「依存と自立」②

2018-03-25 19:09:05 | 従って、本来の「ブログ」

         「依存と自立」②


 話は横道に逸れましたが、始めにも記したようにすべての生命体

は外部(自然環境)に「依存」して生命を維持しています。外部に「

依存」せずに生きることは到底できません。たとえば、「依存症」

という症状が認められていますが、物質依存症であるアルコール依

存症や薬物依存症、或は行為・過程依存症であるギャンブル依存症

やゲーム依存症など、もっと広く捉えれば趣味に没頭することから

ワ―カホリック、生き甲斐などもそうかもしれませんが、そのよう

な外部との関係依存から抜け出せないことまでも数え上げれば、生

きることとはまさに「依存」することに他ならないのです。もっと

も分りやすいのは恋愛かもしれません。愛して已まない異性への感

情的な「依存」を拒まれたら生きていることさえ嫌になります。「

依存」から脱け出すことは大袈裟に言えば生きることを諦めるほど

の決意が求められるのかもかもしれません。つまり、生きることと

は何かに「依存」することなのです。だとすれば、「依存」は本能

的な欲求なのかもしれません。ではいったい「自立」とは何でしょ

うか?上にも書いたように「依存」には常習性のある嗜癖や好まし

からざる関係依存のように「依存」が過ぎれば生きることを妨げる

ことさえあります。「自立」はそのような好ましからざる依存から

脱け出すための理性的な判断ではないでしょうか?

 ここでもう一度横道へ戻ると、「森友問題」で公文書改ざんに関

わったと思われる財務省近畿財務局の職員はあろうことか自殺して

しまいました。彼が改ざんにどこまで関与していたのか不明ですが

、ただ彼が自分で勝手にやったことではないことだけは確かだと思

います。組織に「依存」せざるをえない公務員にとって、上司から

の不当な指示に従うべきか、或は「自立」した判断によってキッパ

リ「汚い仕事」を拒むべきか、しかし拒めば組織への「依存」を失

うことは確実で、終身雇用の下でそう簡単に辞めることができない

となれば選択肢は限られる。たとえば、アメリカのトランプ政権の

下で、自分の信条を曲げないブレーンの多くが「自立」した考えを

貫いていとも簡単に辞任するのを見れば、それは図らずもトランプ

大統領のガバナンス能力を有権者に垣間見せてくれる明解さがある

が、一方、役所組織の関係依存に縛られて「自立」できない日本の

タコツボ社会の在り方に何かやりきれなさを感じる。そしてそれが

責任の所在すら曖昧で、誰かがお偉いお方のお心を「忖度」した結

果だとしたら、確かにそれはどこの国も真似できない日本独自の文

化であることに間違いない。

                       (つづく)