去年の目標の中で実現できなかったことのひとつに
東海道五十三次の箱根の山登り、山下りがある
京都三条大橋から日本橋を目指して旧東海道の三島
宿から箱根を登って、旧小田原宿へと下山したのが
21年9月5~6日だった
小田原へ着いた時、いつか小田原から登り、三島へ
下る逆のコースを歩いてみたいと思った
以来、そのことは今も消えることはない
三島から元箱根へ向かう登り道は、ただ、黙々と頂
上を目指して急な道を登り続けるだけだった
頂上に着き芦ノ湖を見た時の感動は忘れられない
元箱根から小田原を目指した急な下りは登りよりも
きつかった、しかし視界が広がるとはるか下に見え
る景色の素晴らしさにはいやされたものだ
しんどかった箱根の山登りと下りを逆コースにして
歩きたいという思いは、きっと、頂上をめざして登
る苦しさ、そして下る苦しさ、それ以上にたくさん
の楽しさがあったからだと思う
たまたま書店で見かけた五木寛之さんの下山の思想
という著書を読んで(まだ完読はしていない)箱根の
山登り、下りにも通ずる内容で興味深い

去年の大震災や原発事故が象徴的だったが敗戦から
立ち上がり世界の経済大国を目指して末に上りつめた
日本もいまや「下山」の道をすすんでいるという
そんな日本が再生する目標はどこにあるのか?
登ることに全力をつくし頂上を極めた後は、永遠に
頂上にとどまってはおられないのだから、登ったら
下りる・・・
人は登ることには熱中しても「下山」ということに
あまり意識しないで関心もないという
日本が未曾有の時代(下り)に直面しているのに傍
観していてはいけないという
登山では下りに細心の注意を払うそうだ
(登山経験がないのでわからないが)
箱根の山登り、山下りできつかったのは「下り」で
あの急こう配の下り道は怖さを感ずるほどの緊張感
があって細心の注意を払らわざるを得なかった
「がんばれ日本」がすっかり定着したが
どこを目指して
どうがんばるのか?
時代はすでに下山にかかっている
もう逆戻りはできない!
実り多き明日への「下山」を
思い描くべきではないか
「下山」とは諦めの行動ではなく
新たな山頂に登る前のプロセスだから
「下山」の先にある新たなスタート地点をめざそう
この本を読みながらしみじみと思ったのは
自分も人生の「下山」をしている最中だということ
もう歩いてきた道に戻ることはできない
下山していくのならどこへ行くのか?
どんな道を下りていくのか?
どんな下山の仕方がいいのか?
下山の先(明日)に新たな希望があるような
そんな下り方(生き方)をすることだと思った。
東海道五十三次の箱根の山登り、山下りがある
京都三条大橋から日本橋を目指して旧東海道の三島
宿から箱根を登って、旧小田原宿へと下山したのが
21年9月5~6日だった
小田原へ着いた時、いつか小田原から登り、三島へ
下る逆のコースを歩いてみたいと思った
以来、そのことは今も消えることはない
三島から元箱根へ向かう登り道は、ただ、黙々と頂
上を目指して急な道を登り続けるだけだった
頂上に着き芦ノ湖を見た時の感動は忘れられない
元箱根から小田原を目指した急な下りは登りよりも
きつかった、しかし視界が広がるとはるか下に見え
る景色の素晴らしさにはいやされたものだ
しんどかった箱根の山登りと下りを逆コースにして
歩きたいという思いは、きっと、頂上をめざして登
る苦しさ、そして下る苦しさ、それ以上にたくさん
の楽しさがあったからだと思う
たまたま書店で見かけた五木寛之さんの下山の思想
という著書を読んで(まだ完読はしていない)箱根の
山登り、下りにも通ずる内容で興味深い

去年の大震災や原発事故が象徴的だったが敗戦から
立ち上がり世界の経済大国を目指して末に上りつめた
日本もいまや「下山」の道をすすんでいるという
そんな日本が再生する目標はどこにあるのか?
登ることに全力をつくし頂上を極めた後は、永遠に
頂上にとどまってはおられないのだから、登ったら
下りる・・・
人は登ることには熱中しても「下山」ということに
あまり意識しないで関心もないという
日本が未曾有の時代(下り)に直面しているのに傍
観していてはいけないという
登山では下りに細心の注意を払うそうだ
(登山経験がないのでわからないが)
箱根の山登り、山下りできつかったのは「下り」で
あの急こう配の下り道は怖さを感ずるほどの緊張感
があって細心の注意を払らわざるを得なかった
「がんばれ日本」がすっかり定着したが
どこを目指して
どうがんばるのか?
時代はすでに下山にかかっている
もう逆戻りはできない!
実り多き明日への「下山」を
思い描くべきではないか
「下山」とは諦めの行動ではなく
新たな山頂に登る前のプロセスだから
「下山」の先にある新たなスタート地点をめざそう
この本を読みながらしみじみと思ったのは
自分も人生の「下山」をしている最中だということ
もう歩いてきた道に戻ることはできない
下山していくのならどこへ行くのか?
どんな道を下りていくのか?
どんな下山の仕方がいいのか?
下山の先(明日)に新たな希望があるような
そんな下り方(生き方)をすることだと思った。