万世橋と旧万世橋駅跡にはちょっとした思い入れがあり、当ブログでも何度も記事にしました。
(最後にリンク貼ってあります)
なので、江戸東京たてもの園に移築された「万世橋交番」も見るのが楽しみでした。
過去記事の悲運の万世橋駅と、短命だった昌平橋駅でも触れましたが、明治45年に中央線のターミナル駅として華々しく開業した「万世橋駅」。
その後震災・戦災・時代の流れなど、悲しい運命を辿り衰退していき、ついには閉業します。
しかし、悲運だったのは駅だけではなかった!
後日知ったのですが、こちらの交番も、万世橋駅の運命と共にあったようなのです!
素晴らしいこのデザイン。
煉瓦造りの交番なんてオシャレ過ぎる。
入口の屋根?を支える部分の意匠も凝ってますよ。
丸ポストとの相性も抜群。
さて、何が悲運だったかと申しますと、ある方のサイトに詳しく載っているので、ほぼ転載させていただきます。
「この交番は波乱万丈の運命をたどり、ここ江戸東京たてもの園で安住の地を得ました。
万世橋駅(昭和18年廃業)が中央線起点駅として、明治45年4月1日開業。
美しい赤レンガの万世橋駅舎は建築家・辰野金吾氏によるもの。
万世橋駅の右端に誕生した交番が写真そのもので、
須田町派出所(万世橋交番の前身)であった。
その後、東京駅や神田駅の開業による万世橋駅の衰退・関東大震災による被害を受けながら生き残り、
昭和8年交通博物館開業により交番(須田町派出所)は、万世橋のたもとガード下に移転。
昭和30年頃まで使用されていたという。
しかし、その後は倉庫のような扱いを受け、ボロボロに
傷んだ交番建物を平成4年、冷たい雨の中、そっくりそのままの姿で徹夜作業によって
大型トレーラーにより江戸東京たてもの園に運びこまれた。
そして、現在のような美しい姿に修復され、
多くの見物客を楽しませている」
随分長い間、放置されていたようです><
検索すると、放置されたいた頃の画像が1枚だけありました。
その放置されていた間の、多分、移設直前くらいですが、私何度もその場所通ってます。
何故気付かなかったのか悔やまれます。
しかし、
旧万世橋駅は70年の時を超えて、2年前に商業施設として再生され、
万世橋交番は一足早く、平成4年に修復されて明治の建物を伝える役割を果たしている。
移設を決断してくれた方々に感謝してやみません。
☆万世橋駅関連の記事☆
※70年の時を経て*旧万世橋駅再生の日
※70年の時を経て~旧万世橋駅ホームへの階段~
※悲運の万世橋駅と、短命だった昌平橋駅
※ノスタルジック東京⑤神田須田町*レトロ建物探訪
※万世本店から旧万世橋駅跡を見る
※微妙な位置で日向ぼっこ