OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

樋口一葉が通った伊勢屋質店の内部一般公開

2019年10月31日 | 本郷散歩(東京・文京区)

求道会館の内部一般公開へ行った日は、
菊坂にある、樋口一葉が通った伊勢屋質店の内部一般公開にも立ち寄りました。

ここは本郷在住の頃、菊水湯へ通っていた時に通りかかっていたし、
本郷を離れてからも何度も何度も来ていましたが・・



なんと平成27年に学校法人跡見学園が取得!
平成28年3月には文京区指定有形文化財に指定されました。(元々平成15年には国の登録有形文化財)
菊坂跡見塾として活用、週末には広く一般公開を行っています。

所有者の方が
維持・管理が困難になり土地や建物を売りに出した為
存続が危ぶまれていましたが、跡見学園が名乗りを上げ
紆余曲折あったものの
文京区
が大学の購入費の一部を補助することで、交渉がまとまったらしい。



跡見学園も文京区も素晴らしい!区民有志のご尽力もあったとか。
歴史的建造物に理解のない自治体が多い中、本当にありがたい。



私が毎日(毎晩)のように見ていた頃は
もっとくすんだ、街中のモルタル住宅のような色でした(薄茶っぽい)。
いつのまにか真っ白にお色直しされてた。





見事な出桁造り。所々銅板も。
明治40年4月の上棟だそうです。



室内は撮影禁止でした。

学園の方?が案内してくださいます。蔵の内部や店の接客間・お茶の間など。
そんなに時間はかかりません。

案内が終わって裏庭にも出てみました。



2階の「おたふく窓」がいい雰囲気です。



ちょっとしか見えませんが質蔵の裏側は「黒漆喰」でした。


路地からもちょっとしか見えない^^;
裏側だけ黒漆喰なのは何故だろう?


そしてこれまた何度も訪れている一葉旧居跡と一葉が使ったという井戸。



井戸ポンプも2014年頃はサビたような緑色でしたが、塗り替えられています。
本郷散歩☆井戸ポンプの存在確認





旧居跡から、何度歩いても癒されるので路地裏散歩も楽しませてもらいました

下見板張りの住宅には緑と路地裏が似合う。








文京区には、まだまだこのレトロな木製の牛乳箱が残っています。
使われているかどうかは定かではありませんが。。

この近辺には8つの井戸ポンプがあります。
別の日にその現存確認、新しく発見もしたので(古いけど)、後日アップしたいと思います。


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求道会館の一般公開~内部編~

2019年10月16日 | 本郷散歩(東京・文京区)

更新が遅くなりましたが、

前回の求道会館の一般公開~外観編~に続き、内部です。
※求道会館については前回の内容をご参照下さいね。


内部は吹き抜けの構造で、入場してすぐ目に入るのが祭壇ではなく、阿弥陀如来を安置した六角堂
奥半分が壁に埋まっている造りになっています。


純日本式のヒノキの白木造り、銅板葺き屋根だそうです。
※銅板は帰宅後に知った。



1階は木製の長椅子、2階席は元々はゴザ敷きだったそうですが現在は3ステップの木製床のギャラリーです。
説法のため常観が入ってくると、人でいっぱいになった会堂内に歓声があがったそう。




前回も触れましたが、この日たくさんの興味深いエピソードやお話を聞かせて下さったのは、
求道会館を創設した
近角常観のお孫さんで求道会館・求道学舎の所有者であると同時に
修復工事の際の設計者でもある建築家の近角真一さんでした。
設計事務所の代表で、東京建築士会の会長でいらっしゃいます。
(あとで書きますが、大正時代に建てられた求道学舎を残すために尽力されています)



天井の造りは、詳しいことはわからないのですが、ハンマービーム形式のトラスだそうです。
今ではPCなどで簡単にできる時代ですが、当時このような高度なトラスをしっかり設計できたことは
ものすごいらしいです。
(サイトより抜粋)




寺院によく見られる格天井でなく、教会のような天井にしたのは、近代化と共に仏教も変わらなければいけないという
思いの表れだったのでは、というお話でした。


2階の手摺は鉄製のフラットバーを使用、卍をかたどっていますが
羽ばたいている鳥をイメージしてあるそうです。鳥が説法を聞きに集まっているイメージだそう。


上から見た様子。



六角堂の後ろにある半円状の浮き彫りはお釈迦様の後光です。
金色ではなく黄色で、後光の内側はピンク色(慈悲の色)だそう。外側はクリーム色の漆喰壁。

ところで、
現在こちらではコンサート等も行なわれるということですが
とあるバイ
オリニストさんが、音がきちんと戻ってくることに感動したそうです。
教会建築と同じ様式で建てられているから、共鳴効果というのかな、音響効果に優れているのでしょうね~。



外から見えた半円窓の内側にはステンドグラス。


菩提樹をかたどった模様で、小鳥も説法を聞きに来ているのが表現されています。


2階にある小会堂も案内して下さいました。
こちらは畳敷で純日本式の床の間が。
照明も、現存していたものから型をとり復原したそうです。

資料に残っている近角常観と武田五一の、設計・施工に関するやりとりやエピソード、
お二人の
建物への思いなど貴重なお話を聞くことが出来ました。


ちょっとボケちゃった。






2階から求道学舎がちょっと見えました。


最後にお孫さんで改修の施主・建築家の近角真一さんから聞いた求道学舎のお話を。

求道学舎は前回も書きましたが、仏教を学ぶ若者の下宿として近角常観がモダニズム建築家の武田五一に依頼し、大正15年に建てられました。

常観は学生たちと寝起きを共にしたそうです。

しかし昭和平成と老朽化が進み、紆余曲折ありながらも「定期借地権のコーポラティブ方式」を採用した集合住宅へと再生し、2004年~2006年の改修で日本で最も古いリノベーションマンションとして生まれ変わったということです。

改修設計はもちろんお孫さんの近角真一さん。

外観はほとんど変えることはなく、かつての求道会館の趣と歴史をつないだままの改修を実現。

現在一般の方々が住まわれています。

一時期は取り壊してマンション建設の案も出たようです。※情報サイトより

なんとか、建物を活かした運営ができないものかと悩まれたようです。

室内はおろか外からもわずかしか見えないけれど、ひとつの歴史的建造物がそれを建てた末裔の方が守ってくれた。

常観さんも武田五一さんも喜んでいらっしゃることと思います。

 

 



コメント (2)
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求道会館の一般公開~外観編~

2019年10月08日 | 本郷散歩(東京・文京区)

6月半ば、東京・本郷の裏道にある「求道会館」の内部一般公開に行って来ました。
※6年前にこの記事でさらりと紹介しています→本郷散歩~明治・大正・昭和の建物~

10年ほど住んでいた本郷の、よく通っていた裏道にあり、その頃は草もボーボーで廃墟状態でした
古い建物にまだ関心がなかった10代20代、通っても「ここなんだろう?」と思うだけだった。

今はもちろん修復されており、普段は入れませんが毎月第四土曜日のみ公開されます。

そして今回内部公開へ参加して、なぜ廃墟だったか判明するとは思いもしませんでした。



道会館は、いわば仏教の教会堂です。
仏教界の刷新を志し欧州の宗教を視察・体験してきた浄土真宗の僧侶・近角常観(ちかずみじょうかんという方が、
新進気鋭の建築家・
武田五一(後に日本のモダニズム建築家京都帝大建築学科の創設者となる)に設計を依頼し、
12年の歳月をかけて煉瓦造り(一部鉄筋コンクリート)の重厚な建物を大正4年に完成させました。
隣接して仏教を学ぶ若者の下宿として、大正15年に建てられた求道学舎があります。
常観は求道学舎にて青年学生と起居を共にし、自らの信仰体験を語り継ぐ場としたそうです。

昭和16年に常観が没したあとは弟の近角常音がその活動を受け継ぎましたが、
常音が昭和28年に亡くなったあと会館は長く閉鎖されることになりました。
その後平成6年に東京都の有形文化財に指定され、平成8年~14年に掛けて修復工事が行なわれたそうです。
※サイトから抜粋

受け継いだ弟さんが亡くなられた昭和28年から修復が始まる平成8年、随分と長い年月放置されていたのですね。
修復が終わったのが平成14年ですから、50年も閉鎖されていたことになります。

ちょうど昭和の終わり~平成初期10年程はすぐ近くに住んでいたので、草ボーボーの廃墟状態に納得がいきました



改修工事が行われて、寺院と教会建築の融合である往時の姿を取り戻し、大正モダンの素晴らしさを今に伝えています。

そして大正4年の竣工時は、このように西洋の教会建築様式を取り入れたものですが、
実は竣工後に関東大震災に襲われ、修復した時にはもっとシンプルな外観に改変されていたとのことです。
規模は違えど東京駅の事情と似ています。
(東京駅は戦災後の復元ではドーム部分と3階が再現されなかった)

復原にあたり近角常観のお孫さんの建築家・近角真一さんが資料を方々から集め、耐震補強を兼ねて外観を竣工時に戻したとのことです。

さて、その近角真一さん。
今回、内部見学にあたってかなり興味深く面白く、解説して下さいました。

入場
してからものの2,3分で「それではお集まり下さい」と、優しげな紳士から呼びかけがあり着席。
お話の途中で
、その紳士が近角常観のお孫さんで求道会館・求道学者の所有者であると同時に
修復工事の際の設計者でもある建築家の近角真一さんであることを知ることになります。
しかも設計事務所の代表、東京建築士会の会長でいらっしゃいます(これは帰宅後に知った)。

すごい方からお話を聞いたのでした。




この半円窓の裏側(内部側)はステンドグラスになっています!




玄関前の列柱は少し楕円。よく見る近代建築の列柱は円柱が多いから珍しい~


この赤?エンジ色?がなんとも素敵。


細かいところまで細工がきいてる。


持ち手がレトロで手にもやさしい。

そして建物左手には、



求道学舎への門があります。クリーム色の建物が求道学舎です。
正確には旧・求道学舎かな。
現在は集合住宅になっており、一般の方が住まわれているので入れません。






ズーーム。
アーチ状の素敵な窓が見えます。

求道学舎は、仏教を学ぶ若者の下宿として大正15年に建てられました。
創設時の設計はもちろん武田五一。

当時日本に導入されはじめたばかりの鉄筋コンクリート造で建てられ、アーチ状の窓をもつ西洋風の外観は
まるでホテルのような白亜の建物だったそうです。
「3階建ての建物の中には、6畳1間の部屋が30室以上並び、共有スペースには食堂や書庫もあり、近角常観をはじめ一族も暮らしていました。ひとつの大きな家族のようで、常観の子供達も中学生になると寮室に入り、成人して結婚すると寮室を2つ連結して新居にするという具合です。
私の叔父などは、幼い頃廊下を三輪車で走りながら寮室にいる学生に郵便物を配って遊んでいたそうです」(近角真一さんのお話より・ネット記事からも抜粋)


しかしながら、昭和平成と時を経てツタがからまり度重なる漏水で建物は廃墟化し、求道会館・求道学舎とも閉鎖を余儀なくされました。

常観亡きあと「求道学舎」は近角真一さんの叔母さま夫婦が舎監を務め、平成に入っても学生を受け入れてきたといいます。
「改修直前の頃には雨漏りにより3階、2階は全滅、かろうじて1階に叔母とわずかな学生が残る状態。平成11年(1999年)に叔母が亡くなったこともあり、求道学舎の在り方を見直すことになったのです」(近角真一さんのお話より・ネット記事からも抜粋)

ここから、近角真一さんの「取り壊しではなく再生を決断したその想い」が始まります。
平成16年から平成18年まで、リノベーションが行われました。
この話はまた次回に。



右書きが古さを物語っていますね~


日本の近代化か進むにつれて、心の拠り所として多くの知識人や学生に慕われた近角常観。
常観が入ってくると、館内にわぁーーっと歓声があがったそう。
求道会館には連日常観の“説法”に人々が集まり、求道学舎では東大の学生が常観の共に暮らし、次世代へとつなぐエリートを輩出した。
常観の“人材育成”の拠点として存在したのが、この「求道会館」であり「求道学舎」であったそうです。



求道学舎の再生の話と、求道会館内部の様子は次の記事にて!



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