「同じものの永遠なる回帰の思想」④

2018-06-01 00:30:52 | 従って、本来の「ブログ」

      「同じものの永遠なる回帰の思想」④


       同じものの永遠なる回帰の思想


 ニーチェの回帰思想をハイデッガーが分り易く解説しています。

「力の普遍的性格からして、世界とその生成の有限性(完結性)が帰

結する。生成の有限性に則って考えると、世界の生成が終わりなき

ところへ果てしなく経過し去るということは不可能である。したが

って、世界の生成はまた元へ立ち帰ってくる経過でなければならな

い。

 ところが、世界の生成は、現実的時間の中で――すなわち前向き

にも後向きにも終わりのない(無限な)時間の中で――経過する。こ

のような無限な時間の中で経過する有限な生成は、平衡と静止の状

態としての均衡状態にいつか到達しうるものだとすれば、すでにず

っと以前にそこに到達していたはずである。なぜなら、存在者の可

能性は数の上でも様式の上でも有限なものであるから、これらの可

能性は無限な時間の中では必然的に汲み尽されるはずであり、すで

に汲み尽されていたはずだからである。しかるに、このような静止

状態としての均衡状態は現存していないのであるから、それはかつ

て到達したこともなく、したがってここでは、それはそもそも存立

しえないのである。それゆえに世界の生成は、有限にしてかつ元に

帰り来る経過として、『不断の生成』(傍点)であり、すなわち永遠

である。だが、この世界の生成は無限な時間の中での有限な生成と

して不断に生起するものであり、それの有限な可能性が汲み尽され

たあとでも終熄することはないのであるから、その時以来、この生

成はすでに反復されてきた、――否、無限回も反復されてきたはず

であり、そして不断の生成たるかぎり、将来においても同じように

反復されるにちがいない。さて世界全体はその生成形態においては

有限でありながら、われわれにとっては実際上測りつくせぬもので

あるから、世界全体の全体的性格の変容可能性も、あくまで有限で

ありながら、われわれにとっては見渡し尽せず、したがってたえず

新しくみえ、それゆえに常に無限なものという観を帯びて現われる

のである。そして、数的には有限個である個々の生成過程の間の作

用連関は完結的な連関であるから、いかなる生成過程も後向きには

すべての過去を後に引いてくるし、あるいは前向きに作用すれば、

それらの過去を自分の前に押し出して進まざるをえない。というこ

とには、いかなる生成過程も、いつかまた自分自身を連れ帰ってく

るはずだということが含まれている。この過程も他のいかなる過程

も、同じものとして回帰するのである。世界的生成の全体の永遠な

る回帰は、同じものの回帰であらざるをえない。

 同じものの回帰が不可能になるとすれば、それはこの回帰がとに

かく回避されうるときだけであろう。それが回避されるためには、

世界全体が同じものの回帰を拒むということが前提条件になるであ

ろう。そしてこのことは、そうしようとする先廻り的な意図と、こ

れに応ずる目標設定とを含意するであろう。それはすなわち、――

無限な時間の中での生成の有限性と不断性にもとづいて本来なら不

可避的な《同じものの永遠なる回帰》を、どうあっても回避しよう

とする終局目標を設定するということであろう。ところが、このよ

うな『目標』(傍点)設定を前提することは、必然性の混沌としての

世界全体の『根本体制にもとる』(傍点)ことである。してみれば、

残るところは、すでに必然的帰結として判明したことだけである。

すなわち、必然性の永遠なる混沌としての世界全体の生成性格――

それはここでは、とりもなおさず存在性格であるが――は、同じも

のの永遠なる回帰でしかありえないのである。」

                        (つづく)