OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

ノスタルジック東京66~内装編☆休館中の「山の上ホテル」その2~

2025年02月27日 | ノスタルジック東京

いつものことで、
間が空いてしまいましたが前回ノスタルジック東京65~只今休館中☆山の上ホテルその1~の続きです。

もっと過去記事は2020年9月訪問→山の上ホテル・CoffeeParlor HILLTOP(御茶ノ水)

その1から日が経っているので改めて・・

文化人にも愛されるホテルとして有名な老舗ホテルでしたが、閉館の話が飛び込んできたのは2023年秋。
2024年の2月13日で一旦閉館しました。
その時は「今後は未定」とのことだったので、建て替えられてしまうのか?と明るくない憶測が飛び交いましたが・・
昨年2024年11月半ばに明治大学が土地・建物を取得し、現状の外観を維持したまま必要な改修工事を施した上で、ホテル機能を継続させると共に社会連携機能としても再整備していく、という明るいニュースが飛び込んできました。

現状の外観を維持、はとてもとても嬉しいことですが内装はどうなるのか、全部をそのまま残すことは厳しいでしょうから、いっぱい撮影しておきました。
撮れなかったところも、もちろんありますが2020年9月と2024年2月の画像が混ざってます。




2020年訪問時に検温モニターがあって正面から撮れなかったロゴ入り面格子、ちゃんと撮れました。







天井の装飾と床の模様の形がリンクしてます。











この日、2階へはあがれませんでした。
上から螺旋階段を撮りたかった。


名残り惜しい^^;

この階数表示も人気です。

皆さん撮ってました。



2020年の時も撮りまくった巾木としてのタイルや、階段側面の装飾がやっぱり好きだなぁ♪
このストライプ模様の服が欲しい。








そしてこの豆タイルも細かくて!


少しずつ異なるグリーンの豆タイル^ー^

上から撮れなかったので、地下から螺旋階段を見上げると、、、



ステンドグラスが!
これは知らなかったので嬉しい。
2020年の時は見上げなかったのか??
それはそれで迂闊過ぎる!私!


なので何度も撮るw


しつこくてすんません・・




そいえばこちらの豆タイルも可愛かった。


綺麗!
歴史あるはずなのによく手入れされています。




他にも地味ながら、可愛らしい豆タイルが続きます。





パーラーへ行った時に待ち時間を過ごした(案内された)ロビー。





ラジエーターカバーも凝っているし、その下のタイル巾木は階段とお揃い。



廊下の壁も凝ってる。




パネル展示もありました。
(もっとありました)





















さて、一旦外に出て念願の山の上教会へ!





















こんな素敵な教会で挙式してみたかったな~





いろいろ角度を変えて。



ライトとステンドグラス。






ステンドグラスをズームで。

そして振り返ると、、、




バックにも百合のステンドグラス。



こちらも素敵です。



ロビーにあったラジエーターカバーと同じ。
屋根はあるけど半屋外なので寒さ対策かな?
とにかくデザインも雰囲気も素敵な教会でした!

最後にコーヒーパーラーヒルトップ入口の床タイル。



2020年訪問時にいただいたプリンアラモード。


パーラーは再開されるのか、どんな業態のお店が出来るのか・・
山の上ホテルの再開を楽しみに待ちます。

楽しく見学させていただけました。
画像は人が写らないように撮っていますが、2024年訪問時は実際はめちゃくちゃ混んでいました。
貴重なヴォーリズ建築ということと、たくさんの方々の思い出も詰まっているし、残されることになって本当によかったです!明治大学や尽力された方々に感謝!


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ノスタルジック東京65~只今休館中☆山の上ホテルその1~

2025年02月12日 | ノスタルジック東京

まだまだ2019年や2020年撮影分なので、日ごとのフォルダざっと数えてあと200以上あります。
1日に何ヶ所も行くことが多いので、1フォルダに画像は数百枚~多くて千枚。
ざっくりですが8万枚以上はあると思います
生きてるうちに終わる気がしません

そんな状況ですが、一旦2020年9月と2024年2月初旬の画像に飛びます。
投稿が遅れて今更なんですが、ご容赦ください

東京・神田駿河台にある山の上ホテル。
※2020年9月訪問→山の上ホテル・CoffeeParlor HILLTOP(御茶ノ水)

著名な作家や学者などの利用が多く、文化人にも愛されるホテルとして有名な老舗ホテルでしたが、閉館の話が飛び込んできたのは2023昨年秋。
2024年の2月13日で一旦閉館しました。
その時は「今後は未定」とのことだったので、建て替えられてしまうのか?と明るくない憶測が飛び交いましたが・・

なんと!!
昨年2024年11月半ばに明治大学が土地・建物を取得し、現状の外観を維持したまま必要な改修工事を施した上で、ホテル機能を継続させると共に社会連携機能としても再整備していく、という明るいニュースが飛び込んできました。
この情報を私は旦那から得た笑
旦那は名建築には興味はないものの、閉館とか解体とかなんかニュース出ると教えてくれる


さて、前置きが長くなりましたが、今回は外観のみアップ。
とてつもなく画像が多いので。

2020年9月と2024年2月の画像が混ざってます。
(天候により色合いも少し異なる)








当時流行していたというアールデコのモダンな外観。
(内装も)






木を中心に撮ってみた画像。
樹木も好きなので。(元々自然派・最近は建物ばかりですが・・)






御茶ノ水駅は、昔実家があった(今も建物はある)本郷の近くで、通勤通学にも使っていました。
亡き父の仕事を手伝っていた頃もバスでよく通る道にあり、山の上ホテルの看板は毎日目にしていて「いつか泊まってみたい」と憧れていた。
そして何より東京に残るヴォーリズ建築のひとつ!

先程リンク貼った過去記事にも書きましたが
昭和12年アメリカ人の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により建てられたこのホテルは、当初は佐藤新興生活館として戦時中は日本海軍が徴用、戦後はGHQの女性将校の宿舎という時期を経たのち、昭和29年ホテルとして開業したそうです。

今年は昭和だと100年なので計算しやすい。
竣工から88年!
そりゃ改修工事は必要ですよね。






















この電灯もレトロです。




裏手にも回ってみました。







看板に葡萄酒ぐら、とあります。






その名の通り、葡萄の装飾。




ズームでステンドグラスを。



ドアの手前のステンドグラス。





中からも見てみたいものですなぁ。





















2024年2月。
閉館(休館)直前だったからか、この日は山の上教会に入れました。








稲穂の装飾。
一粒が万倍になる、という縁起物ですもんね。



階段途中の面格子もデザインが凝ってます。



この先が教会ですが、次回の投稿にて!


昔、バスから毎日目にしていた看板の昼と夜。





次回、内装と教会です。
同じような構図が多く、セレクトに苦労しました。
撮り過ぎはもうやめようと何年も前から思っています・・
(そして今日も上野で撮り過ぎた笑)





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ノスタルジック東京64~もうすぐ一時休館に入る学士会館~

2024年12月23日 | ノスタルジック東京

再開発に伴い2024年12月29日で閉館(一時休館)する学士会館。
2022年1月と2024年2月の画像をアップしておきたいと思います。
※天候が微妙に違うので画像の色合いが異なります







2017年頃にも撮影したけどひどい写真でした今回の画像も全然満足はしていないけど。。
近代建築とかキレイな建物って撮るの難しいな~といつも思います。

思えば20代、本郷在住の頃父の仕事の手伝いの外回りでたまに通りかかり、見上げるだけの建物でした。
スマホはもちろんデジカメもない時代、そもそもカメラ持ち歩いてないし・・











学士会館のサイトからその歴史を抜粋しました。
天災と人災、時代に振り回されたことがわかります

学士会館は1913(大正2年)1月に西洋風の木造2階建ての施設を創建しましたが神田三崎町で起きた大火により焼失。
復興に向けて1913年(大正12年)9月1日、基礎工事を開始する予定でしたが、奇しくもその日、関東大震災に襲われて計画は延期。
その後焼失と再建を繰り返し、ついに1928(昭和3年)現在の学士会館が建設されました。

昭和11年の2・26事件の際には、第14師団東京警備隊司令部が置かれ、
昭和16年に太平洋戦争が勃発すると、翌年以降、会館屋上に高射機関銃陣地が設けられました。
昭和20年には、会館の一部が空襲の被害を受ける一方、館内のいくつかの部屋を日本軍に提供することになりました。そして終戦後の同年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されて閉館
高級将校の宿舎や将校倶楽部として使用されていましたが、昭和31年7月に返還されました。

宿泊、レストラン、会議室、結婚式場などを完備する学士会館は、
学士会会員のための倶楽部施設ですが、現在では一部施設を除いて一般利用が可能となっていました。
※既に一部閉店、予約で埋まっています。




学士会館は関東大震災後に建築された震災復興建築ということです。
4階建ての旧館は1926(大正15年)年6月に着工、1928(昭和3年)年5月に開業。
当時では極めて珍しい耐震・耐火の鉄骨鉄筋コンクリート造り。

旧館設計者は帝国ホテル東京(新本館)や日本橋の高島屋百貨店、前田侯爵邸などを手掛けた高橋貞太郎氏。
旧館を尊重するかのように一歩後退して建つ5階建ての新館は、1937(昭和12年)9月に増築開業。
設計者は藤村朗氏。

 
























画像右側が高橋貞太郎設計の旧館。
左側が新館。

これ唯一、新館側からの外観全体なのにひどい画像・・




旧館は曳家保存し、耐震工事も行った上で将来に向けて保存・活用していく計画だそうです。
残念ながら新館は解体されるとか。











旧館は竣工当時流行したスクラッチタイル
東大や多くの歴史的建造物に使われ、街中の小規模な古いビルにも見受けられます。




ここから内観です。
ほとんど2022年撮影分で、許可を得て撮影しています。
フロントの方もとても感じがよかったです^^
※現在は撮影に関して制約があります

とにかく画像を貼りまくります








マイナスネジがいっぱい。

歴史的建造物の玄関に階段アリ。

玄関だけでかなり撮りました^ー^;

























この、鋲が打ち込まれた柱は十二角形ですって!






















漆喰の彫刻も素晴らしい。






ステンドグラスもあちこちに。












フロント付近は撮影の可否を問うと快諾してくれて、尚且つスタッフがそっと奥に入ってくれました。




こちらの訪問記事↓↓
学士会館☆中国料理 紅楼夢とセブンズハウス(神田錦町)



館内のステンドグラスは帝国ホテルの内装に似てます。
(デザインがライトさんっぽい)
現在の帝国ホテル設計も高橋貞太郎さんですしね♪

ちなみに帝国ホテルもいっぱい撮ってあるので、建て替え前にアップしたい。















ここからは立入禁止なのでズーームで撮影。





更にズーーーム









ドラマで使われた廊下かな?

ここから照明特集。









シンプルで品があります。

ここからお手洗い。









細かいところまで彫刻が!






地下への階段までもがスクラッチタイル。







コチラの地下もオシャレです。
撮影許可はここまで。
(今はだめかもしれません)
今月末に通常見学できないエリアも見させてもらえる見学会に、インスタ友達が参加するのでその画像を楽しみにします。

改装後も歴史的建造物としての価値が感じられる建物になるといいな。




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ノスタルジック東京63☆2019~2020年の五反田

2024年12月18日 | ノスタルジック東京

9月から仕事も忙しくなり体調も良くはなくて、また2ヶ月も更新出来ませんでした
もう保存してある画像アップしきれないかもしれないけど、とにかく諦めずにいきます

さて、かれこれ25年は縁がある五反田。
1999年~2002年頃(社員)と2009年~2013年頃(派遣)の2回、五反田で働いていました。

今の会社(2013年~)でも出張販売で五反田へは年に1回は行っているし、2020年にインスタ散歩友達とも散策したのでまとめてアップしようと思います。

まずは、99年頃は通勤の通り道にあり当時はまだ現役だった和風旅館の「海喜館」。
その頃は写真に撮ろうなんて全く思わなかったので当時の写真は無いけど、はっきり記憶に残っているのはやっぱり古い建物に関心はあったんだなぁと今にして思います。
お昼休憩などで歩いていると布団を干していたり玄関に従業員らしき人影が見えたりしていました。
夜は夜で旅館の敷地だけ暗く、館内の妖しげな光がチラホラ見えていたのを覚えています。




その「海喜館」は2015年に閉館、2020年6月に解体工事が終わり、今ではマンションが建っています。
※あの事件についてはここでは割愛します^^;

画像は2019年12月で、解体2ヶ月位?前のものです。
仕事の休憩時間に行ってみました。


裏口?勝手口?
正面玄関から左手にまわると、灯籠のある玄関がありました。




こちらは川沿い。
木々でよく見えません。昔からそう。










ズーームで玄関の灯籠をパチリ。
灯籠たちも建物もろとも壊されてしまったのだろうか。。




旅館と比べると小さな石造りの蔵?

かろうじてネットの奥に「海㐂館」の看板が見えます。
ネットかかる前も見てたのに撮ればよかったなーー




まぁ間に合っただけよしとしよう・・



大きな蔵もあったのですね。
なにが保管されていたのだろう。


駅が近くてコンビニもあり立地もいいし、もし今も営業していたら外国人にもレトロ建物好きにも(私のような)人気だったと思う。
今、都心のビジホも高いらしいし、とにかく宿がとれないと聞きます。
(ちなみに海喜館は1泊6300円くらいで、朝食も良かったそう)

五反田は1925(大正14)年に三業地の指定を受け、花街として賑わっていたそうで、
それなりに繁栄してきたものの、空襲や戦後の売春防止法によって三業地の三業のひとつである待合が廃止され、花街としては衰退していったそうです。
その後の変化で商業地として発展していき、海喜館もしばらくは賑わっていたようですが、ビジホが増え街も変化し徐々に経営が苦しくなっていったとか。

今の五反田は商業地とオフィス街が入り混じったような。中途半端な気はしますが私は結構好きです。

ここからの画像は2020年、インスタ散歩友達と歩いた時に撮ったものです。
(このあと白金に移動したのでそんなに撮ってないです)



いかにも昭和な、風情ある質屋さん。


二階の柵もかわいい。


隅切りの建物。
キレイに塗り直されている。
その奥に、、、

パーマ、と文字のある元美容室。
パの丸の位置が絶妙!








レトロ好きはみんな大好き斜め入口・斜めドア。



腰壁は飴釉の豆タイルがキレイに残っています。
床もよく見るタイプのタイル。


柵の面格子もかわいい。


パの丸はよく見ると楕円形。
文字間がもう一文字入りそうなくらい伸びてるのもツボ。


この日は散策前にグリルエフでランチしました。
オープン一番乗りで入って秒で撮影^^;
やっと店内撮れた☆グリルエフ(五反田)その3
すぐに満席になるので・・


そしてこちらは五反田OL時代の2002年頃、時々ランチしていたメンチカツが美味しい「スワチカ」さん。


なんでも美味しいのですが、五反田OL最後の日もここでメンチカツ食べました。
しかし制服に揚げ物のにおいがつくため、戻ると先輩から「スワチカ行ってきたでしょ~笑」とよく言われたっけ・・
なんてことない懐かしい思い出。


アジフライも美味しいし、カレーも好みの味でした。



この建物はまだあるかなぁ。

そういえば、
99年~2000年位はまだ都内でも珍しかったユニクロが五反田TOCにあって(今もある)一時期同僚とよく買いに行ったっけ。
その時買ったデニムのスカートは10年位活躍しました。
現在は全く行かなくなったなユニクロ^^;

五反田TOCも業後によく行きました。
再開発に伴い解体の話があったけど、延期になったとか(安心)
でもそしたら閉店しなくてもよかったじゃーん→喫茶マーブル(五反田TOCビル内)


今年の五反田での仕事の際も少し街中撮影したので、また時期が来たらアップしたいと思います。









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ノスタルジック東京62~杉野記念館の見学記録(2019年オープンしなけん)~

2024年10月20日 | ノスタルジック東京

 2019年6月、仕事帰りに外観だけ見に寄った杉野記念館。
その時の記事

以下6枚は2019年6月の画像です。



ステンドグラスとスクラッチタイルの色合いが素敵な洋館。


普段は公開されていないので、この時はピタリと閉じられたたドア。












ここまで2019年6月の画像。

そして、同じ2019年11月に!
内部見学が叶いました。

ここから2019年11月です。
この日は晴れ過ぎて、外観がひなたと日陰のツートンになってしまった。
(このツートンがイヤなので、レトロ建物撮影は曇りの日が好き)







しかし何はともあれ嬉しい。
もちろんドアはオープン!
しかもwelcome状態♪

この日「オープンしなけん」という、品川区にある歴史的・魅力的建築物の1日限りの公開イベントにより入場が叶いました。
建築物の新たな魅力に気づくことや身近な建築の楽しみに触れることを目的に、所有者の協力を得て品川区が2018年から調査を始め、実施しています。
※関連サイトより

所有者の方に感謝!



前の記事にも書きましたが、こちらはドレスメーカー学院で知られる杉野学園の創始者杉野繁一・芳子夫妻の旧宅です。
ご夫妻の没後に学園に遺贈され、現在杉野記念館となっています。
設計はアメリカで建築を学ばれた杉野繁一氏が自ら手がけたそう。
1938年(昭和13年)築。



昭和20年の東京大空襲では学院の校舎の大半が焼け落ち、焼失を免れたこちらの自宅は戦後の復興期に2階の一部が教室として使われたこともあるそう。







ステンドグラスはもちろん、このブルーともグリーンともとれる微妙な色合いのスクラッチタイルがほんと好み。








2階にもステンドグラス。
のちほど中からの画像載せます。


いい窓~♪



外からと中からのステンドグラス。





もう玄関だけで素敵!



外からしか見られなかったこのステンドグラスを、この日は中から拝めました。




インテリアはアール・デコ調。
玄関の豆タイルもかわいい。








ドレスメーカー学園創始者の元邸宅だけあって、
素敵なデザインの洋服がたくさん展示されていました!








ここにもステンドグラス!
雲と海とヨットとカモメ。風も感じます。







この時は床のアップを撮り忘れましたが、明治期の洋館建築で多用された寄木張りの床でした。
ここ5年間で多くの近代建築を見に行きましたが、板張りの床はほとんど寄木張りだったような、、、


この3着、恐れ多いけど細かったら着てみたい・・^^;



このイエローのドレスは結婚式の二次会で着たのと似てるなぁ(遠い目)









昭和なエアコンも好き。















レトロフューチャーなライト!



「オープンしなけん」では今まで公開していなかった2階の和室も見せてもらえました。


階段のライトとステンドグラス。











外から見えた(見上げた)階段のステンドグラス。


明治期や大正期の洋館の階段って、手すりもチェックポイントですよね。


そして、2階和室。








立派な仏壇に書院、格天井、細工の細かいライトなど。


洋館建築はドアノブもオシャレ。


この鍵穴にもテンションあがる。
戦前建築なので、ネジはマイナスネジ。





こちらは陶製のドアノブ!珍しい~

思いやこだわりが詰まった見所たっぷりの邸宅でした!
もう5年も前のことですが、よい機会に恵まれ、素敵なものを見せてくださった「オープンしなけん」と所有者の方に感謝です!
一緒に行ってくれた職場の元後輩もありがとう♪
(見てないと思うけど^^;)





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ノスタルジック東京61~ほぼ2021年の台東区入谷~

2024年10月13日 | ノスタルジック東京

永遠に終わらない気がする東京都台東区のレトロ建築。
2014年頃から撮り始め、インスタ散歩友達とも何回も歩いて(台東区ローラー)残すは花川戸や今戸などあと一部分なのですが・・

今回は2019年と2021年に4回ほど撮り直しに歩いた入谷。
※一部2019年画像ですがほぼ2021年です。 



レトロ散策マニアでは有名な「水上(みずかみ)酒本店」



なにがスゴイって、木造三階建てなのです。
1900年(明治33年)創業だそうで、建物自体はは1929年(昭和4年)築。
戦前の建物です!
空襲の影響を受けなかった、または少なかったエリアは戦前建築が見られることがありますが、それでも貴重です。


重厚な出桁造り。
昭和レトロ看板の代表的存在の塩看板と「でんわでんぽう」。
塩看板はレトロ散歩していると、そこそこ見かけますが「でんわでんぽう」は稀です。
「でんわでんわ」なんていうのも見たことがありますが、合計しても私が見付けたのは6か7か所かな?
たくさん撮り集めてる人もいますよ~^^



裏側からもパチリ。



こちらは花見煎餅吾妻屋入谷店
花見煎餅さんはいろいろなところにありますね。
明大前店では購入して店内を撮らせていただいたことがあります。


確か昭和28年創業だったと思います。
戦後ですが老舗です。

こちらも歴史ありそうなお茶屋さん「山城園茶舗」





黒い豆タイルが光ってます。


看板建築のファサードもお茶っ葉色。


もうどこだか忘れたけど、琺瑯の町名看板も!
「地下鉄入谷駅」の文字にグッときます^^;
(営団地下鉄のこと)


こちらは入谷に来るたびに通る道にある、木枠に型板ガラスが入った6枚引き戸の、元商店か作業所か・・




今では製造されない型板ガラス。
模様にちゃんと名称があることを知ったのは、数年位前。
これは「もみじ」かな。



こちらもなかなか香ばしい物件。




木の引き戸。
東京でもまだまだ残っていて、台東区ではよく見かけます。
もちろん減ってはいますが・・






散策の時は外観だけ撮っておいて、のちに入店した喫茶店。
→ 入谷☆喫茶 路

そして、、、



路地に料亭のような佇まいの建物を発見!




呉服屋さんのようです!

知る人ぞ知る?その道では有名なのかな?



大和張りの板塀も貴重になりました。






昭和モダンな小学校。
関東大震災による復興小学校だということは、近代建築やレトロ建築好きならピンとくるはず。
しかもこの時創立106周年(2021年)!








この日は平日だったからか、あまり撮らなかったけど(枚数があまりなかった)かっこいい校舎。
昨年、休日にまた何枚か撮りました。

復興小学校の校舎は閉校以来いろいろと活用されてはきたものの、近年解体が続きましたね。。。
文京区の元町小学校、台東区では下谷小学校に坂本小学校など。





どこかの路地。


すごい古そうな缶・・



「台東区路地特集」で本出せそうなくらいいい路地たくさんあります。
追々、アップしていきたい。
消滅する前に・・





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ノスタルジック東京60~2019年から2021年の台東区千束の一部と竜泉~

2024年07月24日 | ノスタルジック東京

もう毎度のことですが、相当な期間更新出来ずでした
にもかかわらず安定したアクセス数、嬉しく思います。ありがとうございます!

さて、今回は2019年~2021年までの台東区竜泉と千束をまとめてアップ。
※下書きが昨年の11月で止まってました(汗
台東区は入谷や台東の画像が多いのでまた分けておきます(入谷は後日)
台東区千束の吉原遊廓があったエリア(新吉原)についても4回ほど出向いてほぼ撮影済なので、それは時期が来たらまとめてアップします。



ブルーのテントとグリーンのタイルが素敵な「coffeeヒデ」
今は閉業されています。
5年位前から新吉原散策のたびに通りかかっており、一度だけ入店出来ました。
COFFEEヒデ(入谷or三ノ輪)
古いステレオやレトロシール、木製のブロックがついた壁などわりと見所があった内装です。



このあたり木材店が多いです。




琺瑯の町名看板が木材で見えない><


別の日にインスタお散歩友達と見に来た時も、やはり隠れていました^^;


琺瑯看板や琺瑯プレートを見付けるのも、レトロ探索の楽しみのひとつです。



こちらの「竜泉西部町~」の琺瑯プレートはあちこちに貼られていました。

撮影したのは5~6枚だけど、10ヶ所くらいで見ました。
それだけ昭和の家々が残っているということ。




こちらは「防犯連絡所」の琺瑯プレートですが、多分はげちゃって上から手書きしてる^^;

歩けば歩くほど、昭和建築と思われる建物が見付けられます。





またまた木材屋さん。その向こうにも風情ある和風建築。











こちらも素敵な木造建築。











高欄の木材が細い!よく折れずにここまで保ってるなぁ!

そして今では少なくなった牛乳屋さんを見付けました。
(しかも瓦屋根)



ここを見付けたのが2019年、それ以降牛乳屋さんを探すようになり今では画像コレクションしています。
そのうち特集組んで、まとめて載せたい。
(調布の牛乳店だけ過去に載せたかな・・)



向こう側の看板建築は、電機店跡。
家電メーカーの旧ロゴや古い看板もテンションあがります。
これも日立・東芝・松下ならたくさん撮影しているので画像特集出来るかも。
(まとめてないのでフォルダから探すのが激務




入谷と千束の境目、ギリギリ千束にあるレトロ感強めな喫茶店
「汀」さんでランチ。(2022年)



こちらは入谷と竜泉の境目、ギリギリ入谷。
入谷の画像が多いので先にコチラだけアップ。
悲しいことに閉業されました2021年夏・三度目の正直☆喫茶白鳥(入谷)



そういえば散歩友達とも話していたのですが、こちらの画像のような青瓦をアクセントに使う一軒家や看板建築が、入谷近辺には多いように思いました。
戦後~昭和中期の流行りだったのかな?

台東区はどこもそうですが歴史ある古い建物が多く、どこを歩いていても昭和感に浸れるエリアが多いです。
今回も相当な画像の中からセレクトしましたが、他にもまだまだたくさん!
次回は台東区入谷にしぼりたいと思います。


こちらも最近更新しました!
ゆるゆる自然食Life
見に来てもらえると喜びます


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ノスタルジック東京59~台東区下谷その3(2020~21年)

2024年01月20日 | ノスタルジック東京

ノスタルジック東京58~台東区下谷その2(2020年~2021年)~からの下谷の続きです。

だんだん北上していきます。
くどいようですが2020~2021年の画像です。
この時点で、あきらかに解体されたばかりであろう空地もいくつかありました。
画像の建物も今あるかどうか不明ですが、散策記録として載せておきます。



こちらは店舗兼住宅だったのかな?木製の4枚引き戸が歴史を物語っています。



琺瑯プレートの町名看板もついてました。
貴重ですね。






ベランダの柵や小窓もかわいいです。

向かい側は美容院跡らしき建物。

丸い取っ手にテンパーライトドア。
紫の色ガラスが昭和そのもの。
インスタでこういうレトロドアの特集したら好評でした♪



こちらには謎の建物。
右についてるコンクリートの蔵みたいなのが謎。




なんの跡だろう??



道路に出て、すぐに目に留まったのは美容室(現役か不明)。

また路地に入ります。




少しだけ銅板。



二階の手すりがレトロかわいい。(よく見るタイプではある)



この引き戸も昭和感満載で素敵です。



路地側に入ると屋根のないベランダ!
レトロ散策しているとたまに見ますが、今では貴重。

こちらは隅切りの建物。

無線電機というのが、これまた歴史の流れを感じる。。






なんかキャラクターがいました。
ここは何回も通っているのですが、もっと近くで撮ればよかった。



そして、現役のお店に入りました。
看板に「いり豆落花生山口屋」とあります。


瓢箪の暖簾がよき。
縁起ものですね。





この秤も今では珍しい。
※撮影は許可を得ています。



この千葉県産・味噌ピーを2つ買いました。
国産で350円とは良心的。


琺瑯プレート二段構え。
このプレートも何ヶ所かにありました。

途中、入谷や竜泉へも撮影に寄りながら大分北上して(北東)、閉業したが銭湯の建物が残っている恵美須湯へ。




銭湯の煙突っていいですね。
昭和の名残り、昭和そのもの。


こちらは昭和30年代創業とか。
2021年時点でとうに閉業されていました。
私も本郷在住の頃古い店舗兼住居に住んでいた為、銭湯通いでした。
懐かしくもありますが、あの頃は若過ぎて早くお風呂のある家に住みたいと思っていました^^;
今ならもっと銭湯を楽しめるのに。
(レトロな内装や外観を)






まっすぐ撮ったのに曲がって見えるのは立地の問題?



側面も下町情緒があります。











反対側のお宅に木製牛乳箱が。
これも各地でたくさん撮影しているので、インスタで特集したらなかなか好評でした。

ここからは路地など。※場所の記憶が無いけど下谷であると思う。






最後の方で見付けたコンクリート防火水槽。

戦時中、空襲による火災に備えて消火用の水を張っておいたもの。
戦前の証人(人じゃないけど)。
レトロ探しでこれとかコンクリート塵芥箱を見付けると嬉しいです。
概ね、このように植木鉢置き場とか別の用途で使われていますが、使われているのはいい方で、放置されていることの方が多い。
そのうち、撮りためたこれらの特集もしたいけど地味になりそう^▽^;

台東区下谷はとりあえず一旦終わります。





コメント (2)
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ノスタルジック東京58~台東区下谷その2(2020年~2021年)~

2023年12月29日 | ノスタルジック東京

台東区下谷の続きです。
やたらと入谷駅を降りていた2020年と、インスタ散歩友達と歩き廻った2021年の画像が混ざってます。

ここから下谷2丁目。
下谷の中で画像が一番多いです。

まずは1枚目が逆光ですが、ピンクっぽいトタンの一軒家。
※2020年


後方のマンションとの対比がすごい。
頑張ってほしい昭和遺産。


上から、
東京ガスの旧ロゴ
電力プレート・通称「デンリョク」
一番下、旧東京市の水道マーク??
何しろ揃い踏み!
こういうのって偶然見付けるから嬉しい。

そしてこの一軒家の向こうにあった「鶯谷アパート」
アパート名は2020年時点ではもちろん知らず、随分経ってから調べました。
※のちに解体されました。


この時は、なんだか変わった建物だなぁと撮影したと思います。
3階?屋根裏部屋?みたいなのがあって、中はどうなっているのだろうと。


しかも1ヶ所、かわいらしい玄関が!




え!!可愛い過ぎる!って思いました、この時。
塗りたくられたスクラッチタイルっぽいアール部分↓↓

タイルもかわいい。

これが、2021年に再訪した時にはなくなってました・・

↓↓2020年画像(先ほど出したのと同じ)

↓↓2021年画像



ここもマンションになってしまうのかな。

すぐ近くには重厚な木造建築。


銅板が使われた出し桁造り。


玄関?はサッシだけど2階の木造の格子が細かい!

近くの路地には、補強しながらこらえているような木造一軒家。

雨戸の戸袋が銅板。


こういうの見ると応援したくなる。

よく見ると銅板戸袋の上に和の装飾。







元美容室かな?いい佇まい。

見覚えある建物も見えてきました。

以前、入ったことがあるカフェ「イリヤプラスカフェ」

以前ってか、入店は2011年・・!
築50年の一軒家☆iriya plus cafe(入谷)
画像小さいっス!^^;


もう築60年以上ですね。
変わらないっていいな
大事に使っているんだろうな。



その近くにはベランダが風情あるおうち。
繋がってますね。長屋?真ん中どうなってるの?玄関3つの意味は?
とちょっと興味深い物件!





こちらは元商店かな。


使い込まれた木造に商店時代?のテントの鮮やかさが目を惹く。
















マイナスネジ。
戦前建築かなぁ。

2丁目も北の方へ来ました。
※北というかやや北東

こちらの四軒長屋、画像手前の二軒はストビューで確認したら解体されていました・・


レトロかわいい二軒でした



こちらの二軒はストビューではまだありましたが、今はわかりません。。

左側の家の窓が、右側の家に寄っていて面白いですね。


良い風景でした。

こちらの至近には、、、

かつて、1928年に建てられた銭湯の「快哉湯」がありました。
創業は明治末期、関東大震災により一度倒壊し昭和3年(1928年)に再建、2016年11月、建物や設備の老朽化により惜しまれつつも閉業されましたが、オフィスを経てカフェへ再生されました。
訪問記事はコチラ→歴史ある元銭湯がカフェに☆レボン快哉湯(入谷)

下谷二丁目の画像が多いので、後日へ続きます。
年を越しちゃいますが、気長にご覧いただけたら幸いです

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ノスタルジック東京57~台東区下谷その1・旧坂本小学校他(2020年~2021年)~

2023年12月08日 | ノスタルジック東京

ノスタルジック東京56~台東区根岸・旧陸奥宗光邸、矢島写真館他~の記事に「矢島写真館」と豆タイルのある薬局・元美容室等の画像を追加しました。

また随分と間が空いてしまいました・・なかなかこちらを更新出来ず
なのにありがたいことに安定したアクセス数。
覗きに来て下さってる方々申し訳ありません

さて、やっと台東区下谷。
下谷は上野駅の北東に細長く位置しています。
エリアとしては下谷の南西部分から先にアップします。

駅でいうと日比谷線入谷駅が便利ですが、まんべんなく下谷を巡るべく、私は上野駅から歩くことが多いです。
それにしても2019年から2021年は、やたらと入谷駅(東京メトロ日比谷線)を降りていました。
入谷駅降りて東、やや北東へ行けば純喫茶が多いし(2023年時点で閉業もある)、4番出口を出ればレトロ建築の宝庫。
ただ、近年の解体ラッシュで2023年現在はもう無い建物もありますが、一応記録として載せておこうと思います。

こちらの坂本小学校も2022年3月に解体されています。

旧坂本小学校は、
1875年に第五中学区第一五番公立小学下谷学校として開校
1908年に入谷尋常小学校と改称
1923年の関東大震災の復興事業の1つとして1926年に鉄筋コンクリート造による校舎となり、1996年に閉校
という歴史ある学校。
震災の復興小学校としては最古だったそうです。
長い年月、使われなかったのか老朽化が進んでいました。

















復興小学校らしいデザイン。もっとちゃんと撮影しておけばよかったなぁ。
同じ復興小学校で今も現役の「黒門小学校」と雰囲気が似ています。







建設から100年近い年月が経っているし、老朽化などの理由で解体される復興小学校が増えていますが、
一部を保存・活用しつつ再出発している復興小学校もあります。
散策の途中で見たことがあります。
※それはまた別の機会に(時系列的に)・・




旧坂本小学校の近くにはこれまたレトロな理容室。
右書きで「齋藤理容館」とあります。





建物は改装されたのかモダンでキレイだけど、右書きということは営業自体は戦前もしくは戦後すぐからでしょうか?
と思っていたら、、、


1908年の文字が!!
明治41年?!モダンなはずだ^^;
改装はしたでしょうけど。。
歴史あり過ぎます!すごい・・









横から見ると看板建築。
ということは建物は大正~昭和初期か、戦後すぐか。
前髪切ってもらいに入ってみたいな。



銭湯の玄関でよく見るマーブルタイル。
この豆タイル好きです。
お煎餅屋さんとか、和菓子店にもありますね~











窓は、パタパタ窓?
それともはめ殺し?

あっ!タイルが見える・・






植物を紐で支えています。



ドアの取っ手もレトロ。



近くにもう1軒理容室がありました。
「ヤング」というだけでもう昭和。

路地にはもう営業してなさそうな美容室も。



防犯連絡所の琺瑯プレート。





西日が眩しそうな三毛猫。


台東区下谷、まだまだ続きます。



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ノスタルジック東京56~台東区根岸・旧陸奥宗光邸、矢島写真館他~

2023年09月16日 | ノスタルジック東京

前回、次回は台東区下谷を投稿と予告しましたが、根岸がまだありました
2019年撮影分と2021年撮影分です。
2020年もやたらと台東区へ行っていますが、また別のエリアになるので順番に投稿します。



こちらは通り沿いにある銅板建築。長屋かな?
中華屋さんは現在は閉業しているようです。

そして旧陸奥宗光邸(西宮邸)



最後に撮影したのが2021年3月。
現状は不明です。



明治の外務大臣として有名な陸奥宗光の邸宅といえば旧古川庭園ですが、こちらはそれ以前に家族と住まわれていたそうです。

和館もあったそうですが、洋館部分のみ残されています。



この説明板によると、

『西宮邸(陸奥宗光邸)と「ちりめん本」
陸奥宗光とその家族が住んだ屋敷
明治期の外務大臣として日清戦争の講和条約締結や欧米列強との条約改正など日本の外交史上に大きな足跡を残した陸奥宗光(一八四四~一八九七)の最後の住まいは、現在の西ケ原の旧古河庭園です。
しかしそんな華々しいスポットライトが当たる前の雌伏時代に、宗光はこの邸宅に住んでいました。
陸奥宗光は、西南戦争時に反政府的な行動をとったとして禁錮五年の刑を受け、一八八三(明治十六)年一月に出獄したあと、同年九月に「一邸地を獲得した」のがこの邸宅です。まだここ根岸が、東京府北豊島郡金杉村という地名で、上野の山の下を鉄道が開通したばかりのころです。
一八八四(明治十七)年四月から一八八六(明治十九)年二月まで宗光はロンドンに留学しますが、その留守中、後年「鹿鳴館の華」と称される妻の亮子と子供たちがこの家に暮らしました。そして宗光は留学から帰国して一八八七(明治二十)年四月に六本木に転居するまでここで過ごしました。
この建物は住宅建築として建てられた洋館の現存例としては都内で最も古いもののひとつです。もともとは現存の洋館に和風(内部は洋式)の建物が付属した接客部と、母屋に付属した離れと土蔵二つを持つ生活部とからなる和様館並列型住宅でした。現存する洋館部分はコロニアル様式で建築されており、正面側の一、二階に大きな開口が連続して配置され、各部屋には暖炉が備えつけてあります。陸奥家とのかかわりという点からいうと、玄関を入るとすぐ階段があり、その階段の手摺の親柱には陸奥家の家紋である「逆さ牡丹」が彫刻されています。
一八八八(明治二十一)年、宗光は借金返済と息子・廣吉のロンドン留学費用の捻出のため、この家を売却します。
その後一九○七(明治四十一)年ごろ、「ちりめん本」を出版していた長谷川武次郎が、自らの住まいと社屋(長谷川弘文社)として買い取ります。
長谷川弘文社による出版事業は、大正、昭和と引き継がれました。現在も、この家には長谷川武次郎のご子孫の西宮氏ご家族がお住まいです。建物内への立ち入りはできません。静かに敷地外部からご見学ください。
(略)
 二○一七年三月 掲示:根岸子規会(地域の皆さんのご寄付により掲示しました)
 敷地内への立ち入りはできません。静かに敷地外部からご見学ください。』


この説明版を読むと、ここに住まわれた期間は短いですね・・!
2階の大広間は20畳くらいあって、外国人外交官を招いてパーティーもされたそうな。
外相ですもんね。

















夏はモジャがすごそう。
(この時は確か3月)

2019年に初めて根岸を歩いた時は知らなくて、後日友人から聞いて見に行きました。
2021年にはインスタ友達とも。

以下の住宅は2021年散策の際に撮影。
旧陸奥宗光邸の手前にあります。


シンプルな丸窓がある和風住宅。
玄関も風情があります。







こちらの表札は、ほとんど見えないのですが、、、

うっすら右書きで「下谷區」と読めます。
下谷區は、かつて東京府東京市だった時代に存在した区。
1878(明治11年)から1947(昭和22年)迄の、東京15区と35区の時代。

同行のインスタ散歩友達が発見!
かなり貴重な表札だと思います。


そしてここから追記分。
この投稿の後、また根岸の画像が見付かりました^^;
2021年4月撮影分です。



金杉通りにある「矢島写真館」
2013年6月に閉店。
大震災や戦火にも耐え抜いた大正7年建築の写真館。
(上野経済新聞より)








屋号は銅板製かな?
スクラッチタイルに銅板の屋号、カッコいい!






窓は型板ガラス。
種類は「のみち」だろうか。





元々は板張りの建物を、昭和5年頃にこのスクラッチタイル張りに改装したそうです。
(上野経済新聞より)


玄関は大正期のままだとか。
この、下の方が金属製の板が張ってある木製のドア、戦前の建物によく見ますがオシャレですよね。


戦前の証マイナスネジも見られます。
(戦後の建物にもあるにはあります)


こちらは同じ金杉通りの柳通り交差点にある「雄飛堂薬局」と閉業?店舗。




冬仕様のサトコちゃんが見える!



何気に豆タイルが各所にあります。



かなり古そうな豆タイル。


閉業店舗2軒長屋。横から見ると看板建築でした。

どちらもサビ具合がいい感じですが、いつ頃閉業したのかな・・


右側はヘアーモードサロンカワサキとあります。
よく見るとこちらも・・・


豆タイル!


ちょっとわかりにくいですが細かい豆タイルです。


さて、次回は記念日投稿のあとに今度こそ台東区下谷!
2年分画像あるのでかなりの枚数になります・・

※根岸散策の時に入った純喫茶
グラパンが有名な喫茶店☆デン(鶯谷)

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ノスタルジック東京55~台東区根岸(2019年~2021年)~

2023年09月06日 | ノスタルジック東京

東京のレトロ建築画像の中でも、台東区の枚数が半端ないです。
ここ4年、一部を除いてほとんど撮り歩いている気がする。
(浅草6・7丁目の一部と花川戸の一部、清川の一部がまだ)

アップが出来ている台東区
ノスタルジック東京22~台東区東上野~
ノスタルジック東京18~蔵前近辺~
ノスタルジック東京14(南千住~浅草千束~合羽橋)
ノスタルジック東京7~台東区浅草橋・鳥越・三筋・蔵前~

これしかアップ出来てない!
自分でビックリしました。
しかも初期だから画像少なっ!
記事にしたらこの10倍分はもう既にあります・・終わる気がしない。

台東区に関しては同じとこ何回も撮りに行ったりしているため、時系列ではあるもののエリアごとに一度にまとめちゃいたいと思います。
※記事数を少なくしたいので、1回の投稿画像数が多くなりますがすみません
もう無い建物もありますがとりあえず記録だけしておきます。

まずはタイトル通り根岸から。
2019年~2021年が混ざってます。


このツートンのレトロ建築は特に好きで、3~4回は撮っています。




スクラッチタイルも使ってある。







両脇の古いプレートなんだったかな・・
近寄って見たけどもう記憶が(汗

ここから別の日の18時くらい。





カメラも違うけど、夜はまた雰囲気が違う。





最近はあまり撮らなくなったけど(画像がたまり過ぎるので)古いガラスブロックが好き。







左側の小さく薄い看板建築のような造りが面白い。

そして、、、

もう大分前に取り壊された建物(夜の暗い画像は2019年撮影分)
鈴木食品工業。


「パラペット」がたまに見るタイプではあるけど、ここまで横長で洋風なパラペットは貴重かと。


お隣のピラピラ青瓦の建物と共に、取り壊され現在はマンションと駐車場になっています。
ビフォーアフター的に載せようと思ったけどやめました。



青い窓枠の上げ下げ窓も良かったのに。


側面も手を抜かない建物。
明るい日に撮り直したかったなーー!
そんなんばっかり。



住宅兼理容室。



サインポール・昼


サインポール・夜
ここで、店前にいらした方にちょっと道を聞いた記憶がある。


また別の日に見付けた理容室。




オレンジのマーブルタイルが珍しい!・・とこの時は思った。
(この何年後かに他でわりと出会った^^;)


ドアのモールガラスも好きだなぁ。
余談ですが、モールガラスの食器棚が欲しくて、夜な夜な調べた時代がありました。


モールガラスにオレンジのマーブルタイル、古いサインポール、薄手のカーテン、レトロなシール。
好きなもの多め♪

そして、木造建築もまだまだ多い台東区根岸(根岸に限らずですが)。








少し装飾の入った風情ある手すり。


























またまた大好物の、古いガラスブロック。



煉瓦との組み合わせも良き。






喫茶店みたいな外観の、レトロかわいい理容室。



古い面格子も好き。



琺瑯の「防犯連絡所」プレートもこの頃は出会うたびに撮影していたけど、
結構色々な種類に出会えたので今はたまにしか撮ってない^^;



インスタ友達に教わった東京ガスの旧ロゴ・古いマーク。
逆さに付いてるやつとか
こんな風に埋まっているのはレア。
かわいいなー


すみません、このお蕎麦屋さんだけ道路挟んで台東区下谷です。
下谷の画像が一番多いので、載せちゃいます。
看板建築のお蕎麦屋さん「甲州屋」


2019年はまだ営業中でしたが、調べてみたものの現在は不明・・







次回は、台東区下谷の画像2年分くらいをぎゅっとまとめます!


※根岸散策の時に入った純喫茶
グラパンが有名な喫茶店☆デン(鶯谷)



コメント (2)
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ノスタルジック東京54~三鷹駅周辺☆2019年~2022年

2023年04月26日 | ノスタルジック東京

時系列投稿に戻ります。
(諸事情によりまた時々現在に飛びます

時系列で画像フォルダを確認すると、2019年11月に三鷹で仕事の際に休憩中いろいろ撮って歩いたのですが
その後も三鷹で再度仕事があったり、中央線の別の駅で仕事の日に三鷹に行った記憶があるので探してまとめました。

結局、2019年11月・2020年12月・2022年10月の三鷹散策分となります。

まず必ず目に入るので毎回撮影。
旧三鷹橋(昭和32年竣工)の親柱と高欄が残されている場所。
※2019年画像

元・高欄がかわいいです。置かれた井戸ポンプもよき。
そういえば文京区本郷の井戸ポンプ、コンプリート(画像を)したけどまだアップしてないです・・



旧三鷹橋は、駅前広場の整備に伴い、平成17年に架け替えられたそうです。
その際に親柱と高欄が保存されたとのこと。
新旧の三鷹橋が並んでいるのがわかるように撮ればよかった。
(向こうに少し見えている)

こちらは2022年10月画像。説明版が増えていますね。

2019年画像と比べると高欄も少し変色しているような。。







駅の下を流れてきた玉川上水。
ここで地上に現れます。
玉川上水は、人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られたそうです。

玉川上水のことは散策レポを読むと、いろいろと興味深いですが
これ以上、レトロ散策の趣味を広げると大変になるのでやめときます笑
まだまだ無人駅めぐりや城めぐりもしたいし。

ここからまた2019年の画像です。

路地で見付けた昔ながらの理容室。かわいい!
以前レトロ理容室特集☆その1で載せたのですが、
この丸い取っ手と色ガラスドア、ガラスブロック、型板ガラスなど昭和要素満載でテンションあがって暑くなりました^^;


現役なのも嬉しい。


型板ガラス。


建物自体は下見板張りの木造建築。





戦後建築によく見られるファサードのみモルタルの看板建築風。
もう4年前になりますが、仕事の休憩中のお散歩でいいもの見付けました!

駅から少し離れた、別の通りにもかわいい理容室。







こちらも昭和のガラスブロック。
ガラスブロックと豆タイル、たまに斜め入口など、昔の理容室は大好きな昭和ポイントが詰まっています。


2階の出っ張り、なんだろう。

ここから駅近く。


いい色合いの看板建築の畳屋さん。
手書きの看板がかわいい。



味のグラバー亭!「邸」じゃなくてね^^;
そういえばグラバー邸は2回行ったけど、まだ若かったから速足で見てほとんど覚えてない!


ここからは2020年画像。
また駅から少し離れたエリアです。
純喫茶を目指して行ったら、周りもレトロだった。




目的はエミールさん。
臨時休業でした。



日立のお店を発見!
純喫茶は入れなかったけど、この古いロゴのお店見れただけいいか~









この一角は、ふちにタイルをあしらった建物で、ちょっと目を惹きました。



また今度エミールさんに来てみようと思います。



レトロ柄の床もあちこちにありました。





この柄はよく見る。

ここからは2022年。
駅からはかなり離れており、歩けなくもないですがバスで行きました。




目的は食堂の「エポック」さん。


またまた大好物、レトロな色ガラスドア。


店内もかわいいのです。


純喫茶っぽいライトがよき。
こちらはいずれ別ブログにてアップします。
こっちもあっちもなかなか進まないけど、
別ブログは今、2021年夏まで来ましたので見に来てくださいね~




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ノスタルジック東京53~赤煉瓦酒造工場その2~

2022年12月14日 | ノスタルジック東京

続きを書けないまま仕事が繁忙期に突入してしまいました・・
前回・ノスタルジック東京52~赤煉瓦酒造工場その1~の続きです。

東京文化財ウィークで特別公開された赤煉瓦酒造工場(旧醸造試験所第一工場)の見学会。
※2019年10月の記録です

最初に椅子に座って説明を聞き、その後内部見学へと案内していただきました。
この日は20人くらいだったかな。




説明会場。※終わった後の画像です^^;






廻った順番は覚えてないので順不同です








1階の天井は2階の床と一体化しているそうです!
これは「耐火床」と呼ばれ、両側の壁の上は煉瓦アーチになっていました↓↓

上からの荷重を、アーチの形によってうまく伝達されている構造ということです。







歴史を感じますね~~










外で見たあの丸窓~
















こちらは旧麹室↓↓



白いタイルのように見えますが、
表面のみ白色で施釉された煉瓦だそうです。
白色煉瓦(白色施釉煉瓦)は日本銀行の地下金庫にも使用されているのだとか。
こうすると劣化を防げるのかしら。












そのほか、いろいろ目に留まったもの・場所。

























この日は文化財ウィークの特別見学会でしたが、
今年は「お酒講座」という、赤レンガ酒造工場の見学とテイスティングを含めた講座があったみたい。
個人向け一般公開はしていないようですが、イベントに参加すると内部を見られるようです。

お酒も興味はありますが、
煉瓦を積み重ねただけで建てられた、この歴史的建造物を堪能する1日となりました!




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ノスタルジック東京52~赤煉瓦酒造工場その1~

2022年11月13日 | ノスタルジック東京

2019年10月の記録です
東京文化財ウィークで特別公開された赤煉瓦酒造工場(旧醸造試験所第一工場)見学会に初めて参加してきました。
※通常、個人向け一般公開はしておりません。
※跡地公園から外観を見ることは出来ます。

最寄り駅は王子駅です。

以下、北区のサイト・いただいたプリントから抜粋↓↓

赤煉瓦酒造工場は、大蔵省醸造試験所が創立された明治37年(1904)の前年・明治36年(1903)に建築されました。
醸造方法の研究や清酒の品質の改良をはかることと、講習会により醸造技術や研究成果を広く普及させることなどを目的としたそうです。

設計監督は明治を代表する建築家・妻木頼黄(つまきよりなか)。
※妻木頼黄の主な建築物には、旧横浜正金銀行本店(現・神奈川県立歴史博物館)、現・横浜赤煉瓦倉庫等ありますが現存するものは少なく、大変貴重な建物です。


当時冬季に限られていた日本酒の醸造や研究を、四季を通して行えるようにドイツのビール醸造施設を応用したとされています。
冷却機など醸造用機械もドイツから輸入したり、煉瓦壁の一部に中空部分を設けて外部の温度変化の影響を受けにくくしたりとか。
製麴室の白色施釉煉瓦積の壁や、鉄骨梁に半円形状に煉瓦を積んだ耐火床など、屋内にも特徴的な煉瓦造の部分をみることができます。

昭和20年4月に空襲で被災し屋根部分は葺き直されていますが、その他は当時の様子をよくとどめているということです。
平成26年12月に国の重要文化財(建造物)に登録されました。

その1では外観のみアップします。
入る前と出る頃で時間帯が違うので、煉瓦の写り具合に差があります。
一部西日に悩まされ加工しました。















外壁には「ドイツ積み」が多用されています。












この、煉瓦に水色の窓枠がオシャレですね~
明治大正、昭和初期の建物には水色やペパーミントが使われることが多かったように思います。
色々なところで目にします。
窓枠だけでなく、木造そのものがペパーミントだったり。














貴重な琺瑯看板もありました。



こちらはコゲコゲな「火気厳禁」



みんな大好き丸窓もあります。
(次回の記事で内側を載せます)



西日の逆光><









西日~~



跡地公園から見た外観。
日中は賑わっていました。



公衆トイレも赤煉瓦!しかもミニチュアっぽくてかわいい。



側面にはちゃんと丸窓が!


重厚な歴史的建造物の周りには桜の木が植えられていたので、
春は飛鳥山公園だけでなく「音無さくら緑地」へも足を延ばし、そこからコチラ迄歩いて花見散策も楽しめそうです。

次回、内部見学分をアップします。





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