能性があると思います。この場合、例えば行政機能を何処か別の場所に臨時で確保できれば、永田町・霞ヶ関周辺の麻痺に対応できるのような。
国民の権利制限に関しては、以前触れたことがあるような気もしますが、公共の福祉の文言修正などは考えられるかもしれませんが、これまで災害関連の法律等で対応してきたので、何故今までの理論では駄目なのか明快に説明する必要があるんだろうと思います。そうでないと、今までやれなかったこととは?で変な想定をされる余地が出てきて(テロ等準備罪でもそうでしたが、ありもしないデマが流れて(実際全くテレビで言われているような事態は起きませんでしたが、説得力があったか世論の批判は結構あって法律の制定は困難でした。憲法改正のハードルの高さは目もくらみます)、憲法改正が困難になる事態も考えられると思います。
憲法改正案(3)合区・地方公共団体
>人口の減少と一極集中の歯止めがかからない現状で今後も人口比例による一票の格差の是正が図られることになれば、合区の制定により自治体間の不公平感等生まれてくる事態が考えられる。また、憲法規定に地方公共団体の規定はあっても、基礎自治体と広域の地方自治体の規定は存在しない。
後段は特に重要な指摘だと思います。アメリカの州のような憲法上の規定がないから、合区誕生と相成った可能性があると思います。広域の地方自治体と書き、都道府県と書かないのは、道州制が看板の政党に参加の可能性を残すためのようです。筆者はやはり無闇に自治体を分断したり、くっつけたりするのは不公平感の元だと思います。多少一票の格差が出てくるとしても、自治体の一体性は極力守るべきで、そのために憲法改正が必要だという訳です。何でもアメリカではありませんが、一票の格差って何って?いう感じの国もあります(上院)。合衆国ですから分断したり、くっつけたりする訳にはいかないということでしょうが。
山陰の鳥取・島根も問題だとは思いますが、高知・徳島に至っては、結構山塊で分断されており、四県バラバラで四国だという話なのに、一緒に1人ねで悲しい話になっています。二線級であるかのような。
筆者は議員を減らすべきとは言いませんが、減らせば減らすほどこうした問題は出てきます。衆議院と参議院で一票の格差の判断基準が違いますが、その理論的根拠もよく分からない感じです。元々の議員数の違いだけのような。2倍を超えないならまだしも、参議院の3倍まで平等の理論的根拠もよく分からないですしね(合区すべきと全く思っておらず、その逆ですが)。
大都市民は地方が無茶な利益誘導をするとあるいは思っているのかもしれませんが、今時、そんなことは難しくなっており、キチンと計算されていると思います。仮にそうでないところがあるとしても、無理な投資を戒めるためにも、大都市の側も自治体間の明快に不平等な扱いを容認して、過剰な不公平感を煽るべきではないと思います。地方自治体とは何か、実際に二層構造なのですが、憲法上明記することで、同じ階層どうしにおいて、個別の不平等の扱いを抑止しやすくなると思います。高知県も徳島県は存在していますが、高知県+徳島県という団体は存在していません。国会議員は立法府であるとしても、実際問題地域の一体性とは概ね自治体の一体性を指すのであって、国会議員は選挙区、すなわち地方の代表だという側面があります。
東京の小さな区部に一杯議員がいるような事態こそ無駄そのものと言えるのかもしれません。なんとか区代表(区も分断・結合されており必ずしも代表ではないんですが)に対して、高知と徳島はセットで1人みたいな。いや、選挙区のイメージや特性・形みたいなものって結構重要で、人口比で適当な組み合わせでやられると、地域の声を届けるのが難しくなる側面もあるだろうと思います。
憲法改正案(4)教育充実
>義務教育の無償化の規定はあるが、憲法制定から70年が経過する中で、経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保と明記する必要がある。また、憲法89条私学助成禁止と読める規定は改定することが望ましい。
高校無償化は憲法規定はありません。高校進学率の高さから準義務教育と言える状況であってもです。義務ではないにせよ、経済的理由で高校進学を諦めるという人がいたら日本の人的損失と言えるのかもしれません。個別に法律の制定は可能かもしれませんが、明記していなかったからこそ、戦後長らく高校の無償化が無かったとも考えられます。その他、進学率が高まった現在の状況を常に考える必要もあるということでしょう。
また、普通の読み方で私学助成禁止と読める条文は問題あるも考えられます。最高裁判所も憲法学者も何処かの政党も教科書も意外と柔軟というか、ある種の人々に優しいところがあるのかもしれませんが、やはり普通に読める憲法こそが国民の憲法と言えると思います。
自民党愛媛県連リーダー塾第4講義(岡田直樹参議院議員)と配布資料を元に記事を作成します(>に続く部分は講義・資料の引用・要約、改行してですます調が筆者の意見)。
憲法改正案(1)自衛隊明記案
>①合憲という憲法学者が少なく、②中学校の大半の教科書(7社中6社)が違憲論に触れ、③国会に議席を持つ政党に違憲を主張するもの(注:共産党)があることを問題視し、自衛隊違憲論を解消するのが狙い。
これまであまり強調されておらず、なおかつ重要と考えられる視点は②の中学校教科書だと考えられます。義務教育教科書で憲法違反の疑いもあると明記されてしまう組織のモチベーション維持は難しいのではないでしょうか(教科書そのままの真面目な人ほど憲法学を学んだ人や某党党員に憲法違反と決め付けられて、そういう考え方もありますが~と答えることになると考えられます)。戦後、長く日本の平和を守ってきた自衛隊を正当に評価する必要があると思います。
憲法学は大学で勿論講義されますし、これまた教科書通りの真面目な人ほど、自衛隊=違憲だという考えを持つことになるとも考えられます(ただし政府見解は合憲なので政府関係者は異なるところがあるかもしれません)。別に教科書が間違っていたら書き換えればいいのですが(通説も時に間違います)、学校で学んだことこそ間違っていたというのは可哀相な話ではあると思います。
最高裁判所もそうそう自衛隊のような組織を違憲とはしないと思いますが、憲法学者の違憲を無視して当たり前というのも、あまり健全な話とも思えません。ちなみに憲法学者や某政党が幾ら違憲と決め付けたところで、政府見解こそ合憲であって、それに直接的に覆せる権限があるのは、最高裁判所のみということになります(後に取り上げますが一票の格差が最高裁判所に違憲状態と判決されて合区と相成りました。自民党政府・安倍政権が憲法に従っていない論は完全なるデマです)。ですから、そうそうないとは思われますが、(時折地裁の変な判決が話題になりますが)最高裁判所が憲法学者の大勢に従って、自衛隊は違憲などと判決されてしまうと、政府は自衛隊解散に向けて動かなければならないということになります。これは勿論望ましい状態ではなく、自衛隊明記論は正に必要性に基づくものです。
資料を見てもいろいろな案があったようですが、目的は違憲論を解消するためであり、国会の情勢を考え、加憲論で行こうというのが現行案です。
個人的にはこれまでの政府解釈のキーワード「必要最小限度の実力組織」は、必要に最小をつけるのは望ましくないと考えており、現行案が良いと思います。必要であれば必要なだけ素直に安全保障すればいいと思うんですよね。率直に言って。何でわざわざ必要なのに最小でなければならないのかという(どちらかと言えば、必要の範囲内で最大限にしたいぐらいです)。実際問題、安全保障というのは常に相手の戦力を知る状態になく、従って必要の範囲すら不明確なところもあって、ある程度余裕を持つ必要もありますから、その中で最小に真面目に拘ったらやってられないんじゃないかと思います。自衛隊のような組織が論理的につっこまれる事態は極力避けたいものです。ただし、政治的実現性に鑑み加憲論ということであれば、これまで通り勿論一定の制約がないという訳ではありません。論理的には憲法上も自衛権は否定されておらず、自衛隊が明記されれば、勿論自衛の範囲で違憲論は払拭できると考えられます(現在でも世界には時に自衛に見えない戦争が開始されることがあり、自衛権に限る政策的意味は十分あります。日本の現在の安全保障環境はそのような戦争に加わることを許さないと考えられ、近隣に急成長する強大な国を控え遠征する余裕もさして無い日本において、この程度の改憲でもまずまず妥当であるとも考えられます。個人的な好みは全面改訂でスッキリさせたいですが、要は実際に発議されることが重要です)。
憲法96条に規定がありますから、改憲それ自体は常に合憲です(実際に発議するための法律「日本国憲法の改正手続に関する法律」は安倍第一次政権下で成立しました)(ただし、最高裁判所が(憲法ではなく)法律を違憲だと判断することはあります)。また、憲法それ自体も合憲というか、どんな変な条文でも無謬ということになります(ですから、変な条文は改正しようというのが、そもそものあるべき筋であり、だからこそ憲法改正しようという話になっています)(99条憲法尊重擁護の義務の存在を考えると、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、日本国憲法を尊重し擁護する義務を負うんだそうです。安倍総理や国会議員が変というかスッキリしないことを言っていると思う時は、この辺の事情があるのかもしれません。国民としては変な条文は変だと思いますがね)。
敵基地攻撃論は、事前に攻撃を察知し敵を叩き潰す理論上は素晴らしい考えですが、実際問題例えばミサイル攻撃される前に察知し、なおかつ攻撃される前に叩き潰すのは難しいとも考えられます。費用対効果を考えても日本は打ち出の小槌を持っている訳ではありません。
後、自衛の定義ですが、憲法上は明確ではなく、人命の損失では必ずしも無く、領空・領海等を含む領土侵犯を理由に自衛権を発動できるんじゃないかと思います。そうしないと例えば、明らかに首相官邸や皇居を狙った戦闘機を事前に安全なところで撃墜できません。
集団的自衛権も自衛隊と日米同盟を考えると、キチンと認められるべきでしょう。例えば、日本の規定に準じてアメリカの領空・領海等が侵犯されて戦争が始まったらほぼ自動参戦すべきです(それをやったのは日本ぐらいしか記憶にありませんが)。これは拡大抑止を考えると、安全保障政策上必須だと言える話です(つまりミサイル攻撃も想定すべきで、ゆえにミサイル防衛政策も同盟国の政策と密接に連動する可能性を否定できません)。テロに対して自衛権を発動できるかは解釈の余地があると思います。
宇宙は宇宙条約で領有を禁止されています。
サイバー空間は良く分かりませんが、電線・電力会社と同じ扱いで、ケーブルやサーバーが扱われるんじゃないかと思います。
邦人保護ですが、やはり例えば犯罪組織の誘拐に対して自衛権で戦争という話は聞いたことありません。治安の話は治安の話で、自衛隊は対軍隊の組織だと本来的には明快に定義されるべきです。しかしながら、災害救助で派遣されますように、本来業務でない仕事ができないという訳でもありません。微妙なのが、日本及び同盟国の領域外での戦争に巻き込まれる事態です。これは憲法上、当然避けるべきで、万一偶発的事件に巻き込まれたら、可及的速やかに撤退すべきということになります。ただし、平和安全法制に定める掃海業務等は要するに(海の)地雷除去ですから本来的業務である自衛戦争と認定せず領域外で実行できると考えられます。(後方での)治安維持みたいなものですね。言い訳めいていると思われるかもしれませんが、こうした話は意外に重要で、自衛隊はマルチな能力を持っていますし、当然そういう実力組織であるべきですが、自衛隊が自衛を旨とする限りは、領域外での戦争に適した装備体系を有することなく、従ってそのような計画を持たないと考えられます。マルチな海外活動はそういう現行体制に基づき、必要に応じて実行できると考えられます。自衛隊という実力組織は自衛専門隊ではありませんが、自衛を明記しているがゆえに、明らかに自衛でない戦争を目的としないし、実際行わない(理論上は巻き込まれる可能性はゼロにはならないが撤退すべき)と考えられます。
集団安全保障は自衛隊である限り、難しいかもしれません。例えば、小国が攻撃されて参戦する時、自衛だと言えるのかという話です。参戦することで自ら危険に飛び込んでいる可能性が否定できません。日米同盟の場合は必ずしもそうではなく、やはり核時代・ミサイル時代ということを考えると、アメリカと連動して自衛することは、自衛そのものだと言い切ることが出来ます。(そんなことは無さそうですが)アメリカが滅べば、日本を核ミサイルから守る必要不可欠な戦力が消えることになります(勿論第一に自衛隊が日本を守ることは言うまでもありません)。これが国防軍だと国を守るという理由で集団安全保障できるかもしれません。何故なら、集団安全保障した方が理論上、国は安全になるからです。自衛は自警=Vigilanteと護衛=escortとと同じ漢字をそれぞれ使っており、自分すなわち自国を守るというニュアンスです。つまり他国を守るのは自国を守ることと密接に関連しない限り、難しいとも考えられます。国防の場合は自国ではなく日本国を守るという意味でより広い意味だと受け取る余地があります。
また、自衛で敵国の根拠地を叩くことは可能だと思います(先制攻撃はアウトであるにせよ)。実際問題、敵国の侵略により戦争が始まってしまえば、講和するまでは敵国を攻撃するより他ありません。相手が侵入するまでテリトリーで待つみたいな妙ちきりんな(実力が無い)話にはならないと考えます。例えば自警団の領域を攻撃した盗賊団を領域外でも反撃で襲撃しないというようなことが有り得るでしょうか?逃げ出したら回復してまた来るまで待ちぼうけるんでしょうか?アホクサ過ぎますね。そんなことでは到底講和できず平和を守ること等できそうにありません。
しかしながら、相手国を占領するとなると微妙な話になってきます。結果的にと言えど、日本が拡大するきっかけになりません。ですから、例えば盗賊団を叩いて陣地に乗り込み降伏させたとしても、撤退前提の話になるんだろうと思います。
もうひとつ、政府解釈に関してですが、基本的には自由に解釈できると筆者は思っています。ただし、変な解釈だと最高裁判所にやられるという話ではないでしょうか?(だからこそ変な解釈をしない)・・・立法や行政は憲法解釈について歯止めになる主体では理論上そもそも無いと思います。行政が憲法解釈と言うと変な話に聞こえるかもしれませんが、法律は実際のところ所轄の行政府が存在します。憲法解釈というのは(所轄の行政府がある)法律に絡んで憲法を解釈するという話で、憲法の条文そのものの論争は立法の領域です。憲法自体は行政府は当然決めていません。憲法に基づき法律が定められ、これに政府は関係します。これで一定の住み分けは存在していると言えます。立法府が解釈するというのは、選挙も経てメンバーもちょいちょい変わる上、衆議院・参議院もあるのに事実上誰が解釈するって話になりませんかね?内閣法制局の議論があるのは承知していますが、総理が大臣を任命しており、絶対的に有り得ない話でもないと思いますが、責任主体は政治家つまり総理や大臣であって、官僚が決めたら政治家が従うという話ではないんだろうと思います。
憲法解釈がコロコロ変わると安定性が損なわれるという話はあります。ですが、政権が変わって憲法解釈を絶対的に固定するなら、選挙をする意味そのものがありません。何を持って政権が変わったと言えるかと言えば、いろいろな解釈があると思いますが、絶対的に属人的・属党的でもなく、選挙で政権交代が争われたかになるんじゃないでしょうか?(政権交代を掲げる政党が必要かは微妙な話です)つまり第一次安倍政権と第二次安倍政権以降は異なる政府解釈が出来、第二次安倍政権以降、衆議院選挙を伴う安倍政権外の(自民党政権含む)政権が樹立しない限り、政府解釈は変えられないということになると考えられます。安倍政権は第二次政権以降は政権の継続を掲げて選挙を戦ったのですから、政府解釈は変えられないと思います(というより、理論上は可能ですが、選挙で問うことが通常無いと思われます。同じリーダーが継続を求めて選挙を戦うからです。政府解釈の変更を問う必要がある大きな事件があった場合は、解散して問うのが筋なのでしょう)。ですが、第二次政権は政権交代を求めて選挙を行っており(直接選挙で問うたか否に関わらず、平和安全法制はつまり民主党政権を経ており(つまり大きな変化を求められ交代しており)、第一次安倍政権を含む麻生政権以前の解釈を引き継ぐ必要があると思えません)、属人的に解釈を固定する必要があると思えません。国民主権な訳ですから。安倍政権が総辞職して別の自民党政権が成立したら、選挙を経ておらず政府解釈を固定する必要があると思いますが、選挙を経たら(微妙な部分もありますが、選挙で問えばリーダーが変わっていますから)政府解釈を国民主権で変えられると思います。これは引き継いで政権交代したか、自力で政権交代したかの違いです。事実上、こうした流れに参院選は絡まないのも当然です。ハッキリ言って、自民党政権だから、同じ人がやっているからというだけで、永遠に政府解釈が変えられないなら、選挙で議論する意味がありませんし、リーダーを変える意味もありません。任期制の大統領制の方が明快ですが、副大統領が緊急に引き継げば、政府解釈を変えられず、同じ大統領が選挙を経ても(自分で定めていない)憲法の政府解釈を変える必要が通常無く(大統領令は大統領の権限で常に変えられるような気がします)、同じ党の別の大統領なら憲法の政府解釈を変えに行く可能性が(同じ考えの党ですから低いながら)あるということでしょうか。まぁそもそも憲法を変えてきた国と憲法を変えてきていない国のありかたが違う可能性もあるかもしれませんが、念のため。・・・というより、本当は解釈を変えるのではなく、政権交代どうこう以前に憲法を改正して対応するのが本筋なんですが。政権交代による政府解釈変更は確かに脇道ではあるんですが、憲法改正反対こそ明快に96条・99条違反という訳です(更に言えば、国会議員・公党の安倍政権下での~は法の下の平等を定めた14条及び99条違反の可能性が濃厚です。ただ、それを裁く法律が存在しないんでしょう。憲法改正規定も第一次安倍政権までは事実上空文でした)。
最後に軍法に関しては、実際問題自衛のための実力組織に必要だと筆者は思っています。日本国憲法において(自衛隊員含む)国民は基本的人権を持ちますが、陸上自衛隊員が基本的人権を持つことを主張し、自由に戦線離脱するようでは問題外です(罰則が緩いと命惜しさに理論上無いと言えません)。自衛隊が明記されて違憲論が払拭されれば、公共の福祉やあるいは新設した緊急事態条項を根拠に基本的人権の当然の制約も可能になってくるでしょうし、最高裁判所も容易に違憲判決してこないような気もしますが、残念ながら特別裁判所を禁じた76条が問題になるようです。
憲法改正案(2)緊急事態条項
>世界各国において緊急事態対応が立法化された背景には、例えば独仏でナチスや分断の歴史があって内乱・テロに対応している。日本国憲法においては、参議院の緊急集会のみ54条で定め、災害や有事といった緊急事態対応は個別に法律で対応してきた。日本では有史以来、巨大地震や津波が発生しており、緊急事態条項を制定することにより、①国会機能の維持、②国会機能が確保できない場合、行政権限で対応する必要がある。
東日本大震災の例で民法云々の議論があったように記憶していますが、配布資料には書かれていません。恐らく大規模だからといってこれまでの災害対策法で対応できない事態(権利の制限)を想定しにくいのかもしれません。また、東日本大震災を考えると、南海トラフ大地震でも同様だろうと思います。
ただ、選挙の時期の問題等あると思います。選挙どころではない災害が起きた時、憲法に明記されている国会関連の選挙をどうするかという問題に対して法律で対応するのは困難です。
また、特に首都直下地震についてよくよく考える必要があると思います。国会も行政府も首都にあります。ですから、共にやられる事態すらあります。大規模テロや内乱・武力対応も同様ですが、首都機能麻痺に対して政府が首都に集中する以上、現行憲法で緊急事態で対応できない可能性が否定できません。地方政府の壊滅で地方自治に関する事態も政府で対応できるのか考える必要があるかもしれません。あるいは緊急事態とは憲法に明記されているものが機能不全に陥った場合どうするということなのかもしれません。
具体的には例えば37条国会が唯一の立法機関という規定に対して、緊急事態には国会の代わりに行政が臨時に同様の「立法」をするようなことは考えられますが(結局のところ、憲法の条項間の矛盾は判断根拠が存在しませんから理論上存在しえないと言えます。この場合あえて37条を残す意味は行政等が勝手に国会機能を創造することを防ぐ意味があると考えられます)、行政が同時に麻痺することも想定しないとリアリティが欠如する可能性があると思います。この場合、例えば行政機能を何処か別の場所に臨時で確保できれば、永田町・霞ヶ関周辺の麻痺に対応できるのような。
国民の権利制限に関しては、以前触れたことがあるような気もしますが、公共の福祉の文言修正などは考えられるかもしれませんが、これまで災害関連の法律等で対応してきたので、何故今までの理論では駄目なのか明快に説明する必要があるんだろうと思います。そうでないと、今までやれなかったこととは?で変な想定をされる余地が出てきて(テロ等準備罪でもそうでしたが、ありもしないデマが流れて(実際全くテレビで言われているような事態は起きませんでしたが、説得力があったか世論の批判は結構あって法律の制定は困難でした。憲法改正のハードルの高さは目もくらみます)、憲法改正が困難になる事態も考えられると思います。
憲法改正案(3)合区・地方公共団体
>人口の減少と一極集中の歯止めがかからない現状で今後も人口比例による一票の格差の是正が図られることになれば、合区の制定により自治体間の不公平感等生まれてくる事態が考えられる。また、憲法規定に地方公共団体の規定はあっても、基礎自治体と広域の地方自治体の規定は存在しない。
後段は特に重要な指摘だと思います。アメリカの州のような憲法上の規定がないから、合区誕生と相成った可能性があると思います。広域の地方自治体と書き、都道府県と書かないのは、道州制が看板の政党に参加の可能性を残すためのようです。筆者はやはり無闇に自治体を分断したり、くっつけたりするのは不公平感の元だと思います。多少一票の格差が出てくるとしても、自治体の一体性は極力守るべきで、そのために憲法改正が必要だという訳です。何でもアメリカではありませんが、一票の格差って何って?いう感じの国もあります(上院)。合衆国ですから分断したり、くっつけたりする訳にはいかないということでしょうが。
山陰の鳥取・島根も問題だとは思いますが、高知・徳島に至っては、結構山塊で分断されており、四県バラバラで四国だという話なのに、一緒に1人ねで悲しい話になっています。二線級であるかのような。
筆者は議員を減らすべきとは言いませんが、減らせば減らすほどこうした問題は出てきます。衆議院と参議院で一票の格差の判断基準が違いますが、その理論的根拠もよく分からない感じです。元々の議員数の違いだけのような。2倍を超えないならまだしも、参議院の3倍まで平等の理論的根拠もよく分からないですしね(合区すべきと全く思っておらず、その逆ですが)。
大都市民は地方が無茶な利益誘導をするとあるいは思っているのかもしれませんが、今時、そんなことは難しくなっており、キチンと計算されていると思います。仮にそうでないところがあるとしても、無理な投資を戒めるためにも、大都市の側も自治体間の明快に不平等な扱いを容認して、過剰な不公平感を煽るべきではないと思います。地方自治体とは何か、実際に二層構造なのですが、憲法上明記することで、同じ階層どうしにおいて、個別の不平等の扱いを抑止しやすくなると思います。高知県も徳島県は存在していますが、高知県+徳島県という団体は存在していません。国会議員は立法府であるとしても、実際問題地域の一体性とは概ね自治体の一体性を指すのであって、国会議員は選挙区、すなわち地方の代表だという側面があります。
東京の小さな区部に一杯議員がいるような事態こそ無駄そのものと言えるのかもしれません。なんとか区代表(区も分断・結合されており必ずしも代表ではないんですが)に対して、高知と徳島はセットで1人みたいな。いや、選挙区のイメージや特性・形みたいなものって結構重要で、人口比で適当な組み合わせでやられると、地域の声を届けるのが難しくなる側面もあるだろうと思います。
憲法改正案(4)教育充実
>義務教育の無償化の規定はあるが、憲法制定から70年が経過する中で、経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保と明記する必要がある。また、憲法89条私学助成禁止と読める規定は改定することが望ましい。
高校無償化は憲法規定はありません。高校進学率の高さから準義務教育と言える状況であってもです。義務ではないにせよ、経済的理由で高校進学を諦めるという人がいたら日本の人的損失と言えるのかもしれません。個別に法律の制定は可能かもしれませんが、明記していなかったからこそ、戦後長らく高校の無償化が無かったとも考えられます。その他、進学率が高まった現在の状況を常に考える必要もあるということでしょう。
また、普通の読み方で私学助成禁止と読める条文は問題あるも考えられます。最高裁判所も憲法学者も何処かの政党も教科書も意外と柔軟というか、ある種の人々に優しいところがあるのかもしれませんが、やはり普通に読める憲法こそが国民の憲法と言えると思います。