かなり更新が滞ってしまいました。
しかも暗い報告で申し訳ないのですが
書いておかないと前に進めないので。。。
11月12日に、実家の父が他界しました。
夏頃、肺癌が見付かり抗癌剤治療のため、検査入院も含めて熱海の病院で
5回も入退院を繰り返していましたが、
癌発覚からたったの4ヶ月余りで逝ってしまいました。
リンパへも転移していたものの、抗癌剤により癌は小さくなっていたのですが
副作用で腎機能が激しく低下し(身体の毒素を浄化できない)
脈拍が140と高くなり、持病の糖尿病の治療もできなかったりで
命を縮めた原因はいろいろあるようですが、最期は心不全。
12日の早朝に容態が急変したため、間に合いませんでした。
余命を本人にすら宣告しない主治医だったのですが
まさかこんなに早く逝ってしまうとは思いませんでした。
父は何度も「あとどのくらい生きられますか?」と主治医に尋ねており、
知りたい様子だったので、宣告してほしかったです。
こんなことなら、家族から「本人も知りたいようなので言ってやって下さい」と
もっと頼めばよかったと思います。
両親が伊豆へ移り住んで12年。最初の4年は熱海だったので、月に1回は会いに行っていました。
でも伊東へ移住してからは、交通の不便さもあり、父からも「無理して来なくていい」と言われていたこともあり、
年に1度くらいしか行っていませんでした。
元気なうちに、旅行にも連れて行ってあげればよかった。
もっと会いに行ってあげればよかった。
もっと電話もしてあげればよかった。
いろいろな後悔が駆け巡ります。
でも、今年3月にやはり癌でお父さんを亡くした友人が、
どんなに尽くしてあげても(友人は仕事を辞めて介護していた)
もっとこうしてあげればよかったと思うもの、と言っていました。
後悔に縛られるのでなければ、後悔もひとつの供養かなと思います。
後悔することは父を忘れない、ということだから。
無理に前向きに割り切ったりしたら、父に「おいおい割り切るな~」と
言われそうだしね
後悔もちゃんと認めなければ。
伊豆へ転居する前までは1年のうち360日働いていた父。
私が知ってる人間の中では1番、働いて、1番酒も飲んで。
とても一晩では語れない激動の人生だった父。
今はちょっと楽になったんだと思いたいです。
父に一番、懐いているポッポ。
今でも「パパさん」とたまに父を呼んでいます。
「でもボクは元気だよ~」
※画像は2年前のもの。ポッポの過去記事はカテゴリー鳥にて。