ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

北関東教区信徒一致の日 合同礼拝

2009年04月29日 | その他


「すべての部分が共に喜ぶのです」
(コリント信徒への手紙Ⅰ 12:26)をテーマとして
群馬県の共愛学園中学・高等学校を会場に
北関東教区信徒一致の日合同礼拝が行われました。

午後は、婦人会によるバザーや
森村大地さんのサックスと
父上である三美さんのギターコンサートがありました。


復活節第3主日

2009年04月26日 | ショートメッセージ
<ルカによる福音書24:36-48>

福音記者聖ルカは、甦ったイエスが魚を食べたと記していますが、
そうすることで復活の具体性を伝えようとしたのではないでしょうか。
弟子たちは、甦りのイエスによって生かされていることを実感したのでしょう。
彼らは、イエスに愛されていることを知り、
その愛の力によってかつては経験できなかった可能性が
開かれてくることを経験したのです。
私たちも主イエスの甦りの力を受け喜びと
感謝の生活へと立ち上がらせていただきたいものです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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復活節第2主日

2009年04月19日 | ショートメッセージ
<ヨハネによる福音書20:19-31>

弟子たちにお姿を現したイエスの体と手足には生々しい傷跡がありました。
それは、人々の罪のしるしです。
日本には「水に流す」という言葉がありますが、
神の赦しとは「何でも水に流してなかったことにする」無節操な赦しではなく、
我が身を傷めてなお人を生かすため仕えるところに現れるのです。
イエスの十字架の御傷が私の罪のためであるという自覚が
イエスの赦しを我が事として受け入れる前提です。
私たちが神の愛と赦しを受け入れないのであれば、
イエスの御傷は痛み続けていると考えられます。

司祭 ヨハネ小野寺達
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復活日

2009年04月12日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書16:1-8>

イエスの十字架は人々の罪を照らし出しました。
イエスは、私たちが自分の力ではどうすることもできない罪を浮き彫りにしましたが、
罪人を裁いて切り捨てるのではなく、
更に深く赦しを与えて愛し抜いてくださいました。
そのようにして示された神の愛によって私たちは生まれ変わることができます。
このように人を生かしたイエスは甦ってガリラヤで私たちにお会いくださいます。
「ガリラヤ」とは辺境の地であり、私たちの心の片隅です。
認め難く時には忘れたくなったり置き去りにしてしまう心の片隅に、
イエスは先回りしてそこで私たちとお会いしてくださるのです。
甦りは神の愛のしるしです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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復活前主日

2009年04月05日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書15:1-39>

イエスは、十字架の死に至るまで神の御心から離れることはありあせんでした。
十字架を取り巻く多くの人は、
このイエスを見てもそこに神の姿が現れ出ていることに気づきません。
しかし、百人隊長は「この人は神の子だった」と告白します。
イエスは、最終的に人を生かす力と根拠である神から
離れることなく生き抜きました。
やがて多くの人がイエスの中に自分を生かす力を見出すようになるのです。
そして、多くの人がその力に生かされて
神と人に仕えるために派遣されていくのです。
私たちも主イエスの十字架をしっかりと見据えて生かされましょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
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