ワニなつノート

指点字通訳と普通学級の介助(その3)


【3・通訳】



《指点字の会話》と、《指点字の通訳》、
いったい何が違うのか?
《指点字の会話》だけでは、足りないものとは何か?

【コミュニケーション「革命」】という一節に、
通訳発見の様子が描かれています。

  ☆    ☆    ☆


81年7月21日。
夕食を終えた智は、先輩と友人と喫茶店へ出かけた。
4人がけのテーブルの奥に智、その右隣に佳子、
智の向かいに伊山がすわった。

明日から夏休みだ。
自然に帰省の話になった。
佳子が、智の指先にふっと打ち始めた。

【「み う ら :
いやまくんはいつおうちにかえるの?」
「い や ま :
うーんとね、22にちにかえろうとおもうんだけどね」】

智はこのやりとりを指先で聴いた瞬間、
ぱっと目の前が明るくなった。
何かがはじけた気がした。

初めてのことが二つおきた。

智の手にふれている人が智に話しかけるのではなく、
智以外の人同士のやりとりを伝えた。

この場合、佳子と伊山。
それも、誰が話しているか区別して、言葉もそのままに。
佳子は、まるで映画の脚本のように、
発言者の名前、そして発言とのくぎりの印を打ち、
発言内容を智の指に打ったのだ。

これまでなら、こんな風だった。
「伊山くんに夏休みの過ごし方を三浦がきいたら、
22日に帰るんですって」

同じようでいて、智にとっては全く違う。
発言者の生きた言葉が、「やりとり」そのまま、
リアルタイムで伝わった。

「…と思うんだけどね」という語尾は、
伊山のいつもの口調だ。
この感激と驚き。

やっと自分がこの世界に戻ってきた。
いま、ここにいる気がした。



☆    ☆    ☆


この場面のすぐ後に、福島さんの言葉が置かれます。

「全く聞こえなくなったどん底から、通訳発見まで3ヶ月ほど。
もし、何年もかかっていたら、いまの僕はなかった。
生きていなかったかもしれない」



私はここで本を閉じて、しばらく戸惑い、考えました。

《指点字の会話》と、《指点字の通訳》。
生きるか死ぬかというほどの違い。
いったい何が違うのか?

説明されている仕組みの違いは理解できます。
でも、「やっと自分がこの世界に戻ってきた」
という言葉の切実さとが、うまくかみ合わないのです。


「やっと自分がこの世界に戻ってきた。
いま、ここにいる気がした。」

「やっと自分がこの世界に戻ってきた。
いま、ここにいる気がした。」

「やっと自分がこの世界に戻ってきた。
いま、ここにいる気がした。」


私が分からないのは、たぶん、
「この世界」から、消えたことがないからでした。

私が分からないのは、
「いま、ここ」から消えたことがないからでした。


(つづく)
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「誰かのまなざしを通して人をみること」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事