「あほリズム」(471)~(474)

2019-01-29 05:24:29 | アフォリズム(箴言)ではありません

           「あほリズム」

 

            (471) 

 儒教の根本思想とは何かと言えば、

 「お前は許されないが、俺は許される」

 という身分道徳である。かつて福沢諭吉はその「儒魂」を

 「腐儒の腐説」と痛罵して蔑んだ。

 

             (472) 

  こう云っちゃあ何だが、頭の上に何かを戴かなければ

  心許ないというのであれば、我々もそれほど違っちゃいない。

  つまり、先人への「礼」を重んじる「儒魂」社会である。

 

             (473) 

 たとえば、統計不正問題が大したことじゃないと言うなら、

どんな目標だって達成できちゃう。それじゃあ中国や、韓国もバカ

にできない。やってることは同じなんだから。つまり、彼らの不正

は許されないが、我々の不正は「たいしたことではない」とすれば、

これこそが福沢諭吉が「腐儒の腐説」と蔑んだ「儒魂」にほかなら

ない。たとえば、過去の侵略行為を我々は「たいしたことではない」

と思っていないだろうか。つまり、彼らの不正な言掛りは許されな

いが我々の不正は「たいしたことではない」と思っていないだろうか?

 つまり「お前たちは許されないが、我々は許される」と思っていな

いだろうか?もしそうだとすれば、我々のメンタルは彼らとそれほど

かけ離れてはいない。

 

              (474)

 彼らが祖国統一を悲願する時、過去に分断の原因をもたらしたわが国

による侵略への恨みが蘇えることは避けられないことだと思う。殴った

方は忘れようとするが、殴られた方は決して忘れない。作家 司馬遼太郎

は今後2000年は恨まれると言った。