<マタイによる福音書10:34-42>
主イエスは「私が来たのは・・・剣を投げ込むため」と言われました。
これは単に破壊的な働きを意味するのではありません。
パウロはエフェソ書6:17で
「霊の剣、神の言葉を取りなさい」と言っていますが、
イエスの投げ込む件も「神の御言葉」のことであると言えるでしょう。
「神の御言葉」は必ずしもいつも私たちにとって
穏やかで慰めに満ちているとは限りません。
時には私たちを真理へと導こうとするが故に、
罪をえぐり出して不正を切り落とす剣となるのです。
この前提には、私たちを愛して真理に基づく救いへと
お導きくださる神の愛があり、
私たちもこの愛によって、真理へと歩み出すことが出来るのです。
司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら
主イエスは「私が来たのは・・・剣を投げ込むため」と言われました。
これは単に破壊的な働きを意味するのではありません。
パウロはエフェソ書6:17で
「霊の剣、神の言葉を取りなさい」と言っていますが、
イエスの投げ込む件も「神の御言葉」のことであると言えるでしょう。
「神の御言葉」は必ずしもいつも私たちにとって
穏やかで慰めに満ちているとは限りません。
時には私たちを真理へと導こうとするが故に、
罪をえぐり出して不正を切り落とす剣となるのです。
この前提には、私たちを愛して真理に基づく救いへと
お導きくださる神の愛があり、
私たちもこの愛によって、真理へと歩み出すことが出来るのです。
司祭 ヨハネ小野寺達
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