ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖霊降臨後第9主日

2012年07月29日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書6:45-52>

初代より、主イエスと共に舟に乗る姿は教会を表してきました。
今日の福音書の記事のように、
イエス不在で逆風に漕ぎ悩む弟子たちの姿は、
まさに私たちを表してはいないでしょうか。
魔物や悪霊が棲む場所と考えられていた湖を
征するイエスが舟に乗り込むと
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」という
み言葉をこの世の荒波に行き悩む私たちに
向けられていることを覚えましょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第8主日

2012年07月22日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書6:30-44>

僅かなパンと魚で男だけでも五千人を養った奇跡物語は、
沢山の人に感動と喜びを与えてきました。
私たちはそれぞれにどんな素敵な食事の思い出があるでしょうか。
きっとイエスと共に食事をして満たされた人々の経験が
こうした奇跡物語の根底にあるのでしょう。
グルメを楽しむのではなく食卓の交わりを楽しんで感謝し、
その食卓から広がる喜びが更に多くの人を満ち足らせたことが、
奇跡の内実です。
私たちもその奇跡に与っています。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第7主日

2012年07月15日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書6:7-13>

イエスは弟子を二人一組にして空身同様で宣教に遣わしました。
主イエスの教えと他者との関わりに働く聖霊だけを頼みとし、
他に頼れるものは無い状態での派遣訓練でした。
私たちは多くの要素が絡み合うこの世界に生かされていますが、
杖一本の他何も持たずに派遣された弟子たちと同様に、
御心に生きまた生かされるよう、
物事の本質をしかりと見極める目を養われましょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第6主日

2012年07月08日 | ショートメッセージ
<コリントの信徒への手紙Ⅱ12:2-10>

パウロは「自分の弱さを誇る」と言います。
自分が誇りとするものを捨てて神の恵みに生きるとき、
誇りにしていたことはみな相対化され、
自分の弱さに働く神の恵みを誇れるようになるのです。
私たちは聖霊の宿る宮となり、
神の意思を実現する働き人となるのです。
自分の弱さは神の恵みが注がれる通路となり、
弱さを感謝し誇る者へと変えられます。
その時、弱さは弱さでなくなるのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第6主日

2012年07月08日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書6:1-6>

パウロは「自分の弱さを誇る」と言います。
自分が誇りとするものを捨てて神の恵みに生きるとき、
誇りにしていたことはみな相対化され、
自分の弱さに働く神の恵みを誇れるようになるのです。
私たちは聖書の宿る宮となり、
神の意思を実現する働き人となるのです。
自分の弱さは神の恵みが注がれる通路となり、
弱さを感謝し誇る者へと変えられます。
その時、弱さは弱さでなはなくなるのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第5主日

2012年07月01日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書5:22-24,35-43>

会堂長ヤイロの娘が危機の時、
ヤイロはイエスの前に跪いて娘の回復を願いました。
会堂長はユダヤ教の会堂と礼拝を管理するものであり、
そのような立場にある者がイエスに跪くことは
保守的なユダヤ教指導者たちにとっては
認め難く赦せない行為だったことでしょう。
福音記者はこうした物語を通して
当時のユダヤ教の限界と
それを克服してお働きになるイエスを伝えます。
それは言葉を換えれば、神の働きは律法の文言や
それに基づく行いにあるのではなく、
赦しやいやしを求める人々に対する愛の中にあることを
伝えているのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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