ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖霊降臨後 第12主日

2006年08月27日 | ショートメッセージ
皆さんもよくご存知のスペインのサンチャゴ・コンポステラの巡礼路の序盤、
フランシスコ・ザビエルの故郷に近いサンゲサという町には、
ロマネスクの大聖堂があります。
その正面のゲートの彫像に「ユダの首吊り」が
人知れず掘り込まれているのをご存知でしょうか。

ロマネスクやゴシックの聖堂建築の通例として、
正面ゲートには「最後の審判」のモチーフが飾られるのが一般的です。
聖堂は、様々な絵画や彫像によって、見る人への教理教育も兼ねた場として、
天地創造から最後の審判がおかれるのは、そうした教育的な配慮といえます。

しかし、サンゲサの正面玄関に首を吊ったユダがいるのは
どうしてなのでしょうか。
やはり、最後の審判同様に人々への教育的な効果をねらい、
背信者の末路を印象づけようとしたのでしょうか。

今日読まれるヨハネの福音書(6:60-69)でも、
イエス様は、弟子の中から「裏切り者」が出ることを知らせています。
ここに、キリスト教を理解するときのひとつの大きな問題が生じています。

執事 マタイ金山昭夫 《2006.8.27 週報より》

聖霊降臨後 第11主日

2006年08月25日 | ショートメッセージ
ヨハネによる福音書が書かれた言葉の意味とは別に、
深い神学的な内容をこめているということは
何度かお話したことがあると思います。

しかし、本日の福音書の箇所(ヨハネによる福音書6:53-59)は、
その中でも最も深いと同時に、理解が難しい箇所のひとつでしょう。
ここを読むとき、私たちは、その信仰が試されているように
感じることもあるのではないでしょうか。

ここで言っている群衆とは、イエス様のことを深く理解せず、
ただ、その名声や評判を聞きつけて
通りすがりに集まって来たような人々のことを指していると言われております。
そして、この箇所は、イエス様において、
その最も関係希薄な人々である「群衆」との対話
ということに注意しなければならないともいえます。

案の定、それらの群衆の大半の人々にとって、
イエス様の語った言葉は「失望」を起こし、
皆、イエスから離れ去っていく機会となりました。

ここでは、イエス様は本物の信仰を持たない人が
わざと去るようにされているようにも思える箇所です。

私たちは、ヨハネの示した言葉のひとつひとつに
神の深いメッセージが読み取れるよう、
祈りのうちに本日の福音にふれてみたいと思います。

執事 マタイ金山昭夫 《2006.8.20 週報より》

東京藝術大学 バッハカンタータクラブ演奏会

2006年08月15日 | 日光真光教会
■日光真光教会演奏会■

2006年9月2日(土)
開演時間 18:00
日光真光教会(栃木県日光市本町1-6)
入場無料

J.S.Bach
カンタータ第62番≪いざ来ませ、異邦人の救い主≫
Kantate Nr.62 "Nun komm, der Heiden Heiland" BWV 62

昇天祭オラトリオ≪神を讃えよ、その諸々の国において≫
Himmelfahrts-Oratorium "Lobet Gott, in seinen Reichen" BWV 11


指揮:渡辺祐介

東京藝術大学バッハカンタータクラブHP
http://bachcantataclub.dreamblog.jp/

聖霊降臨後 第10主日

2006年08月14日 | ショートメッセージ
15日は、「主の聖母マリア日」ですが、
元はといえば、カトリックの「聖母マリア被昇天の日」に由来しています。

ご存知の通り、日本に初めてキリスト教を伝えたのは
イエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルですが、
彼が鹿児島の海岸に上陸した日(1549年8月15日)が、
ちょうど「聖母マリアの被昇天の日」に当たっていたので、
彼は、日本の国民の幸せを願って、日本を聖母マリアに捧げました。

そのせいでしょうか、日本の歴史的な出来事は、
不思議と聖母マリアの祝日と重なっています。

太平洋戦争の開始は、1941年12月8日で、
その日は聖母マリアが、その母、聖アンナの体内に宿ったことを記念する
「無原罪の聖マリアの祝日」です。
そして、太平洋戦争が終わった、1945年8月15日。
この日は、前述のとおり、「聖母マリア被昇天の日」です。
そして、サンフランシスコ講和条約が、
サンフランシスコで調印されたのは、1951年9月8日。
この日は、「聖母マリアの誕生日」」に当たります。
さらに日本の建国記念日であり、
日本聖公会の組織成立記念日を祝う2月11日は、
「ルルドの聖母の祝日」となっています。

これは、単なる偶然かもしれません。
しかし、こんなにもたまたまが重なるのでしょうか。
なにか、不思議なお導きを感じずにはいられません。

主イエス変容の日

2006年08月07日 | ショートメッセージ
(ルカによる福音書34:28-36)

8月には、教会にとって大切な二つの記念日があります。
そのうちひとつが本日8月6日のイエス様が山上で神の栄光に包まれて、
そのお姿がまばゆいばかりに白く変わられたことを記念する容貌の祝日です。
ちなみに、もうひとつが8月15日聖母マリアの記念日です。
私たちにとって、それぞれがとても大切な日であるということができます。

そして、日本の教会においては、
これらの二つの日が別の意味で重要な意味をもっております。

今日、8月6日は広島にあの原子爆弾が投下され、
多くの命が失われた日でもあります。
また、もうひとの8月15日は、
この太平洋戦争の敗戦がもたらされた日でもあります。
これらの祝日をお祝いする時に、
同時に私たちはこの世界が平和でありますようにと
神様にお祈りする日とすべきではないでしょうか。

そして、佐高信という方の「人生のうた」という本を通して、
私たち北関東教区の聖職ご夫妻が戦時下で
ご苦労された姿を読む機会を得ました。
戦時中に、その教会が教団と非合法派であったが故に
牧師とご家族が受けた迫害は、
涙をなくして読むことは出来ませんでした
私たちは、あの悪夢のような時代を
二度と繰り返してはならないのではないではないでしょうか。

私たちは、これらのことを覚えて世界の平和の実現のため神様に祈り、
ひとりひとりのクリスチャンが日々努力
しなければならないのではないでしょうか。

執事 マタイ金山昭夫 《2006.8.6週報より》