「技術と芸術」
(3)
そもそも「精神」とは何であるか?と問えば、goo 辞書によれば、
「①人間のこころ。また、その知的な働き。②物質に対し、人間を含
む生命一般の原理とみなされた霊魂。たましい。③物事をなしとげよ
うとする心の働き。気力。」などとその広範な意味は捉えどころがな
いが、それではすべての存在者に精神があるかと言えば、「②物質に
対し、人間を含む生命一般の原理とみなされた霊魂」、もちろん生物
にのみ宿るものであり、そして、「物事をなしとげようとする心の働
き。気力。」だと言う。この解説を読んでニーチェリアンの私は忽ち
「精神」とは「力への意志」だと思ったので、実際、ニーチェは「身
体や精神もそのようなものが《存在する》限り、やはり意志である」
と言っている。これは前にも記したことがありますが、世界とは「力
への意志」であると言う時、我々自身が「力への意志」を発揮してい
るのではなく、世界そのもののすべてが「力への意志」であり、我々
はただその中に在るだけで、逆に言うと意志の発揮を拒むことさえも
「力への意志」であるのだ。ハイデガーはこの著書の中で、何処にで
も転がっている「石」でさえも力への「意志」であると確か記してい
て、これは原書では洒落にはならないはずだから、たぶん監訳した細
谷貞雄氏が遊び心で訳したのではないかと思った。ところで、「意志」
と言えばショウペンハウアーを語らずに済ますことはできないが、そ
して、ニーチェ自身も彼の主著「意志と表象としての世界」に多大の
影響を受けたことは広く知られているが、ショウペンハウアーによる
と「意志は人間や動物だけでなく、植物、さらに岩や惑星などの無機
物など全てのものにいわば内在している。」[ウィキペディア「意志」
『哲学における意志』]と言い、ただ、彼の説く「意志」とは彼の思
想の根幹をなす独自の意味があるので、それに実はまったく読んだこ
とがなかったのでここではただ通り過ぎるが、たぶん「力への意志」
を読み解くにはショウペンハウアーを避けて通れないと知った。
(つづく)
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