「同じものの永遠なる回帰の思想」③ 『力への意志』―②

2018-04-30 03:51:14 | 従って、本来の「ブログ」

       「同じものの永遠なる回帰の思想」③


           『力への意志』―②


 「力への意志」と聞いて誰もがすぐに思い描くのは「強さへの憧

れ」だろうが、どうもそう単純ではないらしい。「力」や「意志」

という言葉は日常社会でも頻繁に使われるが、形而上学で用いられ

る意味はもっと複雑である。ハイデッガーはこの「力への意志」に

ついて延々と分析して説明するが、ここではそれを逐一取り上げよ

うとは思わないが、「私なり」に言うと、存在者の本質とは「力へ

の意志」なのだ。無垢の人間が成長して「意志」が芽生えるのでは

なく、存在者の存在が「意志」なのだ。ニーチェにとって「意志は

力への意志にほかならず、力とは意志の本質にほかならないからで

ある。そうすると、力への意志とは意志への意志であり、すなわち

意志するということは自分自身を意志することなのである。」そし

てハイデッガーは二つの例を上げて、「通俗の見方によれば、意志

は心の能力のひとつとみなされている。意志が何であるかは、心の

本質によって規定され、そして心については心理学が取り扱うこと

になっている。心とは、身体や精神から区別される或る特殊な存在

者である。ところがニーチェにとって、意志はあらゆる存在者の存

在を規定しているのであるから、意志がなにか或る心的なものであ

るというのではなくて、逆に心の方がなにか或る意志的なのもであ

る。しかしまた、身体や精神も、そのようなものが《存在する》か

ぎり、やはり意志である。」また、「意志は一種の原因とみなされ

ている。この人物は知性よりも意志によって大事をなす、という言

い方がある。意志は何かを生みだし、或る成果を作りだす。しかし

ながら、原因であるということは、或る特殊な存在形態であるから

、これによって存在としての存在を把握することはことはできない

。意志は作り出す働きではない。普通に作用原因としてうけとられ

るもの――あの原因的能力――そのもが、実は意志にもとづいてい

るのである」つまり「能力の本質そのものが、意志の本質にもとづ

くものだからである。」能力とは意志の手段にすぎない。さらにニ

ーチェは、「意志は《情緒》である、意志は《情熱》である、意志

は《感情》である、意志は《命令》である、と述べている。」そし

て「私の理論によれば、『力への意志』(傍点)とは原始的な情動形

式であり、ほかのすべての情動はそれの発達形態にすぎない」とさ

え述べている。そして、それら《情緒》《情熱》《感情》そして《

命令》などの情動がもっとも「見透しやすい」のが「《芸術家》と

いう現象」だと言うのだ。

 では、「新しい価値定立の原理を確立する課題にとって、なにゆ

えに芸術が決定的意義をもつのか。」       (つづく)