OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

駅の中で帰宅難民に。

2011年03月13日 | 暮らしの中で

3月12日午前3時、ようやく帰宅した私はテレビをつけて、私なんて被害のうちに入らない・・と思い知ることになったのでした。


3月11日14:46、私はひとり小田急線の町田駅ホームにいました。

立っていた駅のホームが激しく横に揺れました。
ちょうど隣りのホームに停車していた特急列車が傾き、恐怖を覚えたほど。

その後も余震が続き、もちろん電車はストップ。

伊東の母宅へ向かう途中だったので母へ電話するも出ず。夫も姉も義父母にもつながらない。
メールも送れない届かない。ワンセグも受信できない。

やっとこさwebにて震源地と震度などを知る。
しかしそれ以上の情報はつかめない。その時点では事の重大さがわからない。

駅の放送は私鉄もJRも停止していることを告げるだけ(しかたないけど)

駅のホームで寒さに震えながら1時間半を過ごす。
みんな、ホームから動かない。

長くなるかもしれないトイレに行っておこうと思い、階下の構内に降りると大勢の人でごった返し、トイレも当然長蛇の列。

30分ほど並んでトイレを済ませ、構内のコンビニでパンと飲料を購入し、そのまま構内で3時間待つ。
(この時点でJRは終日ストップ→自宅はJR沿線なのでまともには帰れないことが決定)
見知らぬ女性が、これを敷いて座ったら・・と、新聞紙を1枚くれた。
嬉しかった。

確かこの頃、やっと夫や義父母と電話がつながる。

やがてホームにて車両を待合室代わりに開放するとの放送があり、皆でどやどやと上がる。

椅子に座れるのはありがたいが、構内より寒い・・寒い・・再びトイレへ。が、さっきより長蛇の列。

少し構内をウロウロしてから改札を出てタクシー乗り場に行ってみる。

予想通り。駅ビルを囲うように、超長蛇の列。人気映画の公開初日のよう。
しかもホームより激寒。(そりゃそーだ)
公衆電話もシャレにならないくらい並んでた。

タクシーはとても並べない・・と、再びホームの車両に入り、座る。

しばらくすると、駅から徒歩7分の町田市民ホールを避難場所として提供してくれるとの放送有り。

でも誰も動かない。復旧の目処はたたないから行ってくれと言わんばかりの放送あるも、誰も動かない。

うーーん市民ホールならトイレもあるし暖かいし、座り心地よさそうな椅子もありそうだし
私は行こう!と立つ。
結局7時間を駅で過ごした。

しかし市民ホールは西口と放送していたが北口だったぞ コラっ

市民ホールへの道中、コンビニで食料調達・・と思ったら何もない!!飲み物もHOTは売り切れ!
(あとで考えたら当たり前なんだけど、この時点ではまだ実感がない)

市民ホールでひたすら復旧を待った。
タクシーは無理だし(お金も相当かかるし)道路はとっくに大渋滞だろうし、
JRは終日動かないんだから。

やがて午前零時過ぎ、小田急線がかろうじて復旧したとの連絡。
夫に電話して(これもなかなかつながらなかった)JRとの乗り換え駅まで迎えに来てもらう。
しかし思ったとおり大渋滞でその駅で1時間待ち、帰りも1時間以上かかった。
駅で過ごした時間を思うと短いものだけど。

そんなこんなで午前3時にやっとこさ帰宅。

川崎市も7時間停電して大変だったらしいが、テレビをつけて、東北の尋常でない被害の大きさに言葉を失いました。
私なんて・・えらい目にあった、なんてさっきまで思ったけど命あっただけでもいいじゃない。

被災された方の心境は、私達の想像を絶するものと思いますが、
まだ安否確認が取れない方、どうか1秒でもはやく連絡がとれますように。
避難はしたものの、孤立してまだ救出されていない方々、はやく発見されますように。
避難所で不自由な生活を強いられている皆さん、はやく物資が届きますように。
なんとか皆さん、頑張って下さい。

そして、震災の犠牲になられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


最後に、町田市民ホールの皆様、場所の提供及び、親切にして下さりありがとうございました。
心より感謝いたします。

コメント (10)
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