今日のテキスト(ヨハネによる福音書 17:11C-19)は、
ヨハネによる福音書のイエスの決別説教と言われる部分の一節です。
共観福音書ではユダヤ教過越祭の金曜日に
イエスが十字架につけられて死に、
三日目の日曜日の朝早くに、復活、十字架から四十日後、天に昇られ、
それから十日後に聖霊降臨があって、
最初の教会が生まれた、という理解なのですが、
ヨハネにおいては、十字架、復活、昇天、聖霊降臨が同時になされた、
という理解に立っています。
たとえば、今日のテキストの少し前に17章4節には、
「わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、
地上であなたの栄光を現しました。」とあるのですが、
この「行うようにとあなたが与えてくださった」というのは、
日本語としてとても、分かりにくいと思います。
他の訳をみてみると、柳生直行先生の私訳では、
「わたしは、あなたに命じられた任務を果たすことによって、
地上にあなたの栄光を輝かせました。」とあります。
この訳のほうがわかりやすいと思います。
さらに、釜々崎で日雇い労働者の方々と働き、
「共生」とでも言うべき生活の中から聖書を訳された本田哲郎神父の訳は、
もっとわかりやすく書かれています。
「わたしはこの地上で、あなたがわたしに任ねた生き方を行きぬいて、
あなたを輝かし出しました。」
これは、ヨハネによる福音書の文脈では、
イエスが十字架にかけられる前になっていますが、
内容的には、イエスが神の民の本来の使命である
「世界の祝福の源」として、差別されている人々の側に立ち、
愛は何かをその生き方によって明らかにされ、
十字架で死ぬことによって、
神の栄光を輝かし出したということを意味しています。
すなわち、ヨハネによる福音書のテーマは、
イエスが、人となられた神ご自身である、
ということを強調することにあると言えます。
執事 マタイ金山昭夫 《2006.5.28週報より》
ヨハネによる福音書のイエスの決別説教と言われる部分の一節です。
共観福音書ではユダヤ教過越祭の金曜日に
イエスが十字架につけられて死に、
三日目の日曜日の朝早くに、復活、十字架から四十日後、天に昇られ、
それから十日後に聖霊降臨があって、
最初の教会が生まれた、という理解なのですが、
ヨハネにおいては、十字架、復活、昇天、聖霊降臨が同時になされた、
という理解に立っています。
たとえば、今日のテキストの少し前に17章4節には、
「わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、
地上であなたの栄光を現しました。」とあるのですが、
この「行うようにとあなたが与えてくださった」というのは、
日本語としてとても、分かりにくいと思います。
他の訳をみてみると、柳生直行先生の私訳では、
「わたしは、あなたに命じられた任務を果たすことによって、
地上にあなたの栄光を輝かせました。」とあります。
この訳のほうがわかりやすいと思います。
さらに、釜々崎で日雇い労働者の方々と働き、
「共生」とでも言うべき生活の中から聖書を訳された本田哲郎神父の訳は、
もっとわかりやすく書かれています。
「わたしはこの地上で、あなたがわたしに任ねた生き方を行きぬいて、
あなたを輝かし出しました。」
これは、ヨハネによる福音書の文脈では、
イエスが十字架にかけられる前になっていますが、
内容的には、イエスが神の民の本来の使命である
「世界の祝福の源」として、差別されている人々の側に立ち、
愛は何かをその生き方によって明らかにされ、
十字架で死ぬことによって、
神の栄光を輝かし出したということを意味しています。
すなわち、ヨハネによる福音書のテーマは、
イエスが、人となられた神ご自身である、
ということを強調することにあると言えます。
執事 マタイ金山昭夫 《2006.5.28週報より》