「明けない夜」
(九)―②
天気予報は夜から寒波が襲来して雪になると予報していた。夕方こ
ろから空一面に灰色の雲が覆って急に寒くなると、区切りのいいとこ
ろで作業は早めに切り上げられ片側交互通行の規制が解除された。吉
崎さんが無線で、
「15時48分、規制解除!」
と言うと、
「了解!」
と応えた。さっそく私服に着替え駅前の駐輪場に自転車を預けてから
駅で吉崎さんと落ち合った。
「どこか知ってる店ある?」
「いやあ、卒業してからはまったく出歩いてないんで」
「じゃあ、俺の知ってる店でもいい?」
「ええ」
彼は券売機の方へ行って一枚だけ切符を買って私に差し出した。
「おれはスイカがあるからさ」
都心へと向かう電車に乗って駅を5つくらい見送ってから下車した。
「まず、サウナに行くつもりだけどいいかな?」
「ええ、付き合いますよ」
都内のどこの駅前にもあるカプセルホテルのサウナだったがサウナだ
けでチェックインした。ロッカールームで彼の裸を見てその筋肉隆々
たる身体に驚いた。
「すごい筋肉ですね」
「これでも大分衰えたよ」
すぐに彼が元自衛官だったことを思い出した。自分の貧弱な身体を曝
すのを躊躇っていると、
「心配するな、ホモじゃないから」
そう言って股間を隠さずに浴室に入っていった。5時前だったせいか
広いサウナの室内には先客が二人しか居なかった。肩を並べて黙って
座っていると間が持たないので私の方から話しかけた。
「自衛隊に居たんですか?」
「ああ、春までな」
「ところで憲法って改正されると思いますか?」
「たぶんされる」
「えっ、ほんとですか?」
「たとえば実弾演習で銃を構えて照準を定めるだろ。その照準は何も
ないところに合わせるわけじゃない、敵に合わせるんだ」
「ええ」
「敵とは具体的には敵対する国の軍隊で、その人間の姿が頭に浮かば
なければ集中なんてできないだろ」
「仮想敵国ですね」
「ところが、おれは実際にこんな夢を何度も見たんだ。敵に照準を合
わせていざ引き金を引くと憲法九条というロックが掛っていていくら
引き金を引いても弾が撃てない。焦っているうちに覚った敵が至近距
離まで近づいて来ておれの脳天に照準を合わせて笑いながら引き金を
引く。すると恐怖のあまり目が覚めて全身が汗だらけなんだ」
「・・・」
「では、いったい何のためにそんな演習をするのかと言えばいざとい
う時に国を守るためだが、ところが現行憲法では武力の行使はできな
い。つまり、対外試合が禁じられているのに練習している。しかし実
戦を経験せずにいざという時に戦えると思うか」
「じゃ、集団的自衛権を認めるのはそのためなんですか?」
「憲法改正のための一端に過ぎない。ただ、そんなことよりも、たと
えば北朝鮮のミサイルが本土に着弾でもすればこの国の世論なんてす
ぐにひっくり返るさ」
「えっ、北朝鮮ですか?」
「ああ、おれは中国が何かする時はまず裏で糸を引いて北朝鮮を使う
と思うんだ」
「んん」
「何よりもまず中国は自分たちの支配下で朝鮮半島の統一を望んでい
るんじゃないかな」
「でも韓国は拒むでしょ」
「考えてみろよ、いまや中国は一国二制度なんだぜ。仮に南北の統一
国家ができたなら、共産主義体制の下でも資本主義経済を発展させる
ことができると言うさ。イデオロギーなんかより祖国統一が優先され
る。だってもう韓国なんて着々と中国に取り込まれているじゃないか」
「つまり政治的自由なんかよりも経済的自由だってことか。でもそれって、
この国だってマスコミやメディアを見れば同じじゃないですか」
「まあな」
(つづく)