ワニなつノート

空のランドセル(その2)



空のランドセル(その2)



『空のランドセル』は、石牟礼さんの「苦界浄土」を読み返したあと、ゆめにみた。

具体的には、ゆりさんと母親のことが書かれた第五章、草の親。



      ◇


杉原彦次の次女ゆり。41号患者。

カラス ナゼナクノ。
カラス ハ ヤマニ
カアイ ナナツ ノ
コガ アルカラヨ

娘はそううたっていた。四歳の頃。
カラスナゼナクノと母親は胸の中で唄う。

「ゆりちゃんもう花も摘まんとかい、唄もうたわんとかい。」

「一年生にあがるちゅうて喜んで、まあだ帳面いっちょ、本いっちょ、入っとらん空のランドセルば背負うて石垣ばぴょんぴょん飛んでおりて、そこら近辺みせびらかしてまわりよったが――。」

「ガッコにも上がらんうちに、おっとろしか病気にとかまってしもうた。」


「木にも草にも、魂はあるとうちは思うとに。魚にもめめずにも魂はあると思うとに。
うちげのゆりにはそれがなかとはどういうことな。」

「魂もなか人形じゃと、新聞にも書いてあったげなが……
ゆりはもうぬけがらじゃと、魂はもう残っとらん人間じゃと、新聞記者さんの書いとらすげな。大学の先生の診立てじゃろかいなあ。」

「いくら養生してもあん子が精根は元に戻らん。目もぜんぜん見えん、耳もきこえん。大学病院まで入れてもろて、えらか先生方に何十人も手がけてもろても治らんもんを、もうたいがいあきらめた方がよか」


「…うちはなあとうちゃん、ゆりはああして寝とるばっかり、もう死んどる者じゃ、草や木と同じに息しとるばっかり、そげんおもう。
ゆりが草木ならば、うちは草木の親じゃ。
ゆりがとかげの子ならばとかげの親、
鳥の子ならば鳥の親、めめずの子ならばめめずの親―――。
…なんの親でもよかたいなあ。
鳥じゃろと草じゃろと。
うちはゆりの親でさえあれば、なんの親にでもなってよか。」

「…ありゃなんの涙じゃろか、ゆりが涙は。
心はなあんも思いよらんちゅうが、なんの涙じゃろか、ゆりがこぼす涙は、とうちゃん――。」



(石牟礼道子全集 不知火第2巻 「苦界浄土」より、抜粋)
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