「明けない夜」 (九)―②

2017-08-23 21:17:17 | 「明けない夜」9~⑩

           「明けない夜」

            (九)―②

 

 天気予報は夜から寒波が襲来して雪になると予報していた。夕方こ

ろから空一面に灰色の雲が覆って急に寒くなると、区切りのいいとこ

ろで作業は早めに切り上げられ片側交互通行の規制が解除された。吉

崎さんが無線で、

「15時48分、規制解除!」

と言うと、

「了解!」

と応えた。さっそく私服に着替え駅前の駐輪場に自転車を預けてから

駅で吉崎さんと落ち合った。

「どこか知ってる店ある?」

「いやあ、卒業してからはまったく出歩いてないんで」

「じゃあ、俺の知ってる店でもいい?」

「ええ」

彼は券売機の方へ行って一枚だけ切符を買って私に差し出した。

「おれはスイカがあるからさ」

都心へと向かう電車に乗って駅を5つくらい見送ってから下車した。

「まず、サウナに行くつもりだけどいいかな?」

「ええ、付き合いますよ」

都内のどこの駅前にもあるカプセルホテルのサウナだったがサウナだ

けでチェックインした。ロッカールームで彼の裸を見てその筋肉隆々

たる身体に驚いた。

「すごい筋肉ですね」

「これでも大分衰えたよ」

すぐに彼が元自衛官だったことを思い出した。自分の貧弱な身体を曝

すのを躊躇っていると、

「心配するな、ホモじゃないから」

そう言って股間を隠さずに浴室に入っていった。5時前だったせいか

広いサウナの室内には先客が二人しか居なかった。肩を並べて黙って

座っていると間が持たないので私の方から話しかけた。

「自衛隊に居たんですか?」

「ああ、春までな」

「ところで憲法って改正されると思いますか?」

「たぶんされる」

「えっ、ほんとですか?」

「たとえば実弾演習で銃を構えて照準を定めるだろ。その照準は何も

ないところに合わせるわけじゃない、敵に合わせるんだ」

「ええ」

「敵とは具体的には敵対する国の軍隊で、その人間の姿が頭に浮かば

なければ集中なんてできないだろ」

「仮想敵国ですね」

「ところが、おれは実際にこんな夢を何度も見たんだ。敵に照準を合

わせていざ引き金を引くと憲法九条というロックが掛っていていくら

引き金を引いても弾が撃てない。焦っているうちに覚った敵が至近距

離まで近づいて来ておれの脳天に照準を合わせて笑いながら引き金を

引く。すると恐怖のあまり目が覚めて全身が汗だらけなんだ」

「・・・」

「では、いったい何のためにそんな演習をするのかと言えばいざとい

う時に国を守るためだが、ところが現行憲法では武力の行使はできな

い。つまり、対外試合が禁じられているのに練習している。しかし実

戦を経験せずにいざという時に戦えると思うか」

「じゃ、集団的自衛権を認めるのはそのためなんですか?」

「憲法改正のための一端に過ぎない。ただ、そんなことよりも、たと

えば北朝鮮のミサイルが本土に着弾でもすればこの国の世論なんてす

ぐにひっくり返るさ」

「えっ、北朝鮮ですか?」

「ああ、おれは中国が何かする時はまず裏で糸を引いて北朝鮮を使う

と思うんだ」

「んん」

「何よりもまず中国は自分たちの支配下で朝鮮半島の統一を望んでい

るんじゃないかな」

「でも韓国は拒むでしょ」

「考えてみろよ、いまや中国は一国二制度なんだぜ。仮に南北の統一

国家ができたなら、共産主義体制の下でも資本主義経済を発展させる

ことができると言うさ。イデオロギーなんかより祖国統一が優先され

る。だってもう韓国なんて着々と中国に取り込まれているじゃないか」

「つまり政治的自由なんかよりも経済的自由だってことか。でもそれって、

この国だってマスコミやメディアを見れば同じじゃないですか」

「まあな」

                      (つづく)


「明けない夜」 (九)―③

2017-08-23 21:15:51 | 「明けない夜」9~⑩

              「明けない夜」

               (九)―③


 元自衛官の吉崎さんは頭を丸刈りにしていたが、ところがバランス

を取るためなのか口や顎に髭を蓄えていた。仮に顔の上下を逆さにし

てもそんなに違和感を与えないに違いないその人相を、他人が見て危

ない人物かもしれないと怪しんだとしても仕方なかった。私が彼から

の誘いを避けていたのもその厳つい面構えによる先入観からだった。

見た目で人を判断してはいけないと言うが、見せる方がそのつもりで

威圧的な風貌を拵えているのだから相手に伝わらないはずがない。バ

ラの棘は決して飾りではない。ところがその風貌に反して彼は到って

穏やかな人物だった。何日か彼に着いて一緒に仕事をしているとすぐ

に気付いたが、こんどはその穏やかな性格が仕事上に拵えられたもの

かもしれないと疑いが残った。私はその疑いを残したまま彼を誘った

。そして寒空の下で凍てついた身体を解凍もせずにサウナに投げ込ん

だので急激な体温上昇がわだかまりを溶かし二人は打ち解けた。もっ

とも打ち解けて語り合うには些かその話題は相応しくなかったが。

「どうすれば中国とうまくやって行けるんですかね?」

「元へ返ればいいんじゃないの」

「もと?」

「そう、国交を結んだ頃に」

そもそも私はあまり政治には関心がなかったのでその経緯を詳しくは

知らなかった。

「中国との間で対立している問題は40年以上前にすでに話し合われ

ていたんだ」

「尖閣の問題とかも?」

「もちろん、ただ棚上げにしただけだけどね」

「じゃあ棚上げのままにしておけってことですか」

「戦争したくなければそれしかないだろ。靖国参拝問題にしたって中

国側は二分論によって日本の指導者にその責任を負わせたのだから、

戦犯が祀られている靖国に指導者が参拝するのは合意に反すると非難

されても仕方ないだろ」

「何、にぶんろん?」

「ああ、二分論というのは日中交渉で日本側の謝罪に対して中国側は

、戦争責任は指導者にあっても国民はただ軍国主義者に騙されただけ

だと理解を示してくれた」

「なるほど、それで戦犯が祀られている靖国参拝が許せないのか」

「つまり、日本が恩義に背いて軍国主義者を崇めていると言う訳だ」

やがてサウナ室には仕事を終えた人たちと思われる客がぞろぞろと入っ

て来たのでそんな話をすることが躊躇われた。

                       (つづく)


「開けない夜」(九)―④

2017-08-23 21:14:05 | 「明けない夜」9~⑩

           「開けない夜」

            (九)―④


 サウナを後にすると外は雪が舞っていた。吉崎さんはすぐ近くの「

焼鳥」と書かれた赤提灯がぶら下がった小さな店に飛び込んだ。その

店は四人掛けの座敷が三卓とカウンター席が十席余りしかなかったが

まだ客は居なかった。カウンターの中には黒のバンダナにTシャツを

着た店主と思しき中年男が親しげに吉崎さんを迎えた。吉崎さんは私

を紹介するとカウンターの奥の席に陣取って隣の席を勧めた。すると

奥の暖簾を割って店主と同じ格好をした女将さんらしき女性がオシボ

リを持って現れた。吉崎さんが、

「まずは生ビール!」

と注文すると彼女は、

「二つ?」

と訊いた。吉崎さんが私の方を見たので私は黙って肯いた。さっそく

乾杯をして一気に喉へ流し込むとサウナで渇いた身体に雑巾が水を吸

うように浸み亘った。吉崎さんは一呑みでジョッキを空にすると、

「大将、串盛り二つといつもの酒」

と店主に注文してから私に何を飲むか訊いた。私は同じでいいと言う

と、女将さんはすぐにもっきり酒の升を二つ運んできた。それはグラ

スからこぼれ落ちた酒が升からも溢れんばかりに注がれていた。たぶん

そのうちに升にこぼれた酒を受けるためのより大きな升が必要になるに

違いない。

「これは北海道の酒なんだ」

「へえ」

「ほら、おれずーっと北海道に居たからさ」

そう言うと手を使わずにグラスに口を近づけて最後に「チュウ」と音

を立てて啜った。その飲みっぷりから酒好きなのが覗えた。

「ああ、そうなんですか」

と言いながら、私はグラスの酒を升にこぼしてから嘗めてみたが、彼

の飲みっぷりが想像させた酒の旨さを共有することはできなかった。

それはちょうど子供がビールや酒の旨さが分らないように、味覚器官

からもたらされる旨さではなく味覚をつかさどる脳そのものが麻痺して

味覚が機能しなくなって旨いと勘違いしているだけに違いない、などと

思いながら、それでもチビリチビリやっていると私の脳が次第に麻痺し

てしまい、いつの間にか升にこぼれた酒まで飲み干していた。そして、

「これ旨い酒ですね」

と言うと、焼き上がった串盛りと一緒にすかさず二杯目のもっきり酒

が運ばれてきた。すると吉崎さんは、

「ここの焼鳥はちょっと他所とは違うよ」

と言ったが、見た目はまったくどこにでもある焼鳥だった。

「何が違うのですか?」

「まあ食べてみればすぐ分かる」

と言うので恐る恐る口にすると、

「なんか肉がすごい軟らかいですね」

「なっ、違うだろ」

「ええ。なんでこんなに軟らかいのですか?」

すると吉崎さんは店主に向かって、

「大将、何でか教えてやって」

と言うと、店主は鳥を焼きながら、

「タンドリーチキンというのを知ってますか?」

「確かインドの方の料理ですよね」

「ええ、そうです」

「あれはヨーグルトに漬け込んで肉を軟らかくするんです」

「じゃあ、この肉もヨーグルトに漬け込んでいるんですか?」

「ええ、一晩漬け込んでいます」

すると吉崎さんが口を挟んだ。

「大将は自分でヨーグルトまで作っているんだって」

「へーっ、そうなんですか」

「ええ、まあ。うちはあくまでも和風の焼鳥なんでね」

「なるほど」

日暮れから降り出した雪は止む気配がなく、玄関の硝子戸越しに見え

る外の景色は行き交う車のヘッドライトに照らされるとうっすら雪化

粧が施されているのがわかった。店主は、

「もう今日は客は来ないだろう」

と呟いた。二人は脳細胞の麻痺によってもたらされた旨い酒と、他では

味わえない美味しい焼鳥に舌鼓を打ちながら、過去も未来も忘れて現

実の幻想に酔い痴れた。

                  (つづく)


「明けない夜」 (九)―⑤

2017-08-23 21:12:21 | 「明けない夜」9~⑩

          「明けない夜」

            (九)―⑤

「世界限界論からの生き方ってどんな生き方?」

私は、何故そんなことを話してしまったのか酔ってしまってまったく

覚えがなかったが、持論を熱く語っているうちに次第に酔いが醒めて

きて、上辺だけの付き合いでしかない会社の人間にいわゆる思想を語

ってしまったことに後悔した。そして席を立ってトイレに逃げ込んだ

が戻ってくると吉崎さんが改めて聞いてきたので少し自分自身を取り

戻した私は簡単に説明した。

「それは、地球環境にしろ人口爆発にしろそれどころか産業を生むエ

ネルギー資源にしたってグローバル経済の下ですでに限界に達してい

るでしょ」

「うん」

「だから近代文明とは逆行した生き方、敢えて言えば自然に還ろうと

と思っています」

「じゃあ地元へ帰って農業でもするの?」

「どうするか今考えているところです。地元へ帰ってもうちは非農家

なんで」

「どこだっけ地元?」

「三重県です」

「でもさ、自然に還ったからといっても社会と係わっている限りは近

代文明からは遁れられないよ」

「たぶんそうでしょうね」

「おれ、北海道に居たからよく判るんだけど、実際地方じゃ車のない

生活なんて考えられないもん」

「僕は何も近代文明すべてを否定するつもりはありません。車がない

と生活できなければ別に車があったってかまわない。ただ、もう少し

シンプルに生きたい」

「シンプルねえ」

「今の自分は社会の中でただ生かされているだけで自分の考えで生き

ているという実感がまるでない」

「東京で暮らしている限りそうだよ。もしも北海道でいいなら農業を

やってる知り合いが居るから紹介してやってもいいが」

「ありがとうございます。実は何度か新規就農支援の相談会に足を運

んで、震災のあった東北へ行こうと思っています」

                        (つづく)


「明けない夜」 (九)―⑥ 

2017-08-23 21:10:53 | 「明けない夜」9~⑩

         「明けない夜」

           (九)―⑥ 


「だけどそれじゃあ近代以前の貧しい時代へ戻るだけじゃないか」

「確かに近代文明を棄てれば前近代しかないけれど、だけど近代化へ

向かうしかなかった前近代とは全然違う」

「何が違う?」

「まず意識が違う。つまり世界限界を意識した者とそうでない者と」

「だけど意識が変わっただけで世界が変わるかな?」

「少なくとも意識を変えなければ何も変わらない。たとえば、クロマ

グロが絶滅すればいくらクロマグロの刺身が食べたいと思っても絶対

に食べることはできないように、生存環境が破壊されればどれほど近

代的な生活を望んでも生存そのものが危ぶまれる。クロマグロを食べ

続けるためにはまずクロマグロを食べないことしかない」

「それってジレンマだね」

「そうです、世界限界論は様々な文明のジレンマを生みます。いや、

そもそも内在していた根源的な矛盾が限界に達して転化できなくなっ

ただけなんですけど、たとえば破壊が新たな成長をもたらすだとか、

平和を守るために戦わなければならいだとか」

「なるほど」

「でも、絶滅によってクロマグロが食べられないことと絶滅させない

ために食べないことは同じじゃないでしょ」

「おれさ、クロマグロは食べられなくたって平気だけど、実はいま禁

煙している最中で、ほら、カウンターの中で旨そうにタバコを吸って

いる親父を見ていると、酒の所為もあって何とかして一本だけでも恵

んでもらえまいかという誘惑と闘っているんだけれど、禁煙だけでも

そんなに苦しまなければならないのに、果たして近代人が近代文明を

棄てるなんてできるわけないじゃないか」

「じゃあなぜ禁煙しようと思ったのですか?」

「健康のために決まっているじゃないか」

「ぼくが言っているのはまさにそれなんです。生存環境を損ねてまで

欲望を優先するのかということです。すでに今の日本人の消費生活を

世界中の人々が享受するとすれば地球が二つ以上なければ賄えないと

言われています。つまり日本の豊かさとは途上国の貧困によって支え

られていた。ところが、世界経済のグローバル化によって世界中が近

代化を目指し始めた。地球は一つしかないのに二つ分以上の豊かさを

求め始めた。すると日本の豊かさが賄い切れなくなることは必然で、

それどころか豊かさを奪い合う争いはすでに世界各地で起こり始めて

いるじゃないですか」

「まるで君はこう言ってるようじゃないか、『近代文明はアヘンだ』って」

「・・・」

 傍目にはまったく噛み合っていない会話だったが酔っ払ってる二人

はそんなことはまったく意に介さなかった。すでに私も誰に話してい

るのかなどということはどうでもよくって腹の中に溜まっていた思い

を吐き出す解放感に気が緩んだ。そして吐き出すと同時に酒を呷った

ので、すでに醒めてしまった自分と陶酔へと堕ちる自分が錯綜して意

識はもっぱら二人の自分の折合いを図ることで精一杯だった。

「囲碁というゲームがあるでしょ。あれは碁盤に碁石が埋まって勝敗

が決すれば終局なんだけど、ところが世界というゲームには終局がな

い。歴史が終わっても世界は終わらない。盤上が石で埋めつくされたっ

て終局にはならない。そしてついには相手の石を自分の石に変えようと

する」

「それじゃあまるでオセロゲームだ」

「んんーっ、ちょっと違うけど」

コイツ、じゃなかった吉崎さんのズレた応答にも敢えて拘ろうとは思

わなかった。

「仮に今後日本がアメリカの51番目の州になったとしても、或は中

国共産党に熱烈歓迎されて日本人民共和国という国名に変ったとして

も、もしお望みなら民主主義という肩書を入れたって構わないけど、つ

まり、盤上の石がすべて白か黒かに変わったとしても、終局は勝敗に

よって決するのではなく、盤上を埋め尽くした石によってすでに近代と

いうゲームは終わっているんだ」

                   (つづく)