ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖霊降臨後第19主日

2013年09月29日 | ショートメッセージ
<ルカによる福音書16:19-31>

聖書が伝える「愛」の反対の意味は「恨み」や「憎しみ」ではなく、
「無関係」や「無関心」であると考えると、
今日の福音書日課の理解が容易になるでしょう。
金持ちは家の前にいる貧しいラザロを虐待したわけではありませんが、
死後に黄泉に落とされ、ラザロはアブラハムの懐にいます。
御心に反する思い、言葉、行いは大きな罪ですが、
「怠り」もまた大きな罪であることを心に留めることが出来ますように。
そして自分の一番身近な所から平和を創り出すことが出来ますように。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第18主日

2013年09月22日 | ショートメッセージ
<ルカによる福音書16:1-13>

主イエスは神に対して償いの出来ない人の「罪」を
「負債(借金)」に譬えました。
この例えの中で、神(主人)に対して
返せない多重の「負債」を抱える人(家令)は
他の負債を軽くすることを考えて証書を書き換えてしまいます。
もしこの不正が発覚すればそれによって生じる損失は
家令自身が負うことになるでしょう。
それにも関わらず他者の負債を軽減する家令のことを
主人は認めるのです。
イエスはこの例えの通りにご自身には全く負債がなかったのに
私たちの「負債(罪)」を肩代わりしてくださいました。
そのしるしが十字架なのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第17主日

2013年09月15日 | ショートメッセージ
<ルカによる福音書15:1-10>

皆さんはどんな時に天に喜びがあると思いますか。
イエスは「罪人が悔い改めた時」天に大きな喜びがあり
天使たちの間に喜びがあると教えました。
ファリサイ派や律法学者は罪人が滅ぶ時に
喜びがあると考えていましたが、
イエスは例え罪人でも誰一人滅んではならず
神の前に罪人が立ち返ることこそ御心であると考え実践したのです。
わたしたちもその喜びに招かれています。

司祭 ヨハネ小野寺達
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立教学院諸聖徒礼拝堂聖歌隊

2013年09月12日 | 日光真光教会
群馬県片品村で合宿中の立教学院諸聖徒礼拝堂聖歌隊のみなさんが、
日光真光教会にて礼拝奉仕してくださいました。
礼拝後は、ミニコンサートを開いてくださり、
合宿の成果を発表してくださいました。
若々しい歌声に私たちも元気をいただきました。
ありがとうございました。

聖霊降臨後第16主日

2013年09月08日 | ショートメッセージ
<フィレモンへの手紙1-20>

今日の使徒書はパウロがフィレモンに宛てて書いた短い手紙です。
フィレモンの奴隷であったオネシモが逃亡してパウロの許に来ました。
オネシモは信仰者となり投獄されていたパウロのために働きましたが、
パウロはオネシモをフィレモンの所へ送り返すこととし、
この手紙を書いたのです。
現代とは違い、奴隷は主人(フィレモン)の所有物同然であり、
主人の許から逃げ出すことは厳罰に処せられることになりますが、
パウロはフィレモンにこのオネシモを同じ信仰を持つ兄弟として
迎え入れるようにと願っています。
しかも、パウロは「もしオネシモに夫妻があれば私が負う」とまで言って、
オネシモにも共にキリストにあって兄弟であることを伝えているのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第15主日

2013年09月01日 | ショートメッセージ
<ルカによる福音書14:1,7-14>

へりくだり、謙遜、悔い改め、正しいなどはルカが好んで用いています。
ルカの伝えるイエスのそのような一面が
今日の聖書日課福音書の中にもよく現れています。
イエスは、律法を遵守する自分を誇り
貧者を見下す人々を厳しく批判なさいましたが、
イエス自身の生涯と死は、
まさにルカが好んで用いる言葉に相応しいものであり、
ルカがそこに救い主のしるしが現れていると考えたのでしょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
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