大きな余震はだいぶ収まって来たとは言え、復興への道はまだまだ遠い
なるべく過剰(演出?)と思われる低レベルな報道番組は観ないようにし、必要な情報を最小限得るようにしている。例え1,000時間、現地の悲惨な状況をテレビで観てもZUYAの住む首都圏とは別天地。所詮その苦しみや悲しみを分かち合うことはできない(テレビ局で映像の編集に携わっている人達は“編集前の映像”を何度も観なければならないので凄い精神的ショックらしい...)。
だから“自分が如何にもの凄い確率の中で生きることが出来ているのか”を肝に銘じ、生き残った者の使命として毎日を過ごすべきなのであろう。
昨日目に入った、ある心理学者の意見。
≪ 買えなくなることへの不安が買いだめに走らせている。地震発生後、時間とともに首都圏に住む人々も被害の大きさを知り、 『 もしかすると品物がなくなるかも。備蓄食料を買っておいた方が安心 』 と考えだし、ひと足先に買いだめに急ぐ人を見てさらに、 『 買っておかないと... 』という焦りが生じる。その上実際に店頭で商品が買えなかったり、メディアなどで店頭から商品がなくなっていることを知りその焦りや不安は急激に増大し過剰な買いだめに走らせている。まさに悪循環である。 ≫
さらに同氏は
≪ この買いだめに走る行動は、日本人に強く現れる特徴です。日本人は店頭には物が溢れていることが当然だと思っているので、棚が空っぽになり買いたい物が買えないという事態に敏感に反応してしまい、どれだけメディアで買いだめする必要はないと伝えていても買えなくなることへの不安を払拭できないので買いだめに走ってしまう。 ≫
海外からのメッセージとしてよく目にするのが、 『 Our Thoughts And Prayers Are With You. 』 (私達の想いと祈りはあなたたちに届きますように...)。
全ての人達がそうでは限らないがZUYAが体験した限りでは西洋人は“たてまえ”と言うモノがない。海外からこんな気持ちを伝えられて、国内のしかも日本の中心である首都圏の一部の人達の行動は実に嘆かわしい。ぜひ自省してもらいたいだ
恥ずかしながら(恥ずかしいと思うようになった)ZUYAは結婚前、何年間にも及び自らの考えで自身の家族と音信不通であった。しかし結婚し自分の家族が出来少しずつだが“その大切さ”がわかるようになった。
よく世間には“親が嫌いだ、兄が嫌いだ。死んでしまえば良いんだ~!”なんて言っている“精神的お子ちゃま”がいるが、今回の災害でも多くの方がそうであるように安否がわからなくて何日も待っている間に、心の奥の人間らしさ揺り起こされてそう言う気持ちは無くなってしまうのではないかと。まぁこれは理想論かもしれないが...
昨日は嫁は休日。家にいると何かしら電気を使ってしまうので、お昼ごろからお決まりの散歩に~
駒込から田端を通り谷中へ。根津を通り上野公園。浅草へ抜けてスカイツリーの袂へ。総歩行距離は約9キロと思われる。いったいZUYAは今回の“休暇期間”に入ってから何度根津を訪れたことか。まぁ歩いて30分だからなぁ。しかもこのルートは妙な“緊張感”がないので本当に気楽に歩ける(渋谷や新宿とか違ってね...)。
谷中・根津にて(デビルマンも考えている...)
上野・浅草にて(観光地もひっそりと...)
上野ではやたらと放射能を気にするインド人の店員がいるインド料理店でテイクアウトのカレーを買う。この店員、 『 ウエノはダイジョウブだけど、コマゴメはアブナイヨ~ 』 などとほざいてやがった。あの不味いカレーを頭からかけてやるべきだったかも
スカイツリーを真下から見ていると先日自身のブログでも書いた“バベルの塔”を思い出した。この日本の半分を襲った大地震にもめげず、このタワーは建設続行中...天の怒りを買わねば良いが...
何を目指す?
さて、今朝もBobby“Blue”Blandのアルバムを聴いて脳を活性化させよう。1986年発表の 『 After all 』 と翌87年発表の 『 Blues You Can Use 』
Malaco(マラコ)時代を聴きもしないで否定する輩が多い。ボビー・ブランドはいつまでも最高だよ~
After All | |
クリエーター情報なし | |
Malaco Records |
Blues You Can Use | |
クリエーター情報なし | |
Malaco Records |