「同じものの永遠なる回帰の思想」⑥-5
ハイデッガー著「ニーチェ」ⅠⅡを読んで-5
どうしても正確に記そうとすると引用ばかりになってしまって、
つまり理解できていないからですが、ただそれほど一つ一つの言葉
が捨て難いのですが、ここはザックリと私の理解が届くまでの説明
をすることにします。
ニーチェ=ハイデガーは、これは何度も記しましたが、いわゆる
「形而上学」とは、存在者の本質を思惟する学問で、本質を問うと
いうことは、存在を事実存在と本質存在に二分すること(二世界論
――あの世とこの世) に他ならない、と言います。そして、やがて
まちがいなく消滅する事実存在は忘れ去られます。ニーチェは、そ
のような形而上学的(Meta-physical) な世界観(プラト二ズム)を否
定して、「存在者の存在とは『力への意志』である」と断じます。
当然、存在者の存在が「力への意志」であるとすれば、つまり、存
在の本質が「力への意志」であるとすれば、真なる世界(本質存在)
と仮象の世界(事実存在)という「二世界論」は成り立ちません。
「力への意志」とはこれも前に記しましたが、自分を超え出る昂
揚であり、生成変化する存在であり、それは混沌である。ところが
二世界論が規定する命題は本質存在の固定化(永遠なる存在)にほか
ならないので、それは生成変化する存在者を把握することができな
い。ニーチェの「力への意志」の思想とは、プラトン・アリストテ
レスから始まり、キリスト教世界観へと続く西欧形而上学の終焉に
ほかならない。
長い間考えてたったこれだけ(つづく)