昨夜のこと。Sくんがふと口にした『バイト止めても(地方と違って)東京にはいくらでも仕事がありますからね~』と言う話題。実はこれは結構重要なことなのだ
昔ZUYAはある兄弟のバンドのローディをしていた時があった。元々はDrのS井S介氏のローディだったのだがなぜかいつの間にやら“楽器全般”になっていた。この時期は今考えても全くわけのわからない時期でZUYA自身は全く演奏しないでひたすらローディばかりしていた(笑)
まぁ一生懸命やってたおかげでZUYAにも 『 プチ・ファンクラブ 』 ができるおまけもあったが...(笑)
その時裏方の親分Kさんがいて(と言っても裏方はZUYAとその人2人だけであったが...)、会話の中で昨日と同じ話題が出た、『 東京は仕事が多いから何かしら食べていけ
る 』 と
音楽を含む芸術を始め多くの人間が夢を抱き東京にやってくる。そしてその夢が破れてしまう(諦めてしまう)のもまた東京であり、“恐ろしい”部分でもある。どういうことかと言うと多くの人たちは東京に出てきても直ぐに“その道”で食べて行くことが出来ず、空いてる時間を必死にアルバイトなりするわけだ。このアルバイトには本当に東京は困らない。いざとなれば水商売も数限りなくある
なかなか芽が出ず辛くなり自分の夢をかなえることに困難を感じた時、周りをふと見渡すと 『 あれ!?こんなに苦労しなくても他にいくらでも仕事はあるのだから... 』 と、バイト先にそのまま就職したり、家庭を持ち“一般的な生活”へ変わっていくのである。もちろんそれは悪いことではなくその人たちの道、運命であるのだから何人(なんびと)たりとも悪く言うことはできない(何やら物々しい表現だが...)。実際ZUYA自身も東京に来て音楽を続けるために何十業種もの仕事をしてきたが、大抵のところで社員になることを勧められ、その都度それを断ってきた(中には恐ろしく条件の良いものもあった)
一度ある人に言われたことがある。その人はZUYAが某銀行の社員食堂で働いていた時の店長なのだが 『 お前みたいな馬鹿は見たことがない。いくらでも楽に簡単に生きれる方法をお前は知っているしそれができるのに、あえて荒波どころか“一寸先は闇”の道を行くなんてなぁ。でもそれがお前らしさでもあるし俺がお前の好きなところだよ~ 』 と。この店長は旧東京興業銀行系のレストラン部門の“アウトロー”的な存在だった(笑)
この方とは未だに時々電話で話しをしたりして連絡を取っているがZUYAが(音楽以外の)一般人で唯一尊敬できる男の中の男である。日々の生活につまづいた時にはこの方に言われたことをイロイロと思い出す
そんなことふと考えながら、嫁に出て行かれ独り寂しく近くのベトナム料理店に行きいつもの“ピリ辛”フォーとライスを食べていた5月にしては肌寒い雨の夜のZUYAであった
※もちろん冗談です。嫁は仕事の会議で遅くなるだけです~(笑)
今夜はさほど辛くなかったなぁ。パクチーが最高!!