ご訪問ありがとうございます
ブログを始めて今日で丸17年が経ちました!
18年目突入です。
いつもご訪問くださる皆様も、時々チェックしてくださる方も、何かの検索で読んでくださった方も、本当にありがとうございます。
画像は3年以上遅れていますがとにかく続けたいと思います。
もう一生かかる(汗
ところで毎回書いていますが、
ブログを始めた2006年はまだ社員OLで、その後派遣OLに変わりしばらくは事務職でしたが、
2013年に自然派素材の菓子製造・販売の小さな会社に移り、blogタイトルが合わなくなりました。
でもこのままでいこうと思います。
今の「小さな幸せ」は歴史ある建物・古建築を少しでも記憶と記録に残すこと。
始めた頃より体力が落ち、痛いところがいっぱい増えてつらいこともありますが、気力が続く限り頑張ります。
別ブログ・ゆるゆる自然食Lifeは、14周年を迎えました!
当初は自然食カフェや古民家カフェ、オーガニック・無添加食材などを綴っていましたが
2011年頃から純喫茶へも行くようになり、記事は純喫茶濃い目になっていますが直近の記事は念願のカフェです。
こちらもよろしくお願い致します
画像は、2022年10月の記念日旅行
鳥取・京都・浜松
特集するのは2年後か3年後か。。。
(インスタにもまだ投稿してない)
前回、次回は台東区下谷を投稿と予告しましたが、根岸がまだありました
2019年撮影分と2021年撮影分です。
2020年もやたらと台東区へ行っていますが、また別のエリアになるので順番に投稿します。
こちらは通り沿いにある銅板建築。長屋かな?
中華屋さんは現在は閉業しているようです。
そして旧陸奥宗光邸(西宮邸)
最後に撮影したのが2021年3月。
現状は不明です。
明治の外務大臣として有名な陸奥宗光の邸宅といえば旧古川庭園ですが、こちらはそれ以前に家族と住まわれていたそうです。
和館もあったそうですが、洋館部分のみ残されています。
この説明板によると、
『西宮邸(陸奥宗光邸)と「ちりめん本」
陸奥宗光とその家族が住んだ屋敷
明治期の外務大臣として日清戦争の講和条約締結や欧米列強との条約改正など日本の外交史上に大きな足跡を残した陸奥宗光(一八四四~一八九七)の最後の住まいは、現在の西ケ原の旧古河庭園です。
しかしそんな華々しいスポットライトが当たる前の雌伏時代に、宗光はこの邸宅に住んでいました。
陸奥宗光は、西南戦争時に反政府的な行動をとったとして禁錮五年の刑を受け、一八八三(明治十六)年一月に出獄したあと、同年九月に「一邸地を獲得した」のがこの邸宅です。まだここ根岸が、東京府北豊島郡金杉村という地名で、上野の山の下を鉄道が開通したばかりのころです。
一八八四(明治十七)年四月から一八八六(明治十九)年二月まで宗光はロンドンに留学しますが、その留守中、後年「鹿鳴館の華」と称される妻の亮子と子供たちがこの家に暮らしました。そして宗光は留学から帰国して一八八七(明治二十)年四月に六本木に転居するまでここで過ごしました。
この建物は住宅建築として建てられた洋館の現存例としては都内で最も古いもののひとつです。もともとは現存の洋館に和風(内部は洋式)の建物が付属した接客部と、母屋に付属した離れと土蔵二つを持つ生活部とからなる和様館並列型住宅でした。現存する洋館部分はコロニアル様式で建築されており、正面側の一、二階に大きな開口が連続して配置され、各部屋には暖炉が備えつけてあります。陸奥家とのかかわりという点からいうと、玄関を入るとすぐ階段があり、その階段の手摺の親柱には陸奥家の家紋である「逆さ牡丹」が彫刻されています。
一八八八(明治二十一)年、宗光は借金返済と息子・廣吉のロンドン留学費用の捻出のため、この家を売却します。
その後一九○七(明治四十一)年ごろ、「ちりめん本」を出版していた長谷川武次郎が、自らの住まいと社屋(長谷川弘文社)として買い取ります。
長谷川弘文社による出版事業は、大正、昭和と引き継がれました。現在も、この家には長谷川武次郎のご子孫の西宮氏ご家族がお住まいです。建物内への立ち入りはできません。静かに敷地外部からご見学ください。
(略)
二○一七年三月 掲示:根岸子規会(地域の皆さんのご寄付により掲示しました)
敷地内への立ち入りはできません。静かに敷地外部からご見学ください。』
この説明版を読むと、ここに住まわれた期間は短いですね・・!
2階の大広間は20畳くらいあって、外国人外交官を招いてパーティーもされたそうな。
外相ですもんね。
夏はモジャがすごそう。
(この時は確か3月)
2019年に初めて根岸を歩いた時は知らなくて、後日友人から聞いて見に行きました。
2021年にはインスタ友達とも。
以下の住宅は2021年散策の際に撮影。
旧陸奥宗光邸の手前にあります。
シンプルな丸窓がある和風住宅。
玄関も風情があります。
こちらの表札は、ほとんど見えないのですが、、、
うっすら右書きで「下谷區」と読めます。
下谷區は、かつて東京府東京市だった時代に存在した区。
1878(明治11年)から1947(昭和22年)迄の、東京15区と35区の時代。
同行のインスタ散歩友達が発見!
かなり貴重な表札だと思います。
そしてここから追記分。
この投稿の後、また根岸の画像が見付かりました^^;
2021年4月撮影分です。
金杉通りにある「矢島写真館」
2013年6月に閉店。
大震災や戦火にも耐え抜いた大正7年建築の写真館。
(上野経済新聞より)
屋号は銅板製かな?
スクラッチタイルに銅板の屋号、カッコいい!
窓は型板ガラス。
種類は「のみち」だろうか。
元々は板張りの建物を、昭和5年頃にこのスクラッチタイル張りに改装したそうです。
(上野経済新聞より)
玄関は大正期のままだとか。
この、下の方が金属製の板が張ってある木製のドア、戦前の建物によく見ますがオシャレですよね。
戦前の証マイナスネジも見られます。
(戦後の建物にもあるにはあります)
こちらは同じ金杉通りの柳通り交差点にある「雄飛堂薬局」と閉業?店舗。
冬仕様のサトコちゃんが見える!
何気に豆タイルが各所にあります。
かなり古そうな豆タイル。
閉業店舗2軒長屋。横から見ると看板建築でした。
どちらもサビ具合がいい感じですが、いつ頃閉業したのかな・・
右側はヘアーモードサロンカワサキとあります。
よく見るとこちらも・・・
豆タイル!
ちょっとわかりにくいですが細かい豆タイルです。
さて、次回は記念日投稿のあとに今度こそ台東区下谷!
2年分画像あるのでかなりの枚数になります・・
※根岸散策の時に入った純喫茶
→グラパンが有名な喫茶店☆デン(鶯谷)
東京のレトロ建築画像の中でも、台東区の枚数が半端ないです。
ここ4年、一部を除いてほとんど撮り歩いている気がする。
(浅草6・7丁目の一部と花川戸の一部、清川の一部がまだ)
アップが出来ている台東区 ↓
ノスタルジック東京22~台東区東上野~
ノスタルジック東京18~蔵前近辺~
ノスタルジック東京14(南千住~浅草千束~合羽橋)
ノスタルジック東京7~台東区浅草橋・鳥越・三筋・蔵前~
これしかアップ出来てない!
自分でビックリしました。
しかも初期だから画像少なっ!
記事にしたらこの10倍分はもう既にあります・・終わる気がしない。
台東区に関しては同じとこ何回も撮りに行ったりしているため、時系列ではあるもののエリアごとに一度にまとめちゃいたいと思います。
※記事数を少なくしたいので、1回の投稿画像数が多くなりますがすみません
もう無い建物もありますがとりあえず記録だけしておきます。
まずはタイトル通り根岸から。
2019年~2021年が混ざってます。
このツートンのレトロ建築は特に好きで、3~4回は撮っています。
スクラッチタイルも使ってある。
両脇の古いプレートなんだったかな・・
近寄って見たけどもう記憶が(汗
ここから別の日の18時くらい。
カメラも違うけど、夜はまた雰囲気が違う。
最近はあまり撮らなくなったけど(画像がたまり過ぎるので)古いガラスブロックが好き。
左側の小さく薄い看板建築のような造りが面白い。
そして、、、
もう大分前に取り壊された建物(夜の暗い画像は2019年撮影分)
鈴木食品工業。
「パラペット」がたまに見るタイプではあるけど、ここまで横長で洋風なパラペットは貴重かと。
お隣のピラピラ青瓦の建物と共に、取り壊され現在はマンションと駐車場になっています。
ビフォーアフター的に載せようと思ったけどやめました。
青い窓枠の上げ下げ窓も良かったのに。
側面も手を抜かない建物。
明るい日に撮り直したかったなーー!
そんなんばっかり。
住宅兼理容室。
サインポール・昼
サインポール・夜
ここで、店前にいらした方にちょっと道を聞いた記憶がある。
また別の日に見付けた理容室。
オレンジのマーブルタイルが珍しい!・・とこの時は思った。
(この何年後かに他でわりと出会った^^;)
ドアのモールガラスも好きだなぁ。
余談ですが、モールガラスの食器棚が欲しくて、夜な夜な調べた時代がありました。
モールガラスにオレンジのマーブルタイル、古いサインポール、薄手のカーテン、レトロなシール。
好きなもの多め♪
そして、木造建築もまだまだ多い台東区根岸(根岸に限らずですが)。
少し装飾の入った風情ある手すり。
またまた大好物の、古いガラスブロック。
煉瓦との組み合わせも良き。
喫茶店みたいな外観の、レトロかわいい理容室。
古い面格子も好き。
琺瑯の「防犯連絡所」プレートもこの頃は出会うたびに撮影していたけど、
結構色々な種類に出会えたので今はたまにしか撮ってない^^;
インスタ友達に教わった東京ガスの旧ロゴ・古いマーク。
逆さに付いてるやつとか
こんな風に埋まっているのはレア。
かわいいなー
すみません、このお蕎麦屋さんだけ道路挟んで台東区下谷です。
下谷の画像が一番多いので、載せちゃいます。
看板建築のお蕎麦屋さん「甲州屋」
2019年はまだ営業中でしたが、調べてみたものの現在は不明・・
次回は、台東区下谷の画像2年分くらいをぎゅっとまとめます!
※根岸散策の時に入った純喫茶
→グラパンが有名な喫茶店☆デン(鶯谷)
たまったレトロ画像がアップに一生かかる量ですが、この「痛い」記録も残しておきたくまた中断します。
(振り返りや思い出すのにブログが役立ってるので・・)
まず膝の痛み・こわばり
2014から痛かったのですが
2015年には関節水種が判明
その後、変形性膝関節症と言われるも治らずMRIにより
2017年4月に半月板損傷(3年近くに及ぶ膝の痛みは)が判明→2021年7月に半月板断裂が判明しました。
これは前の記事にも書きましたが
半月板そのものに神経はなく、膝に負荷がかかると損傷(断裂)した半月板が、周りの神経を刺激して痛くなるのだそうです。
困ったことに半月板は一度損傷(断裂)すると、再生はしないのだそう。
そして代わりになるものも、まだない。
要は状況は変わっていません。
油さす意味でのヒアルロン酸注射は月に1回受けています。※治らないので治療ではない
そして2017年の時点では、仕事先では事務方に行かせてもらいましたが、結局はまた現場(出張販売)に戻っています。
無理のない範囲でシフトを組み、いざという時の為に現場には椅子を用意してもらってます。
忙しいと座れませんが。。
左肩・左二の腕の痛み
前回は右肩の四十肩(2010年)→肩関節周囲炎&美味しいものいろいろ
と、、、上腕骨外側上顆炎(2010年)
今回は左肩周囲、ちょっと予感はありました。
1月頃から肩こり対策として友人から教わっていた「肩甲骨を広げるストレッチ」みたいなのを毎日続けていたのですが、
やり過ぎたのかな?2月初めから左肩が少しずつズキズキするようになり・・五十肩?!
膝の通院先で相談したらレントゲンでは骨に異常はなかったので、
肩関節周囲炎で、炎症を起こしているのだろうということに。
ステロイド注射も打ったけど、痛みは引かず注射は効きませんでした。。
その後、理学療法士による運動療法とマッサージ、電気治療も受けましたが現在もまだ痛みはひいておらず。
先日左肩のMRIも撮ってきましたが「断裂」はしておらず「炎症」のみで「腱板症」ということになるそうです。
症状としては五十肩なのですが、二度目のステロイド注射が効いていません。
肩が動かなくなるとまずいので、運動療法のリハビリは週一で通っています。
なかなか先が見えません。
つらいのは、
左肩・左腕の可動域が狭いので後ろに全く回らないこと。
仕事でエプロンをする時に痛い
着替え全般つらい
洗髪・体洗いもゆっくりやらないと痛い
左腕を伸ばして物をとれない
等々・・・
13年前の右肩の時は、いつのまにか治っていたので(それでも可動域はやや狭くなった)
無理せず気を長く持とうとは思います。
でも、もう半年以上^^;
レトロビル・渋ビルマニアの方なら誰もが知るコマツの本社ビル。
こちらも解体の噂は前からありましたが、4月に建て替えが発表されました。
1966年竣工以降57年が経過、老朽化やオフィスとしての機能低下が進んでいたとのこと。
新しい本社ビルは2024年1月に着工し、26年9月に完成する予定だそうです。
溜池山王駅9番出口すぐ。
三会堂ビルや共同通信会館と共に、赤坂を象徴するようなレトロかっこいいビル。
※画像暗くてすみません。
窓の外枠に合わせて、窓ガラスも六角形なのがすごい!
数年前にも何度か見ましたが、この日(2023年1月)は初めて裏手にも行ってみました。
おおお、あんな上に螺旋階段がある!
横長の、歴史を感じるガラスブロック。
この日は2度目の「シーザー」へ。
記事→7月25日閉店☆移転再開を願う喫茶軽食シーザー(溜池山王)
この時はビルの建て替えを、噂は聞きつつもまだハッキリとは知らなかったのですが、
地下の商店街で営業しているのが「シーザー」だけだったので「あぁやっぱりそうなんだ・・」と寂しく思いました。
大理石がふんだんに使われた館内です。
化石でも出てきそうな模様^^;
こんなところまで大理石!
タイルも細かい。
昔懐かしな看板。
こういう丸い看板、昔は多かった。
ハチの巣みたいな六角形のも(ハニカム看板?)よくありましたね~
もちろん残る看板はシーザーだけ(><)
こちらはポスターが貼られてしまって。。
昭和感満載なドア。
そういえば私もOL時代、異動で色々な古いビルへ通勤しましたが
(新日本橋や渋谷・品川等)どんなドアだったか全く覚えてない^ー^;
床のタイルはどこもこれで、統一されていました。
記事中盤でリンクを貼った「シーザー」。
現在、Googleでは「臨時休業」になっています。
ということは、26年9月のビル完成後に戻ってくるのか、でも3年もあるしその前にどこかで再開されるのか・・
情報を待ちたい。再開を望みます!
新しいコマツビル、どんな風になるのかな。
大理石、壊しちゃうのもったいないなぁ・・