ワニなつノート

指点字通訳と普通学級の介助(その2)

【2・失聴】


18歳で、もともとはあった視力と聴力の両方を失うこと。
その苦労について、私にはここで触れようもありません。
本を読み進めるだけの私は、
母親が「指点字」という手段を見つけた場面でほっとしました。

    ☆    ☆    ☆


「あの日、智が『あんた、何ぐずぐずしとるんや、
もう病院へ行く時間やぞ」とかなんとか
偉そうにいったんですよ。台所へ来てね。
あの子は言葉はいえるから、なんぼでも。

そんな、ちょっと待ってよといおうと思ったんやけど、
怒鳴らないかんしね。
いつもいつも打ってるタイプライターを
智の指に直接したらどんなになるのかなぁと。

通じるかどうかわからないし、
智も怒るかもしれない。
だけど、もう怒ってもええから、やってみようと思ったの。

まず、ポンポンポンと点字だという合図を
左右の六つの指にして、それから
「 さ と し わ か る か 」
と打った。

そしたら、フッと笑ったのよね。
「わかるでえっ」って。

あのとき、智が怒って、「そんなもんわからん!」
というたらそれでおしまい。
それを、智はニッと笑って、わかるでえって。
ほんとうにうれしかった。



  ☆    ☆    ☆

9歳で目が見えなくなった時に、
「点字」があれば本を読めてOKだと思ったように、
私はこの場面で、「指点字」があれば会話ができる、
これでOKだと思いました。

でも、それは私の勘違いでした。

《OK》になるのは、「指点字」ではなく、
「指点字」による「通訳」の発見だと書かれているのです。

でも、私にはその違いが、はじめは分かりませんでした。

《指点字の通訳》。
それは、《指点字の会話》と何が違うのか?

福島さんは言います。
「全く聞こえなくなったどん底から、通訳発見まで3ヶ月ほど。
もし、何年もかかっていたら、いまの僕はなかった。
生きていなかったかもしれない」

《指点字の会話》と、《指点字通訳》、
それは、生きるか死ぬかというほどの違いがあるというのです。

いったい何が違うのか?
《指点字の会話》だけでは、足りないものとは何か?

まずは、《指点字の会話》の様子を紹介します。
1981年4月、福島さんは
盲学校高等部の3年生にもどります。

 ☆    ☆    ☆



福島が指点字のしくみを伝えると、
点字に堪能な級友たちはすぐわかって、
つぎつぎに智の指先に話しかけてきた。

「み ん な ま っ て た の よ」
「お か え り」
「ま た お お い に さ わ ご う ぜ」
「ぼ く、ま た ふ ら れ た」

たわいないおしゃべりが心にしみた。
久しぶりに大笑いし、
「これならやっていけるかもしれない」と
生きる気力がわいてきた。

授業は、同級生が交代で隣に座り、
先生の話を点字タイプライター「ブリスタ」に打ってくれる。
…ゆびで聴き、ゆびで読む。
必死で授業についていった。

だが、授業が終わり、友人が去ると
自分から相手を探せない。
無音漆黒の世界にまた独りぽっちになる。

「まるで、刑務所で慰問をまつ囚人のようです。
友だちは気が向いたら『元気?』と話しかけて、
気が変わると、ぷいっと、どこかへ行ってしまう…」

コミュニケーションのスイッチが入ったり、消されたり。
それは本人の意思ではなく、相手の思うまま。

いったん希望をもっただけに、
智はさらにどん底に突き落とされた。

「絶望状態です」

そこから救い出したのが、「指点字通訳」だった。



(つづく)
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