ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖霊降臨後第13主日

2009年08月30日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書7:1-8、14-15、21-23>

今日の福音書の中で「汚れた手」と表現されているのは、
衛生面のことではなく宗教的儀式面のことで、
今の日本の儀式的習慣でいえば、
葬儀に参列した後に浄めの塩を用いる「お清め」に似たことです。
ファリサイ派の人々は、
イエスの弟子たち浄めの儀式をしないで食事をしていることを批判しました。
これに対してイエスは、人を汚すのはむしろ
そのように人を批判するファリサイ派の心に発する言葉なのだと言います。
他人を汚し損なうのは、人の心の内から発する言葉や行いなのです。
わたしたちも神の愛に裏打ちされた「塩で味付けられた優しい言葉」を用いて、
その交わりを浄め祝されたものに対していきたいと思います。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第12主日

2009年08月23日 | ショートメッセージ
<ヨシュア記24:1-2a、14-25>

今日の旧約聖書日課は、イスラエルの民が約束の地を獲得して定住する直前に、
ヨシュアが民に対して神との契約を再確認させた場面です。
放浪と土地奪取の戦いの後、民は定住の地が始まりますが、
そこにはこれまでとは違う誘惑がありました。
40年にも及ぶ放浪の中で、
神は民を鍛え神との契約によって生きることができるように導きました。
その信仰をしっかりと継承しなければなりません。
私たちも様々な誘惑の襲う世にあって、
「わたしとわたしの家族は主に仕えます」と神との約束を新たに致しましょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
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東京藝術大学バッハカンタータクラブ演奏会

2009年08月22日 | 日光真光教会
日光真光教会特別演奏会

2009年8月22日(土)
18:30開演
日光真光教会
(栃木県日光市本町1-6)
入場無料(※どなたでもご来場頂けます。)



J.S.Bach

カンタータ第107番 《汝なんぞ悲しみうなだるるや》 BWV 107
Kantate Nr. 107 "Was willst du dich betrüben" BWV 107

ソプラノ:谷垣千沙
テノール:金沢青児、村上惇
バス:井口達


カンタータ第43番 《神は歓呼の声とともに昇り》 BWV 43
Kantate Nr. 43 "Gott fähret auf mit Jauchzen" BWV 43

ソプラノ:金靖美恵、村元彩夏
アルト:喜田奈津子、神谷美貴子
テノール:圓谷俊貴
バス:櫻井元希

指揮:長岡聡季

東京藝術大学バッハカンタータクラブ

聖霊降臨後第11主日

2009年08月16日 | ショートメッセージ
<ヨハネによる福音書6:53-59>

人はついつい目先のパン(損得)に心を奪われてしまいますが、
イエスは「世に命を与えるまことのパンを求めなさい」と言いました。
初代教会の人々にとってまことのパンとはイエスご自身に他ならなかったのです。
私たちも聖餐式に於いて
目に見えないイエスご自身をパンと葡萄酒という目に見えるしるしにして受け入れ
その恵みに生かされています。
聖餐により信仰を強められましょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第10主日

2009年08月09日 | ショートメッセージ
<ルカによる福音書9:28-36>

その時イエスはなで白く目映く輝いたのでしょうか。
それは、人々の目には愚かに見えるイエスの働きが、
神の目には最高の輝きとなっているからです。
主イエスはこの変容の出来事のあとエルサレムへ向かって歩み始めます。
この時、弟子たちはまだ「エルサレムでイエスは天下を取る」
という程度の認識だったかもしれません。
でも、この時イエスはモーセとエリヤと
「エルサレムでの最後」について話していたと記されているとおり、
エルサレムに向かう事は十字架に向かう事だったのです。
そのイエスの放つ輝きを私たちも隠し絵の中にある宝物のように
見出したいのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第9主日

2009年08月02日 | ショートメッセージ
<ヨハネによる福音書6:24-35>

人はついつい目先のパン(損得)に心を奪われてしまいますが、
イエスは「世に命を与えるまことのパンを求めなさい」と言いました。
初代教会の人々にとってまことのパンとは
イエスご自身に他ならなかったのです。
私たちも聖餐式に於いて目に見えないイエスご自身を
パンと葡萄酒という目に見えるしるしにして
受け入れその恵みに生かされています。
聖餐により信仰を強められましょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
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