「定員内不合格死」が起きる前に(その1)
《被害者と加害者》
2024年のいま、「定員内不合格」によって「学びの機会」を奪われ「取り残された」子は、「適格者主義」の被害者である。
定員内不合格の「被害者」がいるのだから、一方に「加害者」がいる。定員内不合格」の加害者は校長である。
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千葉県は、2023年に全国初の「教育の機会確保のための条例」を作った。15歳までの子どもの学びを大切にする社会が、15歳になったとたんに公立学校が「学びの機会」を求める子どもを切り捨ててよいはずがない。定員内不合格は、一人一人のニーズに合わせた教育資源の配分を行うという「公平、公正」の考え方に反するものである。
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どうすれば加害者の差別による人権侵害を止め、すべての子どもたちを安全に守れるだろうか。
『真実と修復』の言葉を思い出す。
『被害者の求めているのは加害者を罰によって苦しめることではなく、罪を認めさせること、そして再発を防ぐことである。これをどうやって実現するかが、いま問われている。』
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しかも千葉県では、「ダウン症入学拒否」による「定員内不合格」が常態化している。
4年前、去年、今年と、ダウン症の子だけが3回連続で「定員内不合格」にされた。
歴代の文部科学大臣が「障害を理由にした定員内不合格はあってはならない」と明言している。
だから、「障害が理由ではない」と校長はいう。「本校の基準に達しない」だけだと。
しかし、その「基準」は、障害がないことを前提にした「基準」であり、結局のところ「障害を理由にした定員内不合格」であることは明白だ。
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千葉では長い間、適格者主義が根強く、定員内不合格が許容され、その実態も隠蔽されてきた。「なぜ定員内不合格を出したのか」、県教委は理由さえ聞かず闇に葬ってきた。
「ダウン症児(障害者)入学拒否」という校長の裁量権の逸脱も、通常の「定員内不合格」として「隠蔽」されてきた。
校長が「ショウガイガリユウデハナイ」と繰り返すのは、そう言えば、言い逃れ可能だと、社会を見くびっているからである。
ここでまた『真実と修復』の一節を思い出す。
『父親が秘密裏の処理を重ねていたために、息子は性犯罪を繰り返していた。常識の教えるとおり、初犯で逮捕された者よりも逮捕されずにきた累犯者を矯正することのほうがずっと難しい。』(※2)
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「定員内不合格」にされるすべての子どももみんな、私たちの大切な子どもである。
中3の最後に、3度も受検に向かう子ども。定員内不合格にされても、されても、あきらめずにここで学びたいと、学ぶ意欲と希望と、学校への信頼を示す子どもを、「ひとりの子ども」として、人間として扱うことのできない校長を、どうすれば矯正できるのか、私たちはまだ知らない。
(※1・2)=『真実と修復』ジュディス・L・ハーマン みすず書房