三電計装株式会社の社長日記

無線通信分野での事業を通して四国を元気にしたいと思っております。

どのようにしたら

2021-03-09 09:22:30 | Weblog

先日録画していた「ありがとう裕さん さらば石原軍団 ~日本一愛された男 真実の物語~」を見ました。

1956年、すい星のごとく現れた大スター・石原裕次郎。1987年に52歳の若さでこの世を去った裕次郎さんは、いまなお多くの日本人に愛され続けています。去る1月16日、そんな裕次郎さんが夢を実現するために設立し、彼亡き後、仲間がその思いを引き継いできた石原プロモーションが、その歴史に幕を下ろしました。そんな今だからこそ、改めて振り返りたい。

石原裕次郎とは、どんな人物だったのか─?

2月27日(土)放送の「ありがとう裕さん さらば石原軍団~日本人が最も愛した男 真実の物語~」は、石原裕次郎さんの生涯を描き出すドキュメンタリー番組です。 今回は、番組の見どころを紹介するとともに、当番組のプロデューサーであり、長年石原プロの取材を続けてきた関本好則氏に聞いた、裕次郎さんのエピソードをいくつか紹介します。

と、NHKホームページで番組紹介しています。

個人的には、若いころカラオケが流行り出し石原裕次郎の歌ってカッコ良いといいますか、声も良いしなんか良いという事で歌からファンになったのが18の時です。

それから気になっていろいろ調べてみると、前から知ってましたがとにかく昭和の大スター!

今の俳優とか比較できません。

老若男女皆が知ってるし気になる存在でした。

晩年病気との戦いでしたが、大動脈瘤の手術をして一命をとりとめ皆さんに感謝を伝えたいと当時大人気テレビドラマの西部警察を全国16か所でロケを慣行しました。

その光景が凄い!

ロケの前に地元の方に挨拶するために遊園地を貸切大勢(数万人)のファンが押し寄せている中で挨拶されてました。

ただ、裕次郎が来るだけで!

今そこまで動員できる俳優など芸能人はいない光景です。

亡くなったのがそれから3年後、ちょうと二十歳の時でした。

当時部屋に中古で買ってきた石原裕次郎のLPジャケットを飾ってましたので非常に衝撃を受けたのを今でも覚えています。

そんな石原裕次郎さんが作った石原プロ(通称:石原軍団)が今年の1月16日に解散したための特番でした。

冒頭亡くなった渡哲也さんの石原裕次郎さんを想う言葉が凄いと言いますか考えさせられました。

どのようにしたら、あのように人を信じ受け入れることができるんだろう

どのようにしたら、あのようにうそなく自然体のままで生きて行けるんだろう
 
一緒にいるだけでなぜ己が生きている実感を味わうことができるんだろう
 
このような言葉です。
 
人間だれしもカッコ付けたがりますし、良いように見られたいと背伸びすることもあります。
 
人の話を素直に信じず、自分のちっぽけな経験値だけで判断してしまう事もあります。
 
一緒にいるだけで、己が生きている実感を味わう事って妻子供はそれに近いと思いますが、その人といるだけで生きている実感ってなかなか出てこないと言いますか、そんな人どこにいるのか?
っていう感じに思えます。
 
そんな人にはなれませんが、ちょっとだけでも近づきたいとは思います。
 
とにかく素直でいつも自然体でいられたら、こんなに良い事はないでしょう!
 
コメント
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