なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

実はですね...

2011年03月30日 | Music & Life 

禁煙して、いや“させられて”1週間になります


さすがに嫁の堪忍袋の緒が切れまして...

『 おめぇよ~、毎日稼ぎがねぇのに酒は飲むはタバコは吸うは、結構なご身分だよな~! 』 っ的なことを言われましたので...

さすがに仰る通りなので取り合えずどちらかと言えば止めるのが容易な方のタバコを。たま~に吸いたい気分にもなりますが、何せお金がない


そう言えばまもなく震災の影響でタバコはしばらく工場から出荷停止になるとか。本当に色々な物が影響を受けているんですね。ヨーグルトも牛乳より製造工程に手間がかかると言うことで流通状態が良くないらしい。本当に我々日本人は“あって当たり前の生活”にどっぷり浸ってたことを痛感しますね


      


先日、You Tubeでストーンズの映像を観ていたら久々にロン・ウッド加入後のストーンズが聴きたくなりましたのでCDプレイヤーに。1978年の 『 Some Girls(サム・ガールズ=女たち) 』


Some Girls (Reis)
クリエーター情報なし
Umvd Labels



確かに一般的にストーンズに在籍したキース・リチャーズ以外のギターリスト、ブライアン・ジョーンズとミック・テイラーと比較するとロン・ウッドの評価は低い。まぁしょうがないのだブライアンとミックは才能ではなく天才なのだから。才能と言うモノは努力等によって開花させることが出来るが天才は本当に生まれ備わったモノであるからして。
  
しかしだ、やはりZUYAはロン・ウッドによりギターに目覚めベースから転向したわけでして他の3人よりも好きである。彼がストーンズに加わったことでよりロックらしい“ノリ”が出たと思う。そのロンも本作ではフェイセズ時代によく披露したペダルスティールを再び弾いている。ブライアンには及ばないがロンも結構いろいろな楽器を弾きこなすことが出来る。


ZUYAが好きなストーンズ・ナンバーの一曲である 『 Far Away Eyes 』 。ミック・ジャガーはブルース一辺倒ではなく同じルーツ・ミュージックであるカントリーも愛して止まない。

ZUYAはカナダにいた時に色々なバンドでカントリーも演奏した。ブルース・バンドでもカントリーを演奏するバンドが結構あるのだ(日本では考えられないがカントリーは今もなお若者にも人気のジャンルだから...)。昔はZUYAはストーンズのカントリーちっくなナンバーは好きでなかったが、カナダ時代を経て結構好きになった(笑)。だからサム石原とも演奏していた(いる)わけだが...


ZUYAはこの 『 Far Away Eyes 』 の歌詞が最高に好きである。例えば“ラジオで(キリスト教の)説教師が神はあなたのすぐ傍にいつもいますと言っているが、俺はその時20回赤信号を無視して突っ走っていたぜ~”って言うのとか最高にユーモアがある。その映像も見つけたので貼り付けておこう




なんとなく書いてみよう、“ブルースとは...”...

2011年03月30日 | Music

日本でブルースと言うと、なぜか“淡谷のり子みたいなヤツでしょ?”と言ってくる人が多い

これにはちゃんとした“言われ”があるのです。太平洋戦争以前から日本には多くのジャズを始めとしアメリカの音楽が入ってきていた。で、ルイ・ジョーダン等で有名な 『 Saint Louis Blues(セントルイスブルース) 』 が日本のダンスホールでかかるとみんな揚々と踊るのに日本の曲がかかるとなにやらリズムが取りにくいそうだと。そこで日本の歌でもブルースを作ろうと出来たのが、 『 別れのブルース 』(メイド・イン・ジャパンの元祖ブルースと言われる...)、そしてそれを歌ったのが淡谷のり子だったそうな


とにかくブルースと言う音楽は日本では誤解を受けやすい。もちろん英語の歌詞の意味がわからないと言うこともあるが、本来は奴隷で重労働を課せられる苦しみや恋愛における“やるせなさ”等を吐き出しそれを皆で分かち合い共有する。そしてそれだけでなく明日(未来)への希望も乗せて歌うわけだ。つまりは励ましと言うか、復興の歌でもあるのだ


さて、各言うZUYAもブルースに魂を奪われてようやく10数年。音楽を聴き始めギターに触りだした頃は、やはりロック・ミュージックに夢中であった。やがてそれらの楽曲の中にブルージーを感じるモノが現れよくよく聴いて行くと、それらはカバーであったり“パクり”であったり(笑)

“俺はブルースマンになるぞ!”と誓ったのは25歳の時カナダに渡り、Big Dave Mcleanに出逢った時だな。彼はカナダでは指折りのブルースマンでデルタ・ブルース、シカゴ・ブルースに拘り続ける。かと言ってスティーヴィ-・レイヴォーンなどのロックよりなモノから、はたまたジェフ・ベックまで聴いているのだ(ジェフ・ベックのコンサートでも顔を合わせた...)。


ZUYAが大きな影響を受けたミュージシャンの一人に来月奇跡の初来日を果たすジョニー・ウィンターがいる。(“俺は王道は好かないぜ~”とあえて言うわけではないが)ZUYAはエリック・クラプトンなんかよりもブルースを感じるミュージシャンだ。もちろんジョニーを発見したマイク・ブルームフィールドは今ではZUYAの中ではナンバー・1である。

ジョニーはアルビノのである上に異常な細身であるため、その印象は強烈である。デビュー時はブルース・ナンバーを多く演奏したが伝統的なテキサス・ブルースを基にハードなロックンロールまで“Johnny's World”を創り上げていく。ドラッグ中毒に落ちいったりしたが、“ブルース回帰”を果たしマディ・ウォーターズともアルバムやライブで数多く共演・共作する。マディは“俺の義理の息子”とまで呼んだそうだ。


その彼の転機となったアルバムがこれ、『 Nothing But The Blues 』 だ


Nothing But the Blues
クリエーター情報なし
Sbme Special Mkts.