遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

惜別の歌

2020-08-30 16:33:35 | 日記

令和2年8月30日(日)

惜別の唄

シンガーソングライターの合田道人さんの著書「童謡の風景」

の、夏の歌の中に「惜別の唄」が在る。

この唄は、島崎藤村の詩集「若菜宗」の中にある「高桜」

(たかどの)の中の一節に曲を付けたものである。

初めは戦場に向かう少年同士の友愛の歌として作られていた。

作曲の藤江英輔(当時、中央大学本学予科の学生)は太平洋

戦争中、学徒動員で陸軍造兵廠の軍需工場に入った。

友の元に届く召集令状。 「先に行っていてくれ」と、友へ

のはなむけとして、藤村の詩集「若菜集」の高桜(たかどの)

の一節に曲を付けた。

藤村の詩には、「わが姉よ」となっていたが、藤江は戦友を

送る歌として「わが友よ」と、心をこめて歌ったのだ。

藤江も航空隊に送られたが程なく敗戦、この歌は忘れ去られ

た。 ところが戦場へ行くことなく終戦を迎えた学生、工場

へ勤めていた女学生等が、悲しい思い出のこの唄を、歌い継

いだ。 戦後も十五年ほど経った1961年(昭和36年)

折からの「うたごえ喫茶」ブームで取り上げられ、愛唱歌と

して広まった。(  合田道人著:童謡の風景より引用)

私(ヤギ爺)も東京オリンピックの頃4年程、東京で寮生活

をして居た。寮の先輩に誘われ、新宿や渋谷にあった「灯」

「カチューシャ」「牧場」等の歌声喫茶に通った事が在る。

そんな頃にこの唄を耳にした。

歌声喫茶ブームのころ

 

惜別の唄(中央大学学生歌)

作詞 : 島崎 藤村、作曲 : 藤江 英輔

1) 遠き別れに たえかねて

   この高殿に のぼるかな

   悲しむなかれ わが友よ

   旅の衣を ととのえよ

2) 別れと言えば 昔より

   この人の世の 常ならむ

   流るる水を 眺むれば

   夢恥ずかしき 涙かな

3) 君がさやけき 瞳(め)の色も

   君紅(くれない)の 唇も

   君が緑の 黒髪も

   またいつか見ん この別れ

 

惜別の唄は、昭和19年に中央大学本学予科生であった

藤江英輔氏が軍需工場で勤労動員中に、召集令状により

戦地に征く学友へ惜別の情を込めて、島崎藤村の詩の

「高桜」(たかどの)に曲を付けた。

戦争末期の世情の中で、秘かに友の無事を願う哀惜の

メロデイは、口伝で広まり送別の歌となる。

戦後に島崎藤村のご遺族からのご了承を得て、中央大学

グリークラブがレコ―デイングし、収録された。

現在も卒業式などに、学生歌として歌い継がれている。

 

今の歌声喫茶、

 

今日の1句

自堕落に一日過ごす猛暑の日     ヤギ爺



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