12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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歴史と後世の評価

2008年07月09日 06時07分49秒 | Weblog

「歴史が裁く」とか「後世の審判を待つ」と言い、過去の人を評価する。 歴史上の偉人の後世の評価は歴史書などである程度判るのであるが、存命中の頃の評価については、それを知るための資料は余りにも少ないようである。

太閤さんの存命中と後世の評価の差異がいかようであるのか知りたいのであるが、あまり容易ではないのである。

 第一の理由は、後世の評価が、何を基準にするのかで随分その評価は変わるのである。肝心の基準があれこれ結構沢山あるのでは、決定的な評価をすること自体かなり難しい場合が多いような気がする。

例えて言えば、民主主義や資本主義が未来永劫絶対正しいと言えないのと同じ事である。

 第二の理由は、存命中の時代の評価となると、それらが後世に遺されているものは、殆どが、権力者に対する「おべんちゃら」で溢れており、真実の姿ででは到底ありえないような気がするのである。

歴史や後世が裁いたり審判したりする事においては、その評価はどうにでも出来ることのような気もして、粉飾の多き評価は無意味な事だとも思えるのである。

そんな訳で、超現実主義者のマキャッヴェッリのように、今現在の評価こそ一番優先すべき事と言うのが、正しいのかもしれない。

一介の小市民である小生などにとっては尚更で、後世に他人から評価されることなどはないであろうし、よしんばいかような評価をされようが知った事ではないのである。

何かを遺すというような、そんなものはむしろ一切ない方が、あの世から未来のこの世を振り返るなどと言う煩わしい事から開放され清々するように思っている。

このブログなどと言うものは、せいぜい長くて数十年の保存しかされないのであろうから、言いぱなしで、どーと言うこともなさそうである。