「技術と芸術」 (3)

2020-02-03 13:36:00 | 従って、本来の「ブログ」

               「技術と芸術」


            (3)


 そもそも「精神」とは何であるか?と問えば、goo 辞書によれば、

「①人間のこころ。また、その知的な働き。②物質に対し、人間を含

む生命一般の原理とみなされた霊魂。たましい。③物事をなしとげよ

うとする心の働き。気力。」などとその広範な意味は捉えどころがな

いが、それではすべての存在者に精神があるかと言えば、「②物質に

対し、人間を含む生命一般の原理とみなされた霊魂」、もちろん生物

にのみ宿るものであり、そして、「物事をなしとげようとする心の働

き。気力。」だと言う。この解説を読んでニーチェリアンの私は忽ち

「精神」とは「力への意志」だと思ったので、実際、ニーチェは「身

体や精神もそのようなものが《存在する》限り、やはり意志である」

と言っている。これは前にも記したことがありますが、世界とは「力

への意志」であると言う時、我々自身が「力への意志」を発揮してい

るのではなく、世界そのもののすべてが「力への意志」であり、我々

はただその中に在るだけで、逆に言うと意志の発揮を拒むことさえも

「力への意志」であるのだ。ハイデガーはこの著書の中で、何処にで

も転がっている「石」でさえも力への「意志」であると確か記してい

て、これは原書では洒落にはならないはずだから、たぶん監訳した細

谷貞雄氏が遊び心で訳したのではないかと思った。ところで、「意志」

と言えばショウペンハウアーを語らずに済ますことはできないが、そ

して、ニーチェ自身も彼の主著「意志と表象としての世界」に多大の

影響を受けたことは広く知られているが、ショウペンハウアーによる

と「意志は人間や動物だけでなく、植物、さらに岩や惑星などの無機

物など全てのものにいわば内在している。」[ウィキペディア「意志」

『哲学における意志』]と言い、ただ、彼の説く「意志」とは彼の思

想の根幹をなす独自の意味があるので、それに実はまったく読んだこ

とがなかったのでここではただ通り過ぎるが、たぶん「力への意志」

を読み解くにはショウペンハウアーを避けて通れないと知った。

                          (つづく)


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