なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

What's Happen? (=およよ...?)

2011年02月16日 | Music & Life 

先日まだ58歳の若さで亡くなったゲイリー・ムーア。このタイミングで何かアルバムを買おうと考えた。彼のアルバムは意外と多いがZUYAはあまりハード・ロック的なサウンドは好まない(って言うか何処までがハードロックなのだろうか?)。いろいろ調査するうちに 『 Ballads&Blues 』 なるアルバムを見つけ購入。無職の分際でCDを買いまくってるZUYAであるが...

彼の経歴から考えると円熟期のなかなか聴きやすいアルバムではなかろうか。さすが近代(?)のレスポール・プレイヤーとして名の挙がるゲイリー。レスポール・サウンド満載ではないか。フレーズや歌い方までピーター・グリーンを意識したものも入っていてそれがまた良い

1曲どこかで聴いた覚えのある曲があり考えに考えたところ、数年前に亡くなった本田美奈子さんの曲と“クリソツ”ではないかと。いやいやクリソツどころか本田美奈子さんの曲のクレジットを見ると“作詞/作曲:Gary Moore”とあるではないか。どういう縁なのだろうか?本田美奈子さんは可愛いいので許るが、日本語歌詞が今世間を騒がせている“何十人にもの頭の悪そうな女の子の集まり”の親分、秋○康ってどうよ... ヤツが金欲しさにわざわざ日本語の詞なんかにしなくても、本田美奈子さんは十分英語で歌えるよ~!


Ballads & Blues
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Virgin Records Us




そうそう、これまたつい先日のこと。ふとレスポールのジャック部分に目が行きびっくりした。ジャック・プレートが割れているではないか!って言うか何でこんな部分にプラスティックのプレートなんだ!?



見るからに耐久性のなさそうなパーツ...


楽器に関しては実用性重視のZUYAはメタルプレートに交換しようとネットや楽器店を探したのだが、GIBSON純正のものは安くても1,500円とかするじゃんか。たかがプレートにそんなに出す余裕もないし...(ブランド名が刻印されているわけでもないしね)。根気よく探してみるとパーツ専門メーカーが廉価品で500円弱で出していた。これで十分だよ。早速購入して交換してみた。



見よ、この頑丈そうなルックス!さすがメタル。


うん。良い感じ何の問題もない。さぁ今夜も嫁は仕事の会議で遅いから飲みに...いやいや家でおとなしくギター弾いていよう

I'm losing my job...

2011年02月15日 | Music & Life 

実に妙な気分である

今月の初めから1日たりとも仕事はしていないが給料は入ってくる。まぁそれが有休と言うものなのだが...。以前有休休暇を使ったのは10年以上前、まだ奈良の郵便局で働いていた時だなぁ。さて明日から“完全なる無職”になるわけだが...こういう時はやはりブルーズを聴くべきか(?)。


ZUYAがもし“一番好きなブルースマンは誰ですか?”と聞かれたら間違いなく答えるのはLittle Milton(リトル・ミルトン)ではなかろうか。シカゴ・ブルースが好きなZUYA。もちろんマディやバディ・ガイ、オーティス・ラッシュも好きだが、ミルトンはZUYAが好きなソウルフルなテイストも盛り込んだ独自な世界を持つ。彼の音楽が“ブルーズン・ソウル”と呼ばれる所以だ。チェスの時代も良いがSTAXのミルトンは“最高”以外の言葉が見つからない

ブルース・ファンの中には“時代”に拘る人間が多いように思う。例えばフレディ・キングはKINGの時代だけが良いとか、ボビー・ブランドのマラコ時代は辛いとか...。全くもってナンセンスな見解だとZUYAは思うわけだ。ロック・ミュージックとは違いブルースやジャズは“人生の重み”と言うか“生き様”みたいなものが音に反映される音楽。ブルースマンたちはいつの時代も自分たちの持つブルーズやソウルを表現しているとZUYAは確信する


まぁ堅い話は抜きにしてこのアルバム、 『 WHAT IT IS 』 を聴いてみなはれ。このアルバムの音源はアルバート・キング、チコ・ハミルトンとの共演アルバム 『 Montreux Festival 』 と一部ダブるのだが1989年に単独でCD化されたモノだ。ミルトンのソウルフルな歌声、ブルージー響きを堪能できる名盤だと言える


What It Is - Live
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Stax

有給休暇最終日...外は雪なり (・_・)

2011年02月15日 | Hard time


東京も雪化粧である


今日で有休が終わり、明日から名実共に“無職”となる。別にこんなところに自慢げに書くことではないのだが

頭の中はずいぶんと清浄化されたと思う。あの毎日胃腸の不具合に悩まされその上ストレスを酒で誤魔化していた日々、ずいぶん遠くに感じるようになった。これでこそ“休息期間”に入った価値があると言うものだ


さて昨日は一度も玄関から外に出ることがなかったのだが、午後辺りから降り出した雪が夜通し降り続き今朝は東京でも数センチの積雪となったようだ。ゴミ当番のZUYAは男らしくサンダルでゴミ捨て場に向かったがこりゃ“た○し軍団”の世界だ(笑)。冷たいなんてもんじゃなく凍傷になるかと思ったよ

雪を見ているとカナダに帰りたくなる。正直エナジーを得るためにもアメリカの大地のパワーを感じてくるのは良いことなのかもしれない。嫁も 『 お金は心配しないで行ってきなよ 』 と言ってくれるが、さすがにそこまで甘えるわけには...でも“この機”を逃したら今度はいつ行けるだろうかと自問自答する今日この頃であります。


労働者の皆様、本日もお勤めご苦労様でございますm(_ _)m

そろそろ...

2011年02月14日 | Music & Life 

2月14日。そうバレンタイン・デーある


若い頃はこの日には男の子らしく期待をしたものである(笑)。ZUYAは双子なので家にて玄関のベルが鳴りドアを開け度に 『 あんたじゃないわよ! 』 と言われた日々、実にブルージーである(笑)。“そう双子の兄貴の方がモテたのだ。“同じ顔やんけ...”とショボンとしていた記憶が今も鮮明である。しかし中には物好き(幸運の天使?)がいて小学校3年生から中学2年までZUYAにせっせとチョコレートをくれた女の子がいた。彼女はいったい今は何処で何をしているのだろうか(・_・? 


なぜだが知らないがその子に貰えなくなってからバレンタイン・デーに興味を示さなくなった。と言うチョコレートさえあまり好まなくなってしまった(笑)。それから次に貰ったのはいつだ...思いだせない。いや待てよ、確か地元にあった松田書店のおばちゃんに高校生の時も毎年貰っていたような(笑)。

後は東京に来てからか。先日も届いた京都・福知山の“肝っ玉おばちゃん”だろ...、あれ!?“マダム”ばっかりやんけ~!! 我ながらさすが“マダム・キラー”と呼ばれただけある。驚くべき事実だ

いや、でも...東京に来てからは若い娘にも貰ったのと思うのだが一向に思い出せい。まぁいいや。たいしたことじゃない


昨夜セッションからワンカップ片手に帰ってきて玄関に入ると何やら甘い匂いが~ なんとまぁ嫁がバレンタインのためにケーキを一生懸命作っているではないか! もう“涙モノ”である。

ZUYAさんよ~、“崖っぷちブルースマン”も良いがそろそろ動いた方が良いんでねぇの?


う、美味そう...。今は冷蔵庫の中に。早く食べたい... 



    


今日は久々にSavoy brown(サヴォイ・ブラウン)をCDプレイヤーに 

サヴォイ・ブラウンは60年代後半から70年代にかけてフリートウッド・マック、チキン・シャックと共にイギリスで“3大(ホワイト・)ブルース・バンド”と呼ばれた。まぁ現実的にはリーダーのキム・シモンズ以外は異常なまでに(笑)流動的なのだが、ZUYAはフェイセズにも似た香りのする第7作目のアルバム、 『 Street Corner Talking 』 がフェイバリットである。この頃いたヴォーカルのDave Walkerはロッドとは違い、なかなか“骨太ボイス”で以後第9作目の 『 Lion's Share 』 まで在籍する。

世の中にはサヴォイ・ブラウンやフリートウッド・マック、フリー等の良さがわからない連中が多いが、クリームやジミ・ヘンドリックスの後、ブルース・ロックが存在したのは彼らの功績があってのこと。それがわからないんならロックなんか聴かない方がが良いと言える程の存在のである


Street Corner Talking/Hell Bound Train
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Beat Goes On

I've Got The Feeling!! ( ん~、気持ちぃ~!! ) 

2011年02月14日 | Music & Life 


3年振りくらいにこの店に来たなぁ


今夜はMr.Oh YEAHなるブルースマンのセッション


今年3度目になるジャム・セッションへ参加。昨夜その場所に選んだのは池袋にあるアイリッシュ系のパブ、 『 Black Sheep 』 。店内に足を踏み入れるのは初めてではなく、ちゃんとした美味いギネスが飲めるので個人的に何度か訪れたこともあるしアメリカ人のChrisに出逢ったのもここだった。


昔話になるが...カナダにいた頃は週に2回、3回必ずどこかでジャム・セッションがあり、それに毎晩必ずどこかでダチがレギュラーで演奏していたから飛込みでこれまた週に数回演奏した。その上雇われるとって感じで、もうほとんど毎晩“演奏&アルコール”だった。そりゃ太るよなぁ(笑)

確か当時$400ぐらいでアパートを借りて、$600は飲んでいたと思うよ(笑)その当時は$1(カナダドルね)が80円ぐらいだったんじゃないだろうか。その頃に知り合った連中は未だにマブダチでその後ZUYAがカナダに帰るときには必ず 『 Welcome back Yasu Party 』 なるギグがブルースクラブで行なわれる。詳細は“法”に触れそうなので書けないが... 

話はずれたが向こうのセッションもプロばかり集まる時もあればアマチュアばかりの時もあり色々時と場所により内容も違った。けど芯にある“何か”は同じで楽しいものであったのだが日本に帰ってきてバンドやそのメンバーを探そうと色々セッションなるものに参加したが、“何か”が違うのだ...

そのうちセッションにはあまり行かなくなった。年に1回JIROKICHIに行くかどうかだったかな。ところが今年は昨夜で3回目のセッション参戦となったのだが、日本に帰ってきて初めて“何か”を感じた

この“何か”を日本語で(言葉で)表すのは難しいのだが、タイトルにあるように“I've got the feeling!"としか言いようがない。そんな夜だったわけです昨夜は


こんな曖昧ではこのブログの読者には伝わりにくいだろうが、要はジャムだろうとセッションだろうとお客がいる以上“サウンドを作らないといけない”のだ。もちろんカナダだろうと日本だろうと自己満足に走り選曲やら“音色”やら 『 何やってんだ? 』 と思わせるプレイヤーもいる。しかし良い意味でお客を意識しているかどうかという点に関しては日本の方が低いと感じる。自分の高級ギターを自慢するだけとかブルースに不釣合いな(?)エフェクト、アーミング等などZUYAはもううんざりで...


しかし昨夜は違った。これはホストであるMr.OH YEAH氏の“持っているモノ”によるのではと。彼は本場シカゴでも揉まれた経験があるがシカゴに行ったからと言って偉いわけでもなんでもないわけである。やはり場所は何処であろうと“何を掴んできたか”であると思う。だからよくZUYAがカナダでブルースやっていましたと言うと 『 何でカナダなの? ブルースはアメリカでしょ? 』 とか言う話にならない質問が来るが、結局そういうことなのだと思う。

これは音楽に限らず何処の場所に言ったかと言うのはただ単なる“事実・経験”であり、“何を悟ったか”、“何を感じた”かが最も大切なことではないかと思う今日この頃のZUYAであります


※些細な喜びだがMr.Oh YEAH氏の“ZUYA”の呼び方は完璧だった(笑)



実にコンパクトなブルース向きなステージ