(または、「自分を恥ずかしいと感じている子ども」の研究)
「障害のある自分を恥ずかしいと思わないでほしい。」
「障害があるから、嫌われても仕方ないなんて
あきらめないでほしい。」
親が心からそう願うとき、
子どもにしてあげられることは、どんなことだろう。
歩けないことは、恥ずかしいことじゃない。
100点が取れないことはひとつも恥ずかしいことじゃない。
自分の手でご飯が食べられないことは恥ずかしいことじゃない。
一人でトレイに行けず、
人の手をかりることは恥ずかしいことじゃない。
目が見えないことも聞こえないことも、
人として恥ずかしいことじゃない。
この社会は、見える人に合わせて作られているから、
見えないことで危険なこともたくさんある。
車も電車も、自転車も、見えない人や聞こえない人にとっては、
命に関わる危険なことがたくさある。
見えないことで、不便なこともいっぱいある。
でも、それは、「見えない人間」のせいではない。
見えない人も見える人も、安心して一緒に暮らせる
街や乗り物を作ろうとする人たちとつながりながら、
自分の人生を堂々と生きていくことができるから。
話せないことや字が読めないこと、書けないことも、
人として恥ずかしいことではない。
相手が聞き取れるようにうまく発音できないことは、
恥ずかしいことではない。
飛び箱がとべないこと、逆上がりができないこと、
ドッヂボールが苦手なこと。
自分が男の子であることに違和感があること。
自分が女の子であることに違和感のあること。
人がたくさんいる場所が苦手なこと。
学校に行けないこと。
子どもの心が、いまの自分の姿と気持ちに正直であることに、
恥ずかしいことなど一つもない。
何かが一人でできること、それまでできなかったことが、
がんばってできるようになったとき、
うれしい気持ちになるのは自然なこと。
あこがれのイチローのように野球ができたら、
どんなにうれしく、楽しいことだろうと誰も思う。
でも、そうしたあこがれや夢と、
自分にギャップがあることは、恥ずかしさとは別のこと。
一人でできないこと、があることは、恥ずかしいことではない。
もともと、わたしたちは誰も、
「社会的な哺乳類であり、他人と関わり、
相互に深く結びつき、依存しあわないと生きていけない。」
障害があることが恥ずかしいこと?
そんなことを真面目にいう人に出会ったら、こう聞いてみるといい。
「社会的な哺乳類であることは、恥ずかしいことですか?」
「他人と関わり、深く結びつき、依存し合わないと
生きていけないことは、恥ずかしいことですか?」
その人が、イエスと答えるなら、
その人は自分が人間であることをやめたいのかもしれない。
□ □ □
「障害のある自分を恥ずかしいと思わないでほしい。」
「障害があるから、嫌われても仕方ないなんて
あきらめないでほしい。」
親が心からそう願うとき、
子どもにしてあげられることは、どんなことだろう。
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