ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

大斎節第5主日

2009年03月29日 | ショートメッセージ
<エレミヤ書31:31-34>
<ヨハネによる福音書12:20-33>

エレミヤは「新しい契約」を結ぶときが来るといいます。
石の板に記された十戒を根拠としながらも律法は人を縛り人を不自由にしました。
「古い契約」によって責め立てられ
かえって罪の自覚ばかりが深まるばかりの世界に主イエスは来られ、
罪をご自身で引き受けてくださいました。
このイエスを救い主と受け入れて信じる人は誰でも神の子とされるのです。
ここにイエスによって「新しい契約」が成り立ちました。
この主イエスを救い主として受け入れる者は、
無償で天の国を約束されたのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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大斎節第4主日

2009年03月22日 | ショートメッセージ
<ヨハネによる福音書 6:4-15>

主イエスは、僅かなパンと魚で多くの人を満ち足らせました。
それは、イエスによって活かされた人々の経験に基づいて
出来上がってきた物語です。
イエスが与える喜びや満足感は単なる肉体的な飢え渇きの解消ではなく、
生きる喜びや満足感を与える出来事になりました。
しかもその分かち合いは、子どもが差し出した僅かの糧を
主イエスが侮らず大切にお受けになったことに始まっています。
私たちの小さな働きも神の大きな手の中で用いられるとき、
神はそこに奇跡さえ起こすのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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大斎節第3主日

2009年03月15日 | ショートメッセージ
<ヨハネによる福音書 2:13-22>

今日の福音書は、主イエスの「宮浄め」物語です。

この箇所は、ヒステリックに暴力を振るうイエスを思いながら読むのではなく、
例えば、ゼカリヤ書 14:21 の
「その日には、万軍の主の神殿にはもはや商人はいなくなる。」という言葉や、
使徒書Ⅰコリント書 6:19 の
「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、
あなた方はもはや自分自身のものではない」
という言葉を思いつつ読むべき箇所です。

神の宮である私たちは、それに相応しい器として整えられているでしょうか。
私たちは、聖霊を宿すに相応しい宮となるように浄められ、
強められるように祈りを求めましょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
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大斎節第2主日

2009年03月08日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書 8:31-38>

「自分の十字架を担い主に従う」ことは
視点を変えれば「自己実現する」ことです。
本来、私たちは自分の命を含めて
全てを神からプレゼントされて生きています。
その私たちが自分の意思と責任と決断により
神の御心に応答していくことが自分の十字架を担うことであり、
それは、「主に従う」ことと表裏一体のことなのです。
主に従うことを十字架の縦の棒、
互いに重荷を担うことを十字架の横の棒に例えれば、
両者の組み合わせによって
十字架に示された主イエスの働きが見えてくるのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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大斎節第1主日

2009年03月01日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書 11:9-13>

大斎節に入りました。
主イエスは、宣教の始めに荒れ野で四十日を過ごしましたが、
マルコによる福音書はその時
「イエスは野獣と一緒におられた」と記します。
これは、イザヤ書などにあるイメージと重ね合わせると、
イエスは荒れ野におられても
天の国の姿を現してお過ごしになったと考えることもできます。
教会暦の中で、私たちは敢えて苦行に勤しむことはないかもしれませんが、
日々の祈りに心がけ自分の生活を通して
たとえ小さくても神の国の姿を生活の場に現せるように努める
大斎節を過ごしたいものです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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