《その6》 【まゆーきの能力と篠原先生の本・自立支援】
《とりあえずは笑って過ごせる時間》
3日の篠原先生の本のつづき。
「まゆーきの能力」を子どもの時から自然に身につけた子たちは、どういう感覚なのか。
その「違い」はこういう部分で、分かれるのかなと思います。
◇
【「働け」「自立せよ」のなかで追い込まれていく現実を見つめる】
篠原:ぼくも「自立、自立」の大合唱のなかで事実として起こっていることが気になってしょうがない。
……。
瀬川:私たちが、「目が見えないんだから、ここにいなさい」とか「これをしてはいけない」とか言われて、そのなかで、「そんなのおかしいんじゃないの」と言ってきたこと自体は、よかったと思うのね。
でも、気が付けば、「健常」者が私たちを理解したかのように「自立」を口にしている。
それは押し付けにしか聴こえないし、ついこの間までは「自立なんて何を考えているんだ」と抑圧していた。今度は「自立」と言って抑圧する。都合がよすぎる。
そういう流れが一方にあって、それと別のところで、訓練でよくなって「自立」していくことが強調されるようになる。それって違うんじゃないのって思う。
自分も盲学校で、人に迷惑をかけないように社会の役に立ちなさいと言われて育ってきたから、「自立」という言葉こそ使われないできたけど、「訓練」という名のもとにいたんだよね。
……訓練をしたからと言って、変わらないまま、痛い思いや辛い思いをして涙ながらの生活をしているよりも、とりあえずは笑って過ごせる時間があってもいいんじゃないのというのがある。
いまで言えば、障害者自立支援法ができて、就労支援が強調されるようになって、働け、働け、って言ってるんだけど、精神保健福祉センターで出会う人のなかには、そんなことを言われれば言われるほど、暮らしも心身もダメになっちゃうと思われる人たちが何人もいる。
退院して、地域で暮らして、困ったら電話をしたりして助けてもらうといった、ただそれだけの生活をそれ自体で受け入れていく社会や人々の意識が必要だと思いますね。
(「関係の現像を描く」篠原睦治・編著 現代書館)
◇
私はこのページを読み返したとき、自分の仕事に感じてきた違和感の理由が分かった気がしました。
この本は2010年発行なので、前に読んだときは、文字通り「障害者の自立」しかイメージできませんでした。
でも、ここに書かれている違和感は、私が「自立援助ホーム」の仕事で、子どもに迫っていることと同じです。
「とりあえずは笑って過ごせる時間」
そのことの意味を、しばらく考えてみたいと思います。
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