ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖霊降臨後 第7主日

2006年07月28日 | ショートメッセージ
(マルコによる福音書 6:30-44)
私たちは日々の生活の中で、ともすると、現実のことに追われ、休みなく働き、
何が本当に大切かが分からなくなっていないでしょうか。
何のために今の活動、仕事をしているのかすら分からなくなってしまい
「誰も自分の立場をわかってくれない。誰にもこの苦しさは分からない。」と、
追い詰められ、疲れ、人から愛されることを求めているとはいえないでしょうか。
そういう人たち、とりわけ世話をする立場にある親に、教育者に、指導者に、
そして、教会の羊飼いに、修道者に対してイエス様はおっしゃいます。
「私は分かっている。だから、あなたは人里離れたところへ行って、
しばらく休むがよい」。

イエス様は、迷っている私たちを飼い主のいない羊という譬えであらわし、
それをご自身こととして苦しみ、憐れんでこのように言われるのです。

現実の社会では、休む時間すらも奪われてしまいます。
そして、祈りの時はもっとも最初に削られていく時間かもしれません。
そして、祈ることも、神の言葉をじっくり考える
といいうことも出来なくされていきます。

しかし、それでは、魂の抜け殻のような体を抱えて、
ただ惰性で生きているようなものになってしまいます。
 イエス様は、このような有様を見て、怒り、悲しみ、そして深く憐れまれ、
私たちに「人里離れたところへ行って、しばらく休むがよい」と、言われるのです。
私たちにとっての「最初の休息」のとき。
それは、イエス様と時を過ごす時です。
忙しければ忙しいほど、イエス様と時を過ごすことが必要です。
きっと、その時こそ、イエス様は教え、心の平安を取り戻させてこれるはずです。
そのような時間を全く生み出す余裕がないのであれば、
時間の使い方、今の生き方に何か問題があるのかもしれません。
どうか、忙しい日々の中でも、「祈ること」を忘れずに
神様の下での「休息の時」を持つことを忘れずにいてください。

執事 マタイ金山昭夫 《2006.7.23 週報より》

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