ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖霊降臨後第9主日

2010年07月25日 | ショートメッセージ
<ルカによる福音書11:1-13>

弟子たちが主イエスに
「ヨハネが弟子たち教えたようにわたしたちにも祈りを教えてください」と、
願ったことをきっかけに、
主イエスは弟子たちに信徒が共同で献げる祈りを教えてくださいました。
これが「主の祈り」です。
この祈りは、教会が心を一つにして神に献げる祈りで、
2000年の時を経てクリスチャンの受け継がれ祈られてきたものです。
その中で、私たちは神の意思が実現するように
そして、その具体的な姿がこの世に現れ出るようにと祈ります。
神の愛を受けている私たちは「主の祈り」を大切にして
神の御心の具現のために遣わされて参りましょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第8主日

2010年07月18日 | ショートメッセージ
<ルカによる福音書10:38-42>

イエスは「マリアは良い方を選んだ」と言います。
「良い方」とは何かと比較して良い方ということではなく、
マリアの本来的な存在にとって良いという意味です。
今マリアはイエスの足元で自分自身になっています。
マリアはイエスの言葉によってマリアとして生きています。
マルタはその事が分かれば、
マリアにマルタの思い通りにすることを求めなかったでしょう。
神の御心に従って生きる事と
その人としての本性に則して生きることが重なるとき、
私たちも「誰もそれを取り上げてはならない」のです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第7主日

2010年07月11日 | ショートメッセージ
<ルカによる福音書10:25-37>

「善いサマリア人」の譬え話しは
人を無条件の愛を注ぐ神を描いています。
「見て憐れに思い関わる」という一連の動きは
主イエスご自身の行為であり、
主イエスの譬え話しのパターンにもなっています。
しかし、譬えの中で司祭やレビ人は
倒れた人を見ても心を頑なにしてそこから立ち去ります。
視点を変えれば、私たちは神に見られ憐れみを受け
主イエスを通して神に関わっていただいているのです。
私たちは、神の憐れみを受けた者として感謝と讃美をもって
他の人びとの隣人になる力を与えられているのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第6主日

2010年07月04日 | ショートメッセージ
<ルカによる福音書10:1-12,16-20>

イエスは「収穫は多いが、働き手が少ない」と言いました。
これは、言葉を換えれば、
主の働きを必要とすることや主の働きをもたらすべきことは山ほどあるが、
その手の及んでいない状況、場所は多いと言うことです。
これは、私たちにとっても大切な課題です。
私たちのごく身近な時、所、状況の中で
私たちが「収穫」をもたらさねばならない事は
たくさんあるのではないでしょうか。
「収穫」とは単に伝道の結果を意味するのではなく、
私たちが御心示すことに努めるときに知る
神の恵みをも意味していると考えることができます。
主の「収穫」のために喜びのうちに働くことができますように。

司祭 ヨハネ小野寺達
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オックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジ聖歌隊コンサート

2010年07月03日 | 日光真光教会
7月3日(土)午後6時開演(5時半開場)

会場:日光真光教会(栃木県日光市本町1-6)

演奏:オックスフォード大学 コーパス・クリスティ・カレッジ聖歌隊

入場無料

《合唱》
Exsultate Deo(神に歓喜せよ)/Giovanni Pierluigi di Palestrina
O nata lux(おお光より生れし光)/Thomas Tallis
Christus Factus Est(キリストはおのれを低くして)/Anton Bruckner  他

《オルガン独奏》
The Lord is my Shepherd(主は我が羊飼い)/Howard Goodall
Ubi Caritas(慈みと愛のあるところ)/Maurice Duruflé
And I saw a New Heaven(そしてわれは新しき天国を見たり)Edgar Bainton  他

問い合わせ:日光真光教会