自分が自分であることの確かさ。
ある夜、闇に紛れふいに消えてしまうことはない、
自分がここにいる、自信と安心、のこころ
あるとき、子どもの心にせまる「なんでお前はここにいるのか」
「どうしてお前は生まれてきたのか」という問い。
その問いに、言葉での答えや理解ではなく、日常の生きる営みのなかで忘れさせてくれる、生活の繰り返しを持てているか。
問うまでもなく、あたりまえに、
一緒に毎日の生活を繰り返す時間のなかに、
自分の存在に差し挟まれた疑問を忘れさせ、
まぎれさせることができる子どもの時間をどれだけ持てるか。
存在の疑問を忘れて過ごす、子どもの時間の大切さ。
どんなに刃向っても、どんなに抗っても、ぼくに向き合う人がいる。
向き合う人がいる確かさが、ぼくがここにいる確かさを、くれる。
生まれてまだ慣れないこの世で、ふと迫られる疑問。
わたしは ここに いて いいのか
わたしは ここに いきていて いいのか
その疑問を忘れて過ごすときの積み重ねを、子どもの時間という。
その疑問を、一緒に考えてくれて、一緒に悩んでくれて、一緒に前を向いてくれる人。
そんな人が、ふつうの生活のそばにいてくれてること。
朝に日が上り、目覚め、まなざしやことばや笑顔や息遣いを交わす生活。
家族と過ごし、友だちと遊び、
日が暮れたら帰る家があり、待っていてくれるひとがいる。
出来ることや分かることは人それぞれ
感情の流れもまた人それぞれ
何ができてもできなくても、
何が分かって、何が分からなくても、
人の生活に感情はながれゆく。
◇
「一緒に考えてくれる人間と同時に、自分が現れる。」
◇
どうして? どうして? どうして?
その疑問に対して、母親に黙って泣かれる 子どものこころ
生まれたままの姿を、マジックで塗り隠される子どものこころ
わたしは、わたしの存在の自信をなくす
こどもは、こどもの存在の自信をなくす
なぜなら、わたしを信じることばがない
自分を信じる笑顔がない
わたしは大好きな人に、黙って泣かれる存在。
じぶんは大好きな人に、自分であることを隠され、かばわれる存在。
そこには、一緒に当たり前に悩んで考えてくれる人がいない。
こんなちっぽけな自分のことを一緒に考えてくれる人がいないと、
「おれもにんげんになれるかな」と思い始めることもできない。
◇
待つとか寄り添うとか支えるとか、
そんな言葉や技術や理解ややり方より、問われているのは、「わたし」という人間だった。
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