ワニなつノート

「ストレス反応システム」と「社会的手がかり読みとりシステム」(その1)

「ストレス反応システム」と
「社会的手がかり読みとりシステム」(その1)



私たちの脳は、どんなふうに「ストレス」に「反応」する
「システム」を持っているのでしょう?

「ストレス」とは、自分にとっての「危険を感じること」です。
自分に「危険」が迫っていたら、とうぜん、
私たちは何らかの「反応」をします。
それを「ストレス反応システム」と言うそうです。

たとえば、図書館で本を読んでいるときに、
誰かが重い本をテーブルに落とした場合、
人はその音を聞いたら、すぐに読書をやめるでしょう。

覚醒反応を活性化させ、音の発生源に注目し、
それが安全でなじみのある出来事なのかどうかを見極めて、
ようやく心配はないと判断します。

ところが、図書館で大きな音が聞こえて、
振り向くと、周囲の人たちが驚いた様子をしていて、
顔を上げると銃を持った男がいた場合、
脳の状態は覚醒から警戒へと変わり、
おそらく激しい恐怖を感じます。

そして、それが悪い生徒のいたずらであるとわかったら、
脳は覚醒から、鎮静化していきます…。


この図書館の例は、簡単にイメージできるだろうと思います。
このとき、人の頭のなかでは、
「脳」がどんなふうに働いているのか。
ブルース・ペリーの本では、こんなふうに説明されています。

    □    □    □

【脳の危険を感知するシステムは、「とても怯えたとき」、
入ってくる情報をまとめつづけ、
生命を守るためにどう反応すべきか、身体全体を調整する。

脳と身体全体が、まちがったことをしていないかを
確かめるため、神経系と内分泌系が協調して働く。

まず、脳が前頭皮質のおしゃべりを停止することによって、
関係のない思考をやめさせる。

それから、大脳辺縁系の「社会的手がかり読みとりシステム」に
主導権を渡し、誰が守ってくれ、
誰が脅威になるのかを判断するために、
周囲の人たちの様子を集中して観察する。

逃走や逃避の必要に備えて筋肉に血液を送るため、
心拍数が上昇する。

筋肉は緊張状態になり、
空腹などの感覚はとりあえず無視される。

数え切れない方法で、脳はその人を守ろうとする。】



これを読んで、私の中に浮かぶのは、
普通学級の「障害児」たちのことでした。

「障害児」と呼ばれる子どもたちが、どれほどがんばって、
「この社会でいきる自分のポジションを手に入れるために、
学習し、観察し、考え、試し、確認し、行動しているか」
を思い出します。

「問題行動とは適応行動のことである」というのは、
まさに、こうした「脳の働き」のことなのでしょう。

聞きなれない音にびっくりして、動きをとめ、
耳をすまし、目を見張る。

「ストレス反応システム」
それは、私たちの誰もが使っているシステムです。

それなのに、「障害児」の行動だけを、
「問題行動」とか「パニック」として、
障害児特有の、意味不明の行動のように扱うのは、どうしてでしょう。

たぶん、私たち自身、
自分の「脳」がどんなふうに働いているのか、
よくわかっていないのです。
それなのに、障害児に対してだけは、
「そんなふうに反応するのはおかしい」と思うのです。

とくに私が、おもしろかったのは、
《社会的手がかり読みとりシステム》という言葉です。

「誰が守ってくれるのか、誰が自分に安全を教えてくれるのか」
それを判断するために
「周囲の人たちの様子を集中して観察する」

たとえば、やっちゃんが、小学校一年生の運動会に参加できず、
教室から一歩も出れなかったのは、
運動会本番に、何か「不安」を感じさせるものがあり、
何が安全で何が危険なのか、いつが安全でありいつが危険なのか、
そうしたことを、自分自身の中に判断する基準が
まだなかったのでしょう。
小学校一年生なんだから、あたりまえのことです。

そして、また、「社会的手がかり読みとりシステム」を使っても、
まだ、誰が守ってくれるのか、
周囲の人を判断する経験もまだ乏しかったのでしょう。

そうした中では、もっとも安心で安全なのは、
自分の教室に一日閉じこもることでした。

運動会そのものが恐怖だったり、学校がいやなら、
家に帰ったことでしょう。
でも、そうはしませんでした。

1年1組の教室に一日閉じこもっている参加の仕方をしながら、
やっちゃんは、運動会への「社会的手がかりシステム」を
成長させるため、全力で観察学習を開始したのでした。

そして、やっちゃんの「運動会への
「社会的手がかり読み取りシステム」が、OKを出したのは、
5年生のときでした。

そのシステムが完成した証拠に、その後は6年生もOKでした。
そして、新しい学校、新しい環境、新しい運動会であるはずの
中学校の運動会にも、やっちゃんの運動会への
「社会的手がかりシステム」は、きちんと対応しました。
中学1年から、なんの問題もなく、
(担任に言わせれば色々あるのでしょうが…)
一人で運動会に参加したのでした。

やっちゃんの運動会への「社会的手がかり読み取りシステム」
の判断の基準に、「同級生たち何十人、何百人のみんなが、
安心している姿、楽しんでいる姿」があることは、
あまりに確かなことです。

始めての中学校の運動会が、安全かどうか、
やっちゃん自身が判断できなかったとしても、
周りの同級生を見て「判断すること」。
それを、小学校生活で身につけたことは、確かなことだと思います。

ヒデも、始めての場所、
とくに暗い場所が苦手で入れない子どもでした。
だから、映画館も入れませんでした。
それが、いつごろからか、学校の行事でなら、
暗い体育館にもふつうに入れるようになっていました。
中学でも、そして3年浪人してブランクがあった後の高校でも、
みんなと一緒なら、暗い視聴覚室にふつうに入っていけるのでした。


誰が守ってくれ、誰が脅威になるのかを判断するために、
周囲の同級生の様子を集中して観察すること。

そうした「社会的手がかり読みとりシステム」の成長は、
あまり評価されてきませんでした。
でも、社会で生きていくために、
ふつうの人たちの中で生きていくために、
健常者がいっぱいの地域でふつうに生きていくためには、
そのことは、とても大事な能力だと私は思います。

そして、この能力は、「個別」や「1対1」、
少人数や、障害児だけの場では、
決して身に付くことのない能力です。


(※図書館の例、および脳についての説明は
『犬として育てられた少年』ブルース・D・ペリー
紀伊國屋書店~の引用です。)
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