「あほリズム」(417)

2018-06-11 03:51:14 | アフォリズム(箴言)ではありません

             「あほリズム」

 

               (417)

 

    猫の手を 借りて 仕事が 捗(はかど)らず    ケケロ

  

 「ゴンちゃん、ネコの動画がもっと見たいんだったら、

  早くマウスの扱いかた覚えてね。ネズミじゃないよ、マウスだよ」


「同じものの永遠なる回帰の思想」⑤

2018-06-11 03:18:05 | 従って、本来の「ブログ」

     「同じものの永遠なる回帰の思想」⑤

 

       同じものの永遠なる回帰の思想(2)

 ニーチェが回帰思想についてはじめて言及しているのは「悦ばし

き学問」の中で、それは次の通りである。

「『最大の重し』(傍点)――或る日また或る夜、ひとりのデーモン

が汝のもっとも深い孤独の中へ忍びこんできて、汝にこう告げると

したらどうであろうか。〈汝が現に生きており、今まで生きてきた

ようなこの生を、汝はもう一度、そして無限回も生きなくてはなら

ないであろう。そしてそこには何の新しいこともなく、いかなる苦

痛、いかなる快楽、いかなる思想も嘆息も、汝の生の大につけ小に

つけ言いがたいすべてのものが、汝に回帰し、それもすべて同一の

順序系列で回帰し――同様にこの蜘蛛とこのじゅ樹々の間の月光も

、同様にこの瞬間と私自身も回帰しなくてはならない。現実存在の

永遠の砂時計は、くりかえしくりかえし反転され――そしてそれと

ともに汝も、塵の中の塵よ〉と。そのとき、汝はひれ伏して歯ぎし

りし、こう告げるデーモンを呪うのではないか。それとも汝は、〈

お前は神だ。私はこれほど神的な言葉を聞いたことがない〉と彼に

答えるような途方もない瞬間を、かつて経験したことがあるだろう

か。もしもあの思想が汝に襲ってくるとしたら、それは現にあるよ

うな汝を一変させ、おそらくは押しつぶしてしまうであろう。何事

につけ、〈汝はこれをもう一度、そして無限回も重ねてする意志が

あるか〉と問うことは、汝の行動の上に最大の重しとなって横たわ

るであろう。それとも、この究極の永遠な確認と封印によりほかに

は『もはや何ものも望まぬ』(傍点)と言い切ることができるために

は、汝は自分自身と生とにどれほどの好意を抱かなければならない

ことか――」

 存在者の――「存在者」とは存在する全てのことである(ケケロ)

――本質存在は「力への意志」であり、その事実存在とは「同じも

のの永遠なる回帰」である。そして「力への意志」と「同じものの

永遠なる回帰」は繋がっていて分かつことはできない。つまり、存

在者の存在が「力への意志」である限り、「同じものの永遠なる回

帰」は必然なのだ。その説明は前回にハイデッガーの言葉を引用し

て記したのでここでは繰り返さないが、ニーチェ哲学の「力への意

志」と「同じものの永遠なる回帰」についての感想を述べたいと思

う。

 「今まで生きてきたようなこの生を、汝はもう一度、そして無限

回も生きなくてはならないであろう。そしてそこには何の新しいこ

ともなく、いかなる苦痛、いかなる快楽、いかなる思想も嘆息も、

汝の生の大につけ小につけ言いがたいすべてのものが、汝に回帰」

するとすれば、当然イデアの世界(神の世界)などというのは妄想で

あり、畢竟ニヒリズムに陥らざるを得ない。つまり回帰思想とはニ

ヒリズムに他ならない。しかし、そのニヒリズムから脱け出すには

「自分自身と生とにどれほどの好意を抱かなければならないことか」

とニーチェは言います。つまり「同じものの永遠なる回帰」がもた

らすニヒリズムから脱け出すには「力への意志」によって自らを超

えなければならないと言うのです。

 ニーチェは回帰思想を再び著作「ツァラトゥストラはかく語りき」

の「幻影と謎」の中で比喩的に叙述している。過去へ続く永遠なる

道と未来へと続く永遠なる道は「瞬間」という城門の前で二つに分

かれている。しかし、永遠に相隔たっている道の結び目はこの「瞬

間」においてである。ハイデッガーの読み説きから「将来において

何かが起こるのはまさに(この瞬間の)決断に懸っているのであり、

回帰の輪はどこか無限の彼方で結ばれているのではなく、輪が切れ

目のない連結をとげるのは、相克の中心としてのこの瞬間において

なのである。回帰において何が回帰するのかは、この瞬間によって

――そして瞬間の中で拮抗し合うものを掌握する力によって――決

せられる。永遠回帰の教えにおけるもっとも重い本来的なものは、

まさに『永遠は瞬間にあり』(傍点)ということであり、瞬間ははか

ない今とか、傍観者の目の前を疾駆する刹那とかではなく、将来と

過去との衝突である。この衝突において、瞬間は本当の瞬間になる

。それは、すべてが如何に回帰するかを規定するものになるのであ

る。」今この瞬間をどう生きるかによってニヒリズムの円環から脱

け出すことができると言うのだ。

                         (つづく)