ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

大斎節前主日

2009年02月22日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書 9:2-9>

今日の福音書は、いわゆる「主イエスの変容貌」の物語の箇所です。
変容の物語は、イエスの苦難の中に現れる神の栄光の輝きを示しています。
世の中には、様々な判断軸がありますが、
神の輝きは武力や経済効果という判断軸では理解しがたいものです。
主イエスのことも
「他人を愛して働き自分が苦しむ中に現れ出る栄光」という判断軸で
理解するときに初めて正しく理解できるのです。
その栄光に私たちは浴するものであることを覚えたいと思います。

司祭 ヨハネ小野寺達
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顕現後第6主日

2009年02月15日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書 1:40-45>

当時、重い皮膚病は「汚れた者」として忌み嫌われました。
この病の者は、律法によって交わりを絶たれ、社会から追放されました。
しかし、主イエスは、
近づいてひれ伏すこの病の人を「深く憐れんで」手を伸べて清めたのです。
それは、律法を破って神を侮辱することと捕らえられましたが、
この病者にとってイエスは、まさしく「救い主」であり「神の子」だったのです。
こうしたことの積み重ねによって、
イエスはやがて十字架へと追いやられますが、
イエスは「救い主」、「神の子」としての働きを全うしたのです。
私たちも主イエスによって清められ祝されています。

司祭 ヨハネ小野寺達
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顕現後第5主日

2009年02月08日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書1:29-39>

神の国の宣教に枕するところもなく働くイエスは、
その一方で祈りを大切にしました。
朝早くまだ暗いうちに、人里離れた所に出て行き祈るイエスと
「そこでわたしは宣教する」と町や村へ出て行くイエスはひとつです。
このイエスの働きが十字架に集約していきます。
私たちもそれぞれの生活の場で
「み国が来ますように」」と働きますが、
その根底に主イエスと同様に祈りを据えたいものです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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顕現後第4主日

2009年02月01日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書1:21-28>

「汚れた霊」とは、現代にも無縁ではありません。
真実な自分へと向かわせず人を疎外させる力は、
現代に生きる私たちでも自分の内外に実感することでしょう。
それを「汚れた霊」と呼べるなら、
私たちは「汚れた霊」から開放されて
真実の自分に立ち返ることの大切さを知る一方で、
それは、「けいれんを起こさせ、大声で上げさせる」程に
難しく大変なことなのです。
そして、それはイエスの愛に裏打ちされてこそ可能であると
今日の福音書は伝えています。

司祭 ヨハネ小野寺達
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