「あほリズム」
(471)
儒教の根本思想とは何かと言えば、
「お前は許されないが、俺は許される」
という身分道徳である。かつて福沢諭吉はその「儒魂」を
「腐儒の腐説」と痛罵して蔑んだ。
(472)
こう云っちゃあ何だが、頭の上に何かを戴かなければ
心許ないというのであれば、我々もそれほど違っちゃいない。
つまり、先人への「礼」を重んじる「儒魂」社会である。
(473)
たとえば、統計不正問題が大したことじゃないと言うなら、
どんな目標だって達成できちゃう。それじゃあ中国や、韓国もバカ
にできない。やってることは同じなんだから。つまり、彼らの不正
は許されないが、我々の不正は「たいしたことではない」とすれば、
これこそが福沢諭吉が「腐儒の腐説」と蔑んだ「儒魂」にほかなら
ない。たとえば、過去の侵略行為を我々は「たいしたことではない」
と思っていないだろうか。つまり、彼らの不正な言掛りは許されな
いが我々の不正は「たいしたことではない」と思っていないだろうか?
つまり「お前たちは許されないが、我々は許される」と思っていな
いだろうか?もしそうだとすれば、我々のメンタルは彼らとそれほど
かけ離れてはいない。
(474)
彼らが祖国統一を悲願する時、過去に分断の原因をもたらしたわが国
による侵略への恨みが蘇えることは避けられないことだと思う。殴った
方は忘れようとするが、殴られた方は決して忘れない。作家 司馬遼太郎
は今後2000年は恨まれると言った。