なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

ボランティア...

2011年03月16日 | Life

被災地でのボランティアの受け入れが所々始まりました


ZUYAは心待ちにしていたので“よっしゃ行くぞ~!”と盛り上がったのですが、よくよく募集要項を読んで見ると 『 ボランティアに来られる方はその期間の現地での食料、宿泊場所等はご自身で確保し責任を持ってください~ 』 と。

確かにそうだな。我々がこちらから行って被災者の人達のご飯や寝場所を分けてもらっていたのでは何をしに行ってるのかわからない

取り合えずもうしばらく待っておこう。何かしら役に立つ時が来るかもしれない


で、今日は今できることをと言うことで嫁が働く障害のある子供達のための学童施設で、交通事情等で人手不足となったので急遽助っ人に行くことに。もちろんボランティアで。子供達は良い。(偏見かもしれないが)障害のある子供達はなおさら良い。目が澄んでいる。あんな自分のことだけ考えて目の色変えて品物を買い占める大人とは大違いだ。そんな感じで久しぶりに半日だが目一杯子供達と遊ぶともう今夜はへとへとである。

この子たちのためにも明るい日本を取り戻さねばと深く心に感じたZUYAでありました


帰り道の西武池袋駅。同じ池袋から埼玉方面へ向かう東武鉄道は都内成増までしか運転しておらず、異常な数の人々が西武線に集まっている。その西武線も小手指までの運転なのだが、始発の池袋ですでに“すし詰め”状態。全列車各駅停車だが次の駅からでも子犬すら乗れないほどだ。みんな大変です


      

さて今夜は冷えます。そして明日は東北地方では雪とのこと...。被災地のみなさん可能な限り暖かくしてお休みください。そして救助を待っておられる方に心からご無事をお祈りしたいと思います。

おいっ!同じ日本人だろ?

2011年03月16日 | Hard time

(そろそろ絵文字も使って明るくしていきます)


人々に恐怖をあおる悪質なチェーンメール。

被災地で泥棒が多いという(いわゆる“火事場泥棒”ですな)。

義援金と銘打った振り込め詐欺。

そして遠く離れた地域での買占め...


嘆かわしい。実に嘆かわしい

こいつら人間なのかと思う



“買占め”に関しては中には善意ある人が被災地に送ってあげようとしている人たちもいるのだが現時点では送る手段もない。これまた“自衛隊の駐屯地へ持って行けば持って行ってくれる”と言ういい加減な情報が出回っているそうだ。

テレビが同じことばかり報道を繰り返している。ZUYAが思うに一つのチャンネルは安否情報、一つのチャンネルは被災地情報、一つの情報は原発情報などのように分担すれば良いのにと。もちろん地域によって放送局の電波受信の問題があるから東京のように色々なチャンネルが観れるわけではないが。もう少し工夫できないものかと。だいたい今“みのも○た”が必要なのか?


それに対してツイッター等のネットがずいぶん活躍している。検索サイト大手グーグルの立ち上げた安否情報に関するシステムは素晴らしい。

しかしこの機を利用し悪用するヤツも多い。義援金を誘いクリックすると出会い系サイトだなんてありえないだろう。とっ捕まえて終身刑にしてもらいたい


原子力発電所に関する情報もいろいろ交錯するが、はっきりしている事実は50名から数百名に至る被爆を覚悟しながら必死に爆発を防ごうとしている作業員がいるということ。停電の中で必死(こんな言葉では表わせられないが...)である。マスコミや遠く離れた人達が文句ばっかりグダグダ言っているが、その作業員達は国民栄誉賞どころかノーベル平和賞ものである。

ところが遠く離れた東京で“やれマスクだ、やれレインコートだ~”なんて本当に嫌になる。実際東京でも福島からと思われる放射線が確認されているがごくごく微量であり年に1回撮るか撮らないかのレントゲン写真以下である。ZUYAは迷わず洗濯物は外に干してやった。“あっ、あそこも干してない。こっちも~”となったらこれまた、風評に一役買うことになる。東京はまだまだ安全。そしてパニックになる必要はないのだ。とにかく正しい情報を得て自分で判断して行動したものだ


ちなみに1980年代に起こったチェルノブイリ原発事故の場合は、当初当時のソ連が技術者が発電所の周りで放射能反応を確認し“自分たちの原発から漏れたのか?”と調べたらそうではなく風に乗って大量の放射能が流れてきていることを知る。それはどこかで核戦争が起こったんだと思わせる程の量であったらしい。

それでソ連も公表せざるを得なくなったわけだ。


被災された方にはお見舞いを申し上げると共に、まだ行方不明の方には何とかご無事であることを切に願います。

また亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げたい。


さぁ幸運にも生きてる我々は今日も出来ること、すべきことをこなそうではないか