昨年の10月から今年の2月にかけて、言い換えれば昨年度の後半は殆ど「夕顔の巻」が講義の中心だった。残念な事に、昨年の10月は休んだので「夕顔」の第一回目を聞き漏らしている。
寂聴さんが、源氏物語の解説を優雅な人形と共に行っている番組が、NHK総合TV朝10時5分からある。(本日が最終日だと思うのだが)
「夕顔の巻」の解説では、主人公「夕顔」と対比される「六条御息所(ろくじょうみやすんどころ」の二人の美女が登場する。
六条御息所は、先の東宮の正妻であったが東宮に死に別れて未亡人となった24歳(源氏より7歳年上)である。その地位・財産・美貌・教養全てにおいて最高、完全無欠な誇り高き女性であった。
しかし、プライドが高すぎて、源氏の心を慰めると言うより、源氏にとっては気や心が休まるというタイプの女性では決してなかった。
(紫式部が、「六条御息所」と名付けたのは、何たる皮肉だろうか、彼女の芸の細かさに驚いたのは、小生だけだろうか?)
夕顔は、その地位・財産・美貌・教養などとても六条御息所に較べようもないが、自己主張をしない、男のいいなり望むままに身も心も添わせていくという稀有な女性であった。(かわいいい女とでも言うのであろう)
これには源氏も心を奪われ、夜も日も明けぬほど通いつめるようになった。
寂聴さんによると、源氏物語の男性読者が選ぶ理想の女性とは夕顔なのだそうである。
千年前の女流大作家である紫式部の描いた男性から見た理想の女性像も「夕顔」であったではないのだろうか。
理想とは殆ど在り得ないから理想になるのであって、過去も現在も等しく、男性は女性には手を焼いていた(尻に敷かれていた)のであろうと容易に想像できるのである。
誰に気兼ねするでもなく、勝手気ままに生きていける小生こそ最も幸せな男と言えるような気がしているのである。
夕顔に嫉妬した六条御息所は、生霊となって夕顔をとり殺すのである。(六条御息所は後々も生霊・怨霊となって、源氏の他の女を苦しめるのであるが・・・。)
怨念・生霊・怨霊などと言う言葉は、美人専用のように思えてならないのである、これこそ美人の怖さなのであろう。