「同じものの永遠なる回帰の思想」⑥-5

2018-08-05 08:09:39 | 従って、本来の「ブログ」

    「同じものの永遠なる回帰の思想」⑥-5


     ハイデッガー著「ニーチェ」ⅠⅡを読んで-5


 どうしても正確に記そうとすると引用ばかりになってしまって、

つまり理解できていないからですが、ただそれほど一つ一つの言葉

が捨て難いのですが、ここはザックリと私の理解が届くまでの説明

をすることにします。

 ニーチェ=ハイデガーは、これは何度も記しましたが、いわゆる

「形而上学」とは、存在者の本質を思惟する学問で、本質を問うと

いうことは、存在を事実存在と本質存在に二分すること(二世界論

――あの世とこの世) に他ならない、と言います。そして、やがて

まちがいなく消滅する事実存在は忘れ去られます。ニーチェは、そ

のような形而上学的(Meta-physical) な世界観(プラト二ズム)を否

定して、「存在者の存在とは『力への意志』である」と断じます。

当然、存在者の存在が「力への意志」であるとすれば、つまり、存

在の本質が「力への意志」であるとすれば、真なる世界(本質存在)

と仮象の世界(事実存在)という「二世界論」は成り立ちません。

 「力への意志」とはこれも前に記しましたが、自分を超え出る昂

揚であり、生成変化する存在であり、それは混沌である。ところが

二世界論が規定する命題は本質存在の固定化(永遠なる存在)にほか

ならないので、それは生成変化する存在者を把握することができな

い。ニーチェの「力への意志」の思想とは、プラトン・アリストテ

レスから始まり、キリスト教世界観へと続く西欧形而上学の終焉に

ほかならない。

 

              長い間考えてたったこれだけ(つづく)