「自然に回帰しよう!」
(5)
娘が科学物質過敏症という病気を発症してから、私はその病気の専門の
病院を捜して診てもらったり、また、科学物質の曝露から娘を守るために
妻の実家に預けたりと、仕事をそっちのけで駆けずり回った。そもそも私は
都内の役所の近くで小さな居酒屋を営んでいたが、その店はすでに他界した
親父が屋台から始めた店で、わたしが勤めていた会社が倒産した時に仕方な
く手伝ているうちに後を継ぐようになった。おふくろは主に接客をしていた
が、それもわたしが結婚してからは妻に任せるようになった。ただ、経営は
昨今の若者達に見られる飲酒離れや大勢で集まる飲み会の減少などによって
年々売り上げは先細りだった。そんな折も折、中国で発生した新型コロナウ
イルスが世界中をパンデミックの恐怖に陥れ、間もなく日本でもクラスター
が発生して、役所は大人数、長時間におよぶ飲食は慎むようにと通達したの
で客足は途絶えた。さらに、エネルギー価格の高騰によって全ての原材料費
が高騰して値上げしなければならなくなると営業中も客が一人も居ない時間
が多くなった。
(つづく)