ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

顕現後第3主日

2009年01月25日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書1:14-20>

ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネは彼らの生活のただ中で
主イエスに召し出されました。
マルコによる福音書は、その事実だけを坦々と描いています。
私たちもそのように主に召しに応えるのか
言い訳やためらいや尻込みをするのには
いくらでも言葉を並べることができるでしょう。
でも、結局は主に「従うのか、従わないのか」の選択を
私たちは迫られるものではないでしょうか。
私たちは神の呼びかけにどう答えるのでしょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
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顕現後第2主日

2009年01月18日 | ショートメッセージ
<ヨハネによる福音書1:43-51>

ナタナエルは、葉の大きなイチジクの木の下で黙想をする人でした。
ナタナエルは、イエスを知りませんでしたが
フィリポの「来てみなさい」に促されてイエスと出会います。
その時、イエスはナタナエルを知っており、
ナタナエルは自分が神を選んでそれを利用する者ではなく、
神が自分を選び用いるお方であることを悟ったのでしょう。
私たちも主に選ばれて用いられる者です。
イエスの許に参りましょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
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顕現後第1主日・主イエス洗礼の日

2009年01月11日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書による福音書11:7-11>

今日は、主イエスが先例を受けたことを記念する主日です。
洗礼の語源は、バプティゾー「浸す」です。
洗礼者ヨハネは、ヨルダン川で罪の洗い清めの洗礼運動をしていました。
主イエスは、このヨハネから洗礼をお受けになりましたが、
その洗礼は、単に罪の洗い清めではなく、
古い人間が罪に死に
新しく聖霊によって生かされることを意味する聖典になっていくのです。
私たちは皆その聖典である洗礼によって神の子とされる恵みにあずかる
神の家族なのです。

司祭 ヨハネ小野寺達

降誕後第2主日

2009年01月04日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書2:13-15,19-23>

今日の福音書は、聖家族がヘロデによる虐殺を逃れて
エジプトに移った物語の箇所です。
これは、救い主誕生の背後にある悲しい物語ですが、
イエスは成長の過程でこのことを両親から幾度も聴き、
多くの幼子が死んでなぜ自分が生きているのか幾度も考えたでしょう。
それは、イエスの公生涯に大きく影響を与えたはずです。
私たちが生かされている背景にも沢山の人の支えと神の支配があります。
私たちは、生かされている今にどのように応答するのでしょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
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主イエス命名の日

2009年01月01日 | ショートメッセージ
<ルカによる福音書2:15-21>

イエスとは「主(ヤハウェ)は救い」という意味です。
イエスは生まれてから8日経った日にこの名を与えられました。
名前は人生における各人のテーマです。
生きることは各人の名の中に、
その人の内実を盛り込んでいくこととも言えます。
名付けることは、個別の尊い存在として認識することでもあります。
聖書の中でも神は、その人を召し出すときその名を呼んでおられます。
名付けるとは、召し出すことでもあります。
私たちは、救い主イエスに愛され、神に呼び出されたものとして、
新しい1年を生かされて参りましょう。

司祭 ヨハネ小野寺達